ルワンジュ(父ストロベリーロード)
ユウソウ(父スキャン)
リンガベル(父コジーン)
ブラッドシンプル(父キングマンボ)
ブーケトス(父ヌレイエフ)
シューブラック(父フジキセキ)
レーヴダジュール(父カーネギー)
これらは俺が過去に出資していた馬たち。
この中で勝利を挙げることができたのはリンガベルただ1頭。
競走馬が1勝することの大変さを教えてくれた馬たちでもある。
俺の一口のスタートは「挫折」からだった。
最初に出資した2頭のうち、デビュー寸前までいったのがユウソウ。
ところがデビュー直前の追い切りで転倒し、腰を骨折。
そのまま引退。
残る1頭、ルワンジュはデビュー前にギャロップの3歳馬特集にカラー写真で掲載されるなど俺の期待も大きかったのだが、実際にデビューできたのは4歳の10月になってから・・・。そのまま未勝利を4戦し、勝ち上がれず引退。
これだけで勝利を挙げることが、いやデビューまで漕ぎ着けることがいかに難しいことであるかを学ぶには十分だった。
幸い、2頭分の補償が使えたため翌年のリンガベルに出資。
この馬もデビューは遅れ、4歳の3月に。
デビュー戦こそ敗れはしたが1番人気に推されたことは、それだけでも嬉しかった。
さらに2戦目で勝ちあがり。
これが俺の一口馬主としての初勝利に。
その後も500万を1勝し、条件馬の身ながらもローズSに出走するなど一口の醍醐味を味わわせてくれた忘れられない1頭である。
そのリンガベルの引退とともに、当時のキャロットクラブではこれが限界だと感じる部分があって某ロードHCへ・・・。(某をつける意味ないか?)
その間、紆余曲折を経て再び出資したのがブラッドシンプルとブーケトス。
続に言う「キャロット改革世代」。
ただしそこでも我慢の日々は続いた。
2歳11月と俺が出資した馬の中では異例の早さでデビューしたブラッドシンプルだが、9戦して勝ち上がれず未勝利で引退。
ブーケトスに至っては2歳夏の北海道でのデビューを目指し、出走体制が整うところまでいきながら調子を崩し、結局デビューは翌年の札幌・・・。2戦して未勝利のまま引退。
次の世代では牧場見学ツアーに参加した上で3頭に出資。
そのうちの1頭ヴォークリンデは現在も現役で頑張ってくれている。
残る2頭、シューブラックは入厩すらできないまま未出走で引退。
レーヴダジュールは2歳12月にデビューも3戦して故障引退。
ただし、このレーヴダジュールに関してはちゃんと使ってくれていれば十分勝ちあがれるだけの馬であっただけに今でも悔やまれる部分が大きい・・・。
こうしてみると、俺にとって一口馬主というのは我慢と挫折の繰り返しであったことがよく分かっていただけると思う。
そして、そんな中でも時折訪れる愛馬の「勝利」や「好走」というものに喜びを見出して、今日までやってきたわけである。
今、振り返ってみてもデビューできなかった馬や勝つことができなかったこれらの馬に対して、後悔の気持ちは不思議と抱かない。
むしろ1勝の重みや競馬場で走る姿を見れることの喜びを、より大きく感じさせてくれる・・・そんな気持ちを抱かせてくれる大切な存在であるといったほうが正確かもしれない。
出資馬が活躍するたびに思い出すのは、こうして引退していった馬たちのことであったりするのもまた真実なのです・・・。(T)
ユウソウ(父スキャン)
リンガベル(父コジーン)
ブラッドシンプル(父キングマンボ)
ブーケトス(父ヌレイエフ)
シューブラック(父フジキセキ)
レーヴダジュール(父カーネギー)
これらは俺が過去に出資していた馬たち。
この中で勝利を挙げることができたのはリンガベルただ1頭。
競走馬が1勝することの大変さを教えてくれた馬たちでもある。
俺の一口のスタートは「挫折」からだった。
最初に出資した2頭のうち、デビュー寸前までいったのがユウソウ。
ところがデビュー直前の追い切りで転倒し、腰を骨折。
そのまま引退。
残る1頭、ルワンジュはデビュー前にギャロップの3歳馬特集にカラー写真で掲載されるなど俺の期待も大きかったのだが、実際にデビューできたのは4歳の10月になってから・・・。そのまま未勝利を4戦し、勝ち上がれず引退。
これだけで勝利を挙げることが、いやデビューまで漕ぎ着けることがいかに難しいことであるかを学ぶには十分だった。
幸い、2頭分の補償が使えたため翌年のリンガベルに出資。
この馬もデビューは遅れ、4歳の3月に。
デビュー戦こそ敗れはしたが1番人気に推されたことは、それだけでも嬉しかった。
さらに2戦目で勝ちあがり。
これが俺の一口馬主としての初勝利に。
その後も500万を1勝し、条件馬の身ながらもローズSに出走するなど一口の醍醐味を味わわせてくれた忘れられない1頭である。
そのリンガベルの引退とともに、当時のキャロットクラブではこれが限界だと感じる部分があって某ロードHCへ・・・。(某をつける意味ないか?)
