拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

拝啓、世界の路上から 第12話「I for you /イタリア」

2007-12-27 | 旅エッセイ2000「拝啓世界の路上から」
拝啓、世界の路上から 第12話「I for you /イタリア」

 ん?雨か。しかたない、ちょっと雨宿りしていくとしよう。
キリスト教カトリックの総本山である、ヴァチカンのサンピエトロ寺院から、ローマの市街地へ戻る途中に雨が降り出した。少しぐらい濡れてもかまわないと、そのまま歩き続けていたが、雨足が次第に強くなってきたのでどこかで雨宿りできる場所をと、近くにあったカフェに小走りに駆け込む。

ドイツのフランクフルトの後、列車でスイスのアルプスの山々を抜けてイタリアのミラノへ。そこからヴェネツィアに立ち寄った後、ここローマへと僕は旅を進めていた。
 
 映画ローマの休日でオードリーヘップバーン演じるアン王女が、ジェラートを食べたスペイン階段の近くにあるカフェでしばらく雨宿りをしていると、少し小降りになってきたのでまた街の散策を続けることに。
そして一時は土砂降りだったこの雨も、トレヴィの泉に着く頃にはすっかり止み晴れ間も出だした。ここは6年前にも1度訪れており、そういえばその時も雨だったと思い出す。そうかまたここにやってきたのだな。
トレヴィの泉には、背を向けてコインを右手で左肩越しに1枚投げ入れると、再びローマを訪れることが出来るという言い伝えがある。そこでものは試しと前回ここを訪れた際にコインを投げてみたのだが、その効果がどうかはわからないが、また僕はこの場所に戻ってくることができた。
他にも2枚コインを投げると好きな人と結婚できるとか、3枚で別れられるなどという話もあるが、縁結びの神と縁切り地蔵が仲良く肩を組んで並んでいるようなもので、ちょっと無理がある気がする。しかも最近では4枚投げると、新しい恋人ができるなどという言い伝えも出来たとか。さらにその話の出所が、コインを回収している市のお役所というからたまげたものだ。歌舞伎町のぼったくりバーと大して変わらないような気がする。第一言い伝えとか伝説という類のものは、新しく出来ましたなどというものでも無いと思うのだけど。パチンコ屋の新装開店じゃあるまいし。
しかしこれだけ散々扱き下ろしておきながら、験を担ぐ他力本願者である僕は、もう1度と後ろを向いて肩越しに1枚コインを投げ入れてみる。言ってることとやってることが全然違うけれど、この1枚目のエピソードくらいは信じたいと思ってしまう。でもきっとこういう人間が、悪い人に騙されるのかもしれない。

 そこからさらに歩いてヴェネツィア宮殿の前を通り、ローマのシンボルであるコロッセオへとやってくる。
 西暦80年に作られたというこのローマのコロッセオは、直径が最大188メートル、外周527メートル、収容人数約5万人という現代のスタジアムにも匹敵する大きさの円筒形の格闘技場。
 このコロッセオはかつて、剣闘士達がそのプライドと命をかけて戦ったとされる場所だが、キリスト教がローマ帝国で国教となるまでは、異教徒であったキリスト教の信者やその他の囚人達を、ライオンなどの猛獣に襲わせる残忍なショーも催されていたとか。当時の見世物小屋的な場所でもあったようだ。格闘技場というと何だかすごくカッコイイ場所のような響きがあるが、国立見世物小屋といってしまうとかなり怪しげな場所に思えてくる。
そういえば見世物小屋といえば、自分の知り合いのある大学教授がやたら見世物小屋が好きらしく、蛇女がどうだとか昔の新宿ではこんな場所があったとか、酒を飲むとよく嬉しそうにそんな話をしていたが、ホラー映画ですら目を背けまともに凝視できない僕には、その辺の感覚があまりよく分らない。
 しかし西暦80年頃といえば、日本ではまだ弥生時代。日本の当時の最先端テクノロジーが高床式倉庫とネズミ返しであった時代に、こんなものを建築していたとはまったくものスゴイ話である。

