普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

「白」か「黒」か

2013-03-21 13:47:03 | 普通な人々<的>な
日銀総裁人事は、黒田東彦アジア開発銀行総裁の就任で一件落着。

安倍首相のアベノミクスの柱でもある2%のインフレ率達成を、「グローバルスタンダードである2%の物価目標を掲げたのは非常に画期的で正しい」と語り、政府と足並みを揃える日銀の金融政策を示唆した。

前総裁の白川方明が、15年に及ぶ日本経済のデフレ環境に、小出しの対応しかしなかったのと対照的だ。

もう少し二人を比較すると、白川はどちらかといえば「日銀大事」的な、小さな内向きの組織防衛に汲々としていた感が否めない。

一方の黒田は、「グローバルスタンダード」を言う辺り、目は外に向いている感じがする。ただ、FRBの戦略的な金融策あたりにうまうまと乗ってしまいそうな危険も感じる。

多少的はずれな感じもあるけれど、この人事の引き継ぎで、名前が「白」から「黒」へと変わった。これが妙に面白い。

江戸期の1783年、天明の大飢饉を経て経済の逼迫した中、賄賂などが横行した老中・田沼意次の「悪政」時代を経て、白河藩主・松平定信が老中となり行った幕政改革を「寛政の改革」というが、この改革は田沼の重商主義から農本主義的転換を計り、質素倹約を旨としたもの。その初年に当たるのが1783年。ちょうど230年前。

だがあまりにも理想的過ぎて、やがては庶民の間で「白河の清き流れに魚住まず 元の田沼の泥が恋しき(この歌の末尾は「~元の濁りの田沼恋しき」などとも伝わっている)」などと揶揄されるようになり、最終的に定信は失脚する。

日銀の人事の引き継ぎを見ていて、「白」から「黒」へという言葉遊びみたいなものだが、このことを思い出してしまった。世の中、必ずしも「白」が良いわけでもないという歴史的な示唆が寛政の改革にはあるわけだが、「白川」から「黒田」へという文字を見ていると、「白河」と「田沼」を思い起こしてしまうのだ。

閉塞した状況の中でいかに耐えるかという「白河」≒「白川」と世の中を大きく動かすことで状況打開を図ろうとした「田沼」≒「黒田」。

なんてね。ただの言葉遊びです、悪しからず。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする