普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

3月11日が近づいてきた。

2013-03-05 00:18:12 | 普通な人々<的>な
2年前の3月11日、ボクは家にいた。息子と娘もなぜか家にいた。奥さんだけが仕事で隣りの市に出かけていた。

地震の瞬間、かなり大きな地震だとは思ったけれど、後後に知るほどには大したことはないと思っていた。事実、モノも落なければ倒れもしなかった。

息子や娘は、近間の本棚やタンスなどを押さえたが、揺れに負けるようなこともなかった。

ただ、奥さんだけは、地震そのものはやはりそれほどの被害は受けなかったが、帰りの足に窮した。あの時、鉄道はじめ交通網は完全に麻痺してしまった。

帰宅難民という言葉が、本当に当たり前のように語られた。

ボクは車で奥さんをピックアップしに出かけた。幹線道路は完全に麻痺状態だったが、裏道はスイスイ走れた。

普段奥さんを送って迎えに行くのに、片道およそ20分程の道のりだったが、あの大震災のあとにも関わらず、3~40分で迎えを完了した。同僚の女性を立川まで送りさえした。

さすがジモティ! あんな時には相当な力になると思った。

あれから2年。東南海はじめ、巨大地震への警鐘と準備は嵩増しに語られるようになっている。

いま一番具体的なのが、箱根山の噴火の可能性を秘めた群発地震だろうか? およそ1700回に及ぶ有感地震が起きている。箱根を含む地震帯は、富士山に影響を与えると学者も警鐘を鳴らす。

前述の東南海が複層して起きたら、日本列島はひとたまりもなさそうだ。

ボクの身近で言えば、立川活断層の引き起こす地震が、身近で怖い。

なんにしても、意外に、思うほどには緊張もしていない。語るほどにも喫緊の問題ではない。それがいつ起こるかわからない地震の恐怖への素直な反応だろう。


いつ何時どんなきっかけで地震は起きるかもわからない。ひたすら、こころしておくしか、地震に対処はできない。
コメント
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