さてコロッセオにやってきたのは他でもない、ストリートライブをする為だ。実はローマでもどこかで歌おうとギターを持ってきており、あれこれ考えているうちに気付いたらここに足を向けていた。ニューヨークといったら自由の女神、ローマといったらコロッセオ、まったくおのぼりさん丸出しである。自分では世界一周ストリートライブの旅などとうたっているが、これでは世界遺産ライブの旅といわれてしまいそうだ。

もう空はすっかり晴れ渡り暑いぐらい。入場料10000リラ、約540円を支払って中に入る。すると修復された内部には椅子やステージが組まれていた。そういえばミレニアムイヤーを記念して、ここで野外オペラが開催されると聞いたような気がする。

 階段を上り2階へ。なかなか良い眺めだ。そしてしばらくコロッセオの中を歩いていると、大きな石の破片があったので、それに腰を下ろしてギターを取り出し歌いはじめる。
僕の歌声がコロッセオの中に響き渡っている。係員につまみ出されてもいいと覚悟してきたのだが、ここがラテンの国だからなのか誰も何もいってこない。南米でも同じくどこでも暖かく受け入れられたが、ラテン民族は音楽やパフォーマンスには寛容なのかもしれない。
調子に乗って気が付くと1時間以上歌っていた。U2やビートルズ、そして旅で書いた自分のうたなどを歌っていると、他の観光客がチラチラとこちらを見ていく。
だがこの日の収穫はゼロ。これまでの傾向としては遺跡よりも、何気ない街角の公園や駅周辺の方が稼ぎはいい。だがこういった場所で歌うのは、小銭の為ではないのだからと少し満足げにギターをしまう。
稼ぎが無いのに満足だって?と他のストリートパフォーマーには笑われるかもしれないが、今回の旅は「自分の歌いたい場所で、自分の歌いたいものを歌う」という、自身で選択したスタイルなのだから、これで良いのではないかと思う。胸を張ろう。

 しばらく歩くとジェラート屋があったので食べてみる。これがなかなか美味い。日本にいる時にはアイスクリームを食べる習慣などなかったが、イタリアのジェラートが自分にあっているのか、すっかりハマってしまい多い日は3個、昼食がジェラートだけという日もあるぐらいだ。でもこんな生活を続けていたら今にブタになりそう。しかも糖尿病持ちの家系なのに。尿酸値をマメにチェックして、痛風が出ないように気をつけないと。うーん爺臭い。

 地下鉄に乗ってテルミニ駅近くにある宿に戻り、キッチンでお湯を沸かし手持ちのインスタントラーメンを食べる。韓国製の辛(シン)ラーメンという、その名の通り辛いラーメンなのだが、あまりお腹は膨れないものの結構美味い。

 ローマ最後となるこの夜曲のイメージが涌いたので、夜中3時過ぎまで曲を書いて就寝。本当はASローマやラツィオの本拠地、オリンピコスタジアムでサッカーの試合が観たかったのだが、今は残念ながらオフシーズン。また次回の楽しみに取っておくことにしよう。

 朝9時に宿をチェックアウトし、ローマのテルミニ駅へ向かう。昨夜ベッドに入ったのは結局4時過ぎだったので、まだ少し眠い。

 今日はフランクフルトで再会した友人と、午後1時半にナポリ駅で待ちあわせをすることになっている。だがここで1つ訂正。カンボジアのシェムリアップ行きの飛行機で偶然知り合ったフランクフルト在住の友人とは、実はここに来る前に2週間程滞在したフランクフルトから付き合い始めていた。だから友人ではなく今は恋人だ。
 初めて会った時から綺麗な人だなと淡い恋心を抱いていたのだが、まさか本当に自分と付き合ってくれるとは思わなかった。まだ実は夢なんじゃないかな?と思うことすらある。

テルミニ駅構内のマクドナルドで時間を潰し、11時45分発の特急列車インターシティーに乗ろうとする。だが発車5分前になっても掲示板にそのゲートナンバーが表示されない。どうやら遅れているようだ。

