明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

明かり。

2009-05-31 00:13:39 | 生活
屋根を叩きつけるような雨音と
それに反応するかのように鳴き続けている蛙の声。

うちは田んぼに囲まれているので、
この季節は本当にテレビの音までかき消されるほど
蛙の声がうるさい。
でも、なぜか落ち着くのだけど。

今週に入って田に水が引かれ、土をならす作業が始まった。
明日くらいに田植えが行われるはずだ。

ベランダの向こうは一面田んぼなので、
日が照っていなければ、まさに天然クーラー。
おかげさまで真夏でも夜はエアコンをつけることがない。

今日は、注文していたまな板が届いた。
四万十川工房で作られる、檜のまな板。
これまでも同じものを使っていたのだが、
さすがに古くなったので買い換えることにしたのだ。
他のまな板も見てみたが、やっぱりこれに勝るものはなしと、
再び注文。二代目だ。

樹齢80年以上の四万十川の檜だけを使って、
職人が手仕事で14面体に削っている。
普通のまな板のように直方体ではないので、
水切れが大変いい。
さらに、檜は浴槽にも使われることからわかるように、
水に強く、抗菌作用もあるので傷みにくい。

届いたばかりなので、まだ檜の爽やかな香りがする。
まな板が新しくなっただけで、なんだか心躍る。

午後は夫と大山崎山荘美術館へ。
お目当ては、「濱田庄司の眼」展。
人間国宝・濱田庄司が何を見て何を作ったか。
その蒐集品と、実際に作った作品とを展示してある。

ここは本当にいつ来てもいい。
歩いて30分か40分ほどなので、全シーズンに必ず訪れる。
展示品がいいときはよりありがたいが、
常設だけでも十分に楽しめる。
この山荘と周りの自然が美術品みたいなものなので。

でも、私は濱田庄司が好きなので、今日はより楽しめた。
釉薬の色の出し方がなんとも絶妙で、
決して華やかではなく素朴なのに、どこか凛とした美しさがあって。
今日見た中では「白地鉄絵葡萄水差」とお揃いの「蓋物」が心に残った。

イギリスのスリップウェアの影響も受けている氏の作品は、
釉薬で模様を描いたものが多いのだけど、
そこに「一瞬プラス60年」とあった。
模様を描くのは一瞬。
だけど、それには60年もの間、磨かれた技と経験がいるのだという。

絵画はよくわからないけど、器を見るのは本当に好きだ。
いつまでも眺めていたい気持ちになる。

新館でモネとルノワールの絵画も見て、
2階のテラスで自然を満喫しながらビールを1杯飲んで帰った。
なんと贅沢な時間!

「最近、悩んでいるみたいやな」と夫に言われたけれど、
今日は少しすっきりしている自分がいた。

お金のためや、誰かに認められるためでなく、
自分を癒すために書く……。それでいいんだ……。
そのことに気づいてから楽になった。
ライターとして仕事をすることの虚しさもなくなった。
それはそれ。生活のため。
これはこれ。自分のため。
そう思えるようになったからだ。

岡本太郎みたいな天才は、あえて危険な道を選んでも成功する。
だけど、自分みたいな凡人は成功することよりも、
毎日の生活をどう楽しく過ごすか、気持ちよく過ごせるか、
そのことを考えて道を選んだほうがいいんだろうな、と思った。

夫は「もっと自分を追い詰めないと」みたいなストイックさがあるが、
私は苦しみの中から人を感動させることができるのは、
本当に一部の天才だけだと思っている。
それより、自分が楽しむこと。自分を癒すこと。
それでいいんだと思う。
楽しんでいたら、それに共感してくれる人も必ずいる。
ブルースのライブなんてまさにそれで。
楽しく演っている人を見ると、こちらまで幸せな気持ちになる。
音楽って本来そんなものなんだろうな。
文学よりもわかりやすい。

まだ完全に悩みのトンネルから抜け出たわけではないけれど、
暗闇の先に小さな明かりは見えた。
あそこを目指して歩いていたら、いつか出口に辿り着く気がする。
少なくとも、中途半端で何もできず、
自分の想いも生き方もブレていた自分からは、脱出できそうだ。

「仕事したくない病」もおさまって、
やっと営業する気持ちになれたし、
また新たな心持ちでライター仕事も頑張ろうと思う。
そして、自分の書きたいものも書き続けたい。

今を生きよう。

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