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碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

8月6日の朝に

2011年08月06日 | テレビ・ラジオ・メディア

66年目の広島原爆忌。

NHKで広島平和記念式典を見る。

8時15分、一緒に黙とう。




松井一実市長の平和宣言には、被爆者の体験談を盛り込んであっただけでなく、福島の原発事故にも触れていた。






「戦争を始めるのは人間です。人間の力で起こさないようにできるはずです」という子ども宣言もよかった。




その後の管直人首相の挨拶は、どこか上っ面の、中身の薄いものに感じられた。




今日は甲子園での高校野球開始の日でもある。

長野県代表は東京都市大学塩尻高校。





よもや生きている間に、実家のある町の学校が甲子園に出てくるとは思わなかった(笑)。

この都市大塩尻は、以前、武蔵工業大学付属信州工業高校だった。

私が子供の頃、信工のお兄さんたちは結構怖かったなあ(笑)。

大学の名称が変わって現在のようになったのだ。

高校野球で長野代表というと松商学園を思い出すくらい、出場回数が多い。

でも、松商に限らず、長野勢が1回戦を突破することは稀で、県民もそのことに慣れてしまった。

都市大塩尻には、まず1回戦の勝利を、と祈った。


庭に出ると、今日も暑い。

トチの木にカブトムシ発見。

ツノにけがをしているようだが、元気に登っていく。





がんばれ。

「自衛官募集」CMが流れる8月

2011年08月06日 | テレビ・ラジオ・メディア
(陸自のテレビCM)


テレビ東京で「自衛官募集」のCMを目にした。

ゴールデンタイムだった。

一種不思議なものを見たような感覚。

最近は、ゴールデンタイムにも思わぬジャンルのCMが流れることに慣れてしまったが、自衛官募集のCMには、少し驚く。

韓国などとは違い、徴兵制のないこの国では、募集に頼るしかないのだけれど。

15秒のスポットCMはスチル(写真)構成で、そのスチルはすべて東日本大震災の被災地での活動を写したものだ。

「3.11以後」の防衛省・自衛隊広報が、この内容(路線)になるのは当然かもしれない。

エンディングのコピーは「一人でも多く守るために。あなたの力を。」

調べてみるとCMは、陸自、海自、空自それぞれ2本ずつ、全部で6本作られている。

スチル構成、被災地での活動、最後に同じコピーというパターンはどれも一緒。

8月1日から10日まで、東京だけでなく、エリアごとの地方局でも放送しているようだ。


以上、2011年8月のテレビ史的記録として。


「ぴあ」最終号のこと

2011年08月06日 | 本・新聞・雑誌・活字

「ぴあ」の最終号が出た。

創刊は1972年。

当時、定価100円だった創刊号の復刻版が今回の付録だ。

始まりと終わり、両方を手にする。

創刊の頃、私はまだ信州の高校生だから、「ぴあ」の存在を知らない。

創刊2年目の73年に大学生となり、上京してから購入するようになった。

まだ現在のように東京の全ての映画館の情報が網羅されていたわけではなく、読者からも情報を募っていたっけ。

東京に不慣れな学生にとって有難かったのは、映画館の地図が載っていたことだ。

そのおかげで、馴染みのない沿線にある未知の映画館(名画座的な小屋)にも足を運ぶことが出来た。

そんな「ぴあ」の記憶がはっきりしてくるのは、やはり及川正通さんのイラスト表紙に変わった75年からだ。

スーパーリアルでユーモアあふれるそのイラストが楽しかった。

「ぴあ」は、はじめ月刊で、そのうち隔週刊(「かっきんぴあ」と呼んでいた)になり、やがて週刊となった。

で、この最終号には75年から2011年までの、1300点の表紙イラストが小さなサイズながら、ぜ~んぶ掲載されている。

これは凄いぞ(笑)。

眺めていると、「この映画はこの年だったんだ」とか、「あの頃、こんなことしてたなあ」とか、爆発的に記憶が甦ってきて怖いくらいだ。

同時に、いつ頃から「ぴあ」を買わなくなったか、も思い出せる。

映画館の上映情報が、他の紙媒体でも手に入るようになったからだが、ネットの登場は決定的だった。

これもまた歴史の流れみたいなもので、仕方ないんだけどね。


とにかく創刊から約20年間くらい、本当にお世話になりました。

「ありがとう」であります。