 そのまま待ち続けると予定より20分遅れで、ナポリ行きの列車が出ると掲示板に標示される。それに従い到着した列車に乗り込む。しかし列車は発車予定時刻を過ぎても、一向に動き出す気配がない。
 隣に座ったイタリア人女性に何時に出発するの?と聞いてみる。しかしわからない、遅れているみたいねという返事が返ってくるだけ。
 ナポリでガールフレンドが待っているのに…と呟くと、今何て言った?これはミラノ行きだよといわれ慌てて列車を飛び降りる。
 何が起こったのだろう?ちゃんと行き先を確認して乗ったのにと、ホームに設置された掲示板を見ると、確かに乗るときにはナポリと表示されていたのに、いつの間にかミラノに変わっている。何だか訳がわからない。
 しかしいつまでもこうしている訳にもいかないので、急いで次の列車を探すが次はもう12時45分発の超特急列車ユーロスターしかない。とにかく最も早くナポリに着ける方法をと、追加料金を払ってその列車に飛び乗る。

 それから間も無くして列車が走り出す。そしてナポリについたのは午後2時半。約束よりも1時間遅れだ。しかし携帯電話も無く駅で待ち合わせの為、まったく連絡手段がない。列車の中でも無事に会えるだろうかと不安が募る。
駅につくなり彼女を探す。だが探しても探してもどこにも見当たらない。怒って帰ってしまったのだろうか。

 駅で弱り果て立ち尽くしていると、Arrival(到着)の電光掲示板が目に入った。そこに表示されていたローマからの、次に到着するローカル列車のホームに向う。するとそこに荷物を手に立っている彼女の姿が。いた!

 ゴメンと言って駆け寄ると、どうしたの?来ないかと思ったよといわれる。でも会えてよかったとほっとした様子。
 事情を話しひたすら平謝り。トラブルにあった場合のことを、あらかじめ考えておけばよかったと反省する。やはりなかなか物事は順調には進まないものらしい。

 「ナポリを見てから死ね」という言葉がある程多くの人々に愛されてきた、ヴェスビオ火山の裾野に広がる人口約120万人のこの都市は、熱い日差しと紺碧の海が広がる南イタリアの中心地。またソレント半島やイスキア島、青の洞窟で有名なカプリ島などを結ぶ、地中海に面したナポリ湾を持つ港町でもある。他にもスパゲッティやピッツァ、ジェラートなどの発祥地であるとか、オー・ソーレ・ミオやサンタ・ルチアといったイタリアを代表する歌曲を生んだなど、この街を賞賛する言葉は限りない。
 一方イタリア北部に比べ高い失業率と所得格差に悩み、イタリア屈指の犯罪都市としての一面を併せ持つ街でもある。

 まずは寝床の確保と、中央駅の近くで安宿を探してチェックインする。そして荷物を部屋に置いた後、歌曲でも有名なサンタ・ルチア港へ歩いて向かうことに。

 ナポリを見て死ねという言葉の由来である美しい眺めを持つ、サンタ・ルチア港で夕日を見ようと思っていたのだが、予想以上に時間がかかり着いた頃には日も沈む8時頃。残念ながらサンセットには間に合わなかった。
しかしサンタ・ルチアから望む町の夜景は、まるで宝石箱を開けたかのようにキラキラと輝いて美しい。海岸線の東ヴェスビオ火山の裾野にソレント半島が広がる光景は、まさにイメージしていたサンタ・ルチアそのもの。思わずその光景に見とれてしまう。

帰りはメーターのタクシーに乗って、中央駅まで戻ってくる。すると行きには1時間以上も歩いたにも関わらず、車だと僅か5分程で帰ってきてしまった。炎天下の中を大変な思いをしてひた歩き、しかもそのせいでサンセットを見逃した僕達は、ちょっとおマヌケかもしれない。
 だが料金の支払いになりナポリらしい一面に遭遇する。タクシーのメーターは8000となっているので8000リラを払おうとすると、今日は日曜日なので18000リラだとドライバーが言い出す。なんで8000リラが18000リラにもなるのだと語気を強めて返すと、ほら日曜日には追加料金がかかると書いてあるだろうと、何やら用紙を見せられる。しかしよく見てみると、そこには追加料金3000リラと書いてある。3000リラだったら併せて11000リラじゃないかというと、うーんとうなった後とにかく18000なのだといって、頑として譲ろうとしない。じゃあ理由を言ってごらんと聞くと、うーん、うーん…とにかく18000リラという答え。お前はアホか。
 わかったじゃあ君の名前を教えてくれ、あと車のナンバーも控えておくがいいかなと言うと、俺を信用しないのか?それなら金は要らないと怒りだした。
 こりゃ下手な芝居だなと、11000リラだけ置いてさっさとタクシーを降りる。しかし追いかけてこなかったところを見ると、充分な値段だったのだろう。3000リラの追加料金さえ疑わしい。それにしてもさすがは泥棒の街と異名を持つだけのことはある。その後駅前のレストランで夕食をとり、宿に戻って就寝。

