大学時代、同じ屋根の下で暮らした旧友と再会し、飲んだ。
入学と同時に、日吉キャンパスの生協で一番安い部屋を選んで、即入居(入室)。
四畳半で家賃6700円だった。
工学部(今は理工学部)があった矢上の丘(矢上台)の麓に、古くからの農家があり、敷地内の納屋か倉庫だった平屋を、学生下宿に改造していたのだ。
6部屋あったのだが、壁がベニヤ板で、音は全部筒抜け。
ポスターを画鋲で止めると、隣の部屋に針先が飛び出した(笑)。
その下宿で一緒だったのが、久留米出身のT君だ。
卒業後、まだ草創期のIT業界に飛び込んでいくT君も、そして本好きが高じて出版業界へと進む私も、お互い元気なビンボー学生だった。
T君は工学部だったから、下宿の後ろに控える石段を駆け登れば、もう教室。通学時間は3分だ。
私がいた法学部と比べて、工学部は1年生の時から、やたらレポート課題が出された。
T君は、毎晩徹夜でレポートに取り組む。
だが、しょっちゅう眠くなるらしい。
そして、眠くなると、“眠気覚まし”と称して、ギターをかき鳴らして、大声で歌うのだ。
当時、吉田拓郎や井上陽水の曲がヒットしていて、T君は彼らとは似ても似つかぬ声と音程で歌いまくっていた。
深夜のことゆえ、私を含め他のメンバーは寝ているのだが、当然この騒音で目が覚める。
ある夜も、T君が陽水の「夢の中へ」を、フルボリュームでガナり始めた。
「♪探しものは何ですか 見つけにくいものですか・・・」
すると、1学年上の西原先輩がドアを開け、廊下に向かって叫んだ。
「なんにも探さなくていいから、寝ろーっ!」
この西原浩一郎先輩は、いつも私たち後輩を笑わせてばかりいたが、37年後の今、自動車産業で働く77万人の先頭に立つ「自動車総連(全日本自動車産業労働組合総連合会)」会長となっている。
人生って面白いなあ(笑)。