その間、紆余曲折を経て再び出資したのがブラッドシンプルとブーケトス。
続に言う「キャロット改革世代」。
ただしそこでも我慢の日々は続いた。
2歳11月と俺が出資した馬の中では異例の早さでデビューしたブラッドシンプルだが、9戦して勝ち上がれず未勝利で引退。
ブーケトスに至っては2歳夏の北海道でのデビューを目指し、出走体制が整うところまでいきながら調子を崩し、結局デビューは翌年の札幌・・・。2戦して未勝利のまま引退。
次の世代では牧場見学ツアーに参加した上で3頭に出資。
そのうちの1頭ヴォークリンデは現在も現役で頑張ってくれている。
残る2頭、シューブラックは入厩すらできないまま未出走で引退。
レーヴダジュールは2歳12月にデビューも3戦して故障引退。
ただし、このレーヴダジュールに関してはちゃんと使ってくれていれば十分勝ちあがれるだけの馬であっただけに今でも悔やまれる部分が大きい・・・。
こうしてみると、俺にとって一口馬主というのは我慢と挫折の繰り返しであったことがよく分かっていただけると思う。
そして、そんな中でも時折訪れる愛馬の「勝利」や「好走」というものに喜びを見出して、今日までやってきたわけである。
今、振り返ってみてもデビューできなかった馬や勝つことができなかったこれらの馬に対して、後悔の気持ちは不思議と抱かない。
むしろ1勝の重みや競馬場で走る姿を見れることの喜びを、より大きく感じさせてくれる・・・そんな気持ちを抱かせてくれる大切な存在であるといったほうが正確かもしれない。
出資馬が活躍するたびに思い出すのは、こうして引退していった馬たちのことであったりするのもまた真実なのです・・・。(T)
私も早いうちから出走できそうな現3歳馬を3頭選んだつもりなのに未だ出走ゼロです。
でもやっと今週エクレールヴィオレで一口デビュー予定。
順調に出走にこぎ着けることを願っています。
でも、苦労はないにこしたことはない(笑)
「順調」これが1番難しいってことが一口をやり始めてよ~く分かりました。
満足いく状態でレースを迎えられる馬ってのはそれだけで貴重な存在ですよ。
「エクレールヴィオレ」もこのまま順調にレースを迎えてほしいですね。
toshiさんのメモリアルレースですし、応援しています!
この種の話は、オールドメンバーには、たまりませんネ!
私も、何かノスタルジックな感じで、ブランデーを傾けています。フゥ~・・・。
ってガラじゃないですが・・・
このメンバーの中に「ご一緒馬」がいます!
答えはCMのあと!!!
デビュー戦、志村けん氏の「アイ~ンベル」と
一緒に走ってましたね。懐かしい!
この馬のレース選択で管理調教師の鶴〇師←(モロバレ)を恨みましたね~。
もう二度とこの厩舎には・・・と思いながら、また出資していますが
機会があったら、私も引退馬の記事を書いてみようかな~と考えさせられましたよ。
レーヴダジュールのデビュー戦は話題性のあるメンバーが揃っていましたよね。
「アイ~ン」以外にもフィレンツェやシャイニングアレキなんかもいてたりして・・・。
そんな中、フィレンツェに先着したことが唯一の誇りです(笑)
そうそう、ミラキュラスに関しては今のところ納得のいく使い方をしてくれてるんじゃないですか?(あくまで私の印象ですけど・・・)
機会があったらcobraさんも是非、引退馬の記事書いてみてくださいよ。そのまま眠らせておくのは勿体ないですから(笑)
楽しみに待ってます。