 翌朝宿をチェックアウトし中央駅の前から出ている、R2のバスに乗りベヴェレッロ港へと向かう。そこから10時半発の水中翼船で40分程移動すると、カプリ島のマリーナ・グランデ港に到着。

 青の洞窟で有名なカプリ島は東西約6km、南北約2kmの小さな細長い島。古のローマ皇帝アウグストゥスも、気に入って住みついてしまったというエピソードを持つ、地中海きってのリゾート地だ。

 マリーナ・グランデからさらに、ケーブルカーとバスに揺られアナカプリという小さな町へ。しかしハイシーズンの為かどこも人で一杯だ。長時間並んで乗ったバスの車内も、蒸し風呂状態で嫌になる。
 手頃な宿は無いかと町のインフォメーションに行くと、安い宿は全て満室だといわれる。でも少し高いがそこで勧められた、ヴィッラ・エヴァという町外れの小さな宿に空きがあったので、予約を入れてもらい迎えの車で宿へと向かうことに。

 宿に着くと驚いたことにそこは、緑に囲まれたプール付きの小奇麗なリゾートペンションといった感じ。2人で15万リラ、約8000円という随分しっかりとした値段も、これなら納得という感じだ。
 とはいっても長期旅行者の僕には、簡単に払える額ではない。彼女がいいよ私が出しておくからといってくれたが、やはり男としては情けない気持ちになる。しかもナポリに着いてからというもの、食事代から宿代とほとんど彼女が出してくれているのだ。
日本に帰った時にご馳走してもらうからといってくれるが、まるでヒモ状態の自分が情けない。金が無いのだからしかたないとはいえ、少し自己嫌悪に陥る。

 この日はプールサイドでだらだらと過ごして、夕方に夕日が綺麗だというレストランで白ワインを片手に前菜とパスタを食べる。前菜はオリーヴオイルとニンニクに漬けた、ナスとズッキーニのオーブン焼き。パスタはトマトソースとバジルのラビオリに、ボンゴレの太麺スパゲティ。とにかく美味い。
 そして水平線に沈んでいく真っ赤な夕日は、この世の全てのものを赤く染めてしまうのではないかと思える程。あまりの光景に声が出ない。でもこんなに良い思いをしていいのだろうか。夢ではないかとホッペをつねってみたが、痛いのでたぶん現実みたい。

 カプリ島2日目は、朝から歩いて青の洞窟へと向かう。緑の自然に囲まれた坂道を1時間も下ると、洞窟の入り口に到着。
ここから石の階段を下った先のボート乗り場で3万リラ、1人あたり約750円を支払って小さなボートに乗り込み青の洞窟へと入る。

すると洞窟内の海水は驚異的に透き通った青色をしており、神秘的な雰囲気を醸し出している。絵の具でもこんなに鮮やかな色は出ないのではないか。思わず息を飲む。

 船頭の歌うイタリアの名曲「ソレントに帰れ」が洞窟の中に響き渡る。また海の水の青色が入り口の穴から差し込む日差しを受け、洞窟中を真っ青に染めている。
賛美の言葉を探すが、適切な言葉が見つからない。美しいという言葉など、あまりにも陳腐に思える程の青。

それから5分程洞窟の中をぐるりと回って外に出てくる。たった数分の出来事ではあったが、その不思議な一時はウサギを追いかけ不思議の国に迷い込んだ、おとぎ話のアリスにでもなったかのようだ。アリス?バカボンの間違いじゃないの?と笑われそうだが、本当にそんな不思議な体験。夢でも見ていたのだろうかと、そんな気持ちにさせられる。

 午後はここからバスに乗ってアナカプリの町へ行き、さらにリフトに乗って標高589mの、島内随一の高台であるソラーロ山へ上る。するとそこは360度広がる青い空と海。その美しさは形容する言葉さえ必要としない程。思わず目と心を、そして魂までもクギ付けにされるそんな風景。頬を撫でる風も心地よく、2人して何をする訳でも無くベンチに座ってひたすらぼぉっと時を過ごす。

