『東京新聞』に連載しているコラム「言いたい放談」。
今回の掲載分では、師匠の一人だった実相寺昭雄監督のことを書かせていただきました。
現在、展覧会も開かれています。
実相寺監督との“再会”
川崎市市民ミュージアムで、『実相寺昭雄展~ウルトラマンからオペラ「魔笛」まで』が開催されている。
映画監督、オペラ演出家、文筆家、さらに大の鉄道ファンでもあった実相寺監督の軌跡をたどる回顧展だ。
初めて監督にお会いしたのは一九八三年の「波の盆」だった。
ハワイの日系移民一世の半生を描いたスペシャルドラマだ。
主演・笠智衆、脚本・倉本聰、監督・実相寺昭雄。
マウイ島での長期ロケでは、光と影、そして独特の構図による映像美が生まれる過程に立ち会えた。
私がドラマの原点を学んだこの作品は芸術祭大賞を受賞する。
以来、監督が旅番組「遠くへ行きたい」を演出する際には、自分の制作番組そっちのけで助監督に志願した。
監督と一緒に鎌倉、気仙沼、長崎などへ出かけたロケは、実相寺学校の移動教室でもあったのだ。
現場でいつも驚かされるのは、創ろうとする映像のイメージが明確であること。それを実現するための巧みな技術だった。
会場に再現された書斎には監督が愛用した「けろけろけろっぴ」の筆箱もあった。
仕事を離れた時のお茶目な監督の姿が浮かんでくる。
「所詮、死ぬまでのヒマツブシ」と言いながら、だからこそ自らの美学に従って真剣に遊び抜いた監督。
九月四日までの開催期間中、もう一度会いに行こうと思っている。
(東京新聞 2011/08/10)
・・・・・「所詮、死ぬまでのヒマツブシ」は、監督の著書『闇への憧れ』の副題にもなっている。
監督のすごいところは、そのヒマツブシが様々なジャンル、多岐にわたり、しかもどれもが一流だったことだ。
展覧会場には、監督の絵てがみ、というか葉書に絵を描き、ひと言の文を添えたものがたくさん展示されている。
書家の島田先生とやりとりされたものだ。
実は私の手元にも、監督から届いた数十枚の絵てがみがあって、大切な宝物になっている。
それを取出し、眺めていると、受け取った当時は気づかなかった、その時々の監督の気分や気持ちが、一枚の葉書に込められていたことが分かる。
監督とまた話したくなった。