 イースター島でも感じたが、このような場所でこうしてぼぉっと過ごしていると、幸せはそれ程難しくはないなとそんな気持ちにさせられる。美しい自然と美味しい食べ物、そして楽しい仲間や大切な人がそこにいれば、他には何も必要ないのだとそう感じさせてくれる場所だ。

 ああ海ってこんなに青かったのだねと一言そう呟き、また言葉を交わすでもなくただこの美しい風景に見とれていた。

 夕方宿に戻って2時間程プールで過ごし、また昨日のレストランまでトボトボと歩く。今日も白ワインと前菜、パスタで至福の時を過ごす。
え?食べたことないの?と彼女に笑われたが、生まれて初めて食べた生ハムとメロンの前菜は最高だった。
 
 次の朝11時10分の高速船でナポリに戻る。しかしカプリ島に発つ前に泊まった宿の主人が、僕達の事を覚えておらず高い値段をふっかけてくる。3日前はこの値段だったぞと当然値引き交渉をするが、頑として下げようとしないので、そのすぐ前の別の宿にチェックインすることに。値段は大して変わらなかったが、こちらの部屋の方がずっと綺麗だ。これが2人で9000リラ、約4800円。

 午後からローカル鉄道に乗って、郊外に40分程行った所にあるポンペイ遺跡に行く。紀元前に作られたというこの遺跡は周囲3kmの城壁に囲まれ、総面積は66ヘクタールにも渡る。最盛期には1万数千人が住み市民広場や円形闘技場の他、1200戸もの邸宅が並ぶ広大な遺跡だ。しかし西暦79年におきたヴェスビオ火山の大噴火で、1夜にして消え去って以来1748年に発掘が始められるまで、厚さ6mにもなる火山灰に埋もれていたという。

 ローマのフォロロマーノを髣髴させる教会跡や、コロッセオを1回り小さくしたような円形闘技場は、古ぼけていてとても味わいがある。当時の人々の生活や動物が書かれた壁画など、他にも色々とありすぎてとてもじゃないが1日では回りきれないくらいだ。しかし炎天下の中で歩き回るのは2時間が限度で、ハイライト的なものだけを見て帰ることに。

 駅前で夕食を食べて宿に戻ったのは、もう深夜に程近い時間だった。明日彼女はフランクフルトへ戻り、その足で日本の実家に里帰りするという。僕も明日からまた1人旅。とりあえず明日は、また北に向かって移動することにしよう。

 それにしても本当に長い旅の中の安らかな一時だった。またカプリ島で過ごした日々は、心から幸せだったとそう言える。幸せってそんなに難しいものじゃない。それはイースター島でも、そして昨日のカプリ島でも感じたこと。

 美しい自然と美味しい食べ物、そして楽しい仲間や大切な人がそこにいれば、何も必要ないのだとそう感じた。そして僕にはあとそこに音楽があれば、それ以上何もいらないと心からそう思える。

 日本にいる時はいつも、自分のことだけで必死だった。他に目を向ける余裕もなかったし、自分の為に生きるというのは当然のことだとそう信じていた。でもカプリの青い空と海を、じっと見つめていた時の僕は少し違っていた。

 僕がずっと自分に問いかけている言葉がある。それはなぜ自分は今ここにいるのか?という、他人が聞いたら何をバカな事をいっているのだと、笑われてしまうそんな言葉。
 でも僕にとってそれはすごく重要なことで、他人が幾ら笑おうが僕はその意味をずっと知りたいと欲していた。でもいつかその答えに「大切な人がそこにいるから」と答えられたらいいなとそんな風に感じていた。

 現実の自分はもっと汚れた醜い生き物かもしれない。でもその汚れが大きい程、浄化されることを欲しているのではないかと思う。
 
 先日思いついたフレーズがある。少し甘いバラードでそれにいつか歌詞をつけようと思っているのだけれど、今のこの気持ちを歌に出来たらいいなと思う。君のための僕、I for you。そんな歌を書いてみようと思う。

さあ明日はまた移動だ。今日はもう眠るとしよう。

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