明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

ジングルベルとお経

2011-12-26 11:32:47 | 生活
今年は早々と仕事を切り上げ、年賀状に大掃除、いろんなたまっていることなどを片付けて、
ゆっくりと年末を迎えようと思っていた。

昔の講師で今は島根にいる人が、年末に大阪へ来るからうちの新居へ寄りたい・・・とメールをくれたときも、
「めっちゃ暇やし、いつでもOK!」
みたいな返事をして、今週来ることになった。
旨いご飯でも食べさせてやろうと思っていた。
そこまでは、余裕だった。

ところが。

もう仕事はないと思っていたのに、27日に取材が入った。
原稿も年内に書かないといけないので、断ろうかな・・・と思いつつ、
この間のカモられた美容院のことが頭をよぎり・・・
結局、引き受けた
美容院代くらいにはなると思えば、なかなか断る勇気がない私。
もう1件、小さい仕事も入り、なんだか忙しい最終週になりそうだ。

そんなことになると思っていなかったので、まだ余裕があった頃に、23・24日の夫との1泊近場旅行を決めた。
でも、これも数日前に決まり、あかん、年賀状いつやるねん・・・もう25日しかないで!と思っていたら・・・

訃報。

それは23日の旅行中の出来事。
夫へ1本のメール。
夫の母方の祖母が亡くなったという。

旅先でどうにもできず、とりあえず次の知らせを待つ。
その後、25日の午後からが告別式と知り、徳島へ行くことに。

旅先でもなんとなく暗い気持ちで過ごした。
いろんなことが間に合うのかな・・・という不安もあり、少し気持ちが重かった。
それでも、今はどうにもならないんやし、せっかくやから楽しもうということで、2日間は楽しく過ごした。

そして、昨日、朝早くからバスで徳島へ。
夫の両親とお兄さんは前日から車で来ており、お通夜、いろんな準備と追われていたようだ。
そのうえ、ひどい雪!!
山奥なので、かなり積もり、雪かきまで必要だったとのこと。
仕方ないことだが、そんなときに旅行で楽しんでいたことに、なんとなく罪悪感・・・。

告別式は、広い式場で滞りなく行われた。
親族席に座り、たくさんの花の向こうに掲げられたお祖母さんの遺影を見上げる。
生前、お会いしたのはたったの2回。
それもご病気と認知症が進み、会話らしいものはできなかった。
夫もこれまで祖母の思い出を語ったことがなく、全くどんな人なのか知らない。

結婚って、不思議だなぁと思った。
故人と何の思い出もないのに、親族席に座っている。
全く知らないような人だけれど、その遺影の笑顔を見ると、夫のお母さんにそっくりで、
ああ、きっと穏やかでいつもニコニコしていて、周りから慕われていたんだろうな、と容易に想像ができた。
故人の半生を紹介するようなナレーションで、この印象と同じようなことが話されたので、やっぱりそうなんだなと思い、このとき初めておばあさんを近くに感じた。

お棺の蓋を開け、花を供えるときが来た。
係りの人が生花をその場でどんどん切って、順番に渡してくれる。
それを皆がお棺に入れ、おばあさんの顔を見てお別れを言う。

それが始まると、一気に悲しみのオーラが式場に充満し始めて、胸が押しつぶされそうだった。
故人との思い出があって悲しいわけではないのに、涙があふれてくる。
もうこうなってくると、私の「感情移入」も悪癖だ!と思う。
他の親戚が見たら、「変人」か「偽善者」にしか見えないので、絶対泣いてはいけないと歯をギリギリと食いしばっていた。
とにかく、お母さんを見ないように見ないようにと努めていた。
目に入った瞬間、もうお母さんに感情移入して、自分のことじゃないのに涙がどっとあふれてくる。
もうほんまに、この悪癖よ、勘弁してくれ!!と思った。
まとわりつくような悲しみのオーラを振り切って、逃げ出したいような気持ちだった。

なるべく心を無にして、おばあさんの顔を見る。
小さく、でも、きれいなお顔だった。
ただ、「ありがとうございました」と心の中で頭を下げた。

90歳。
天寿を全うしたとか、大往生という言葉にふさわしい年齢。
大正、昭和、平成と生きてこられた。

夫のいとこ夫婦がまだ生まれたばかりの小さな赤ちゃんを抱いているのが後ろの席から見えた。
大人たちの悲しみなど知る由もなく、ただ笑顔できゃあきゃあと小さく声を上げる。
それを見ていたら、「生」と「死」の尊さをただ感じた。

逝く者がいて、生まれてくる者がいる。
こうやって、脈々と受け継がれていく命。

なんのために?どうして?
そんな想いを抱えながら、赤ちゃんと遺影のおばあさんを交互に見つめていた。
そして、改めて思った。
今、私が夫と幸せに暮らしているのは、夫のご両親のおかげ。
そのご両親を育てたのは、おじいさん・おばあさんたち。
そして、その方たちを生み育てたのは、もっと昔からのご先祖様・・・
自分の中から自然に感謝の気持ちがあふれてくるのを感じた。

告別式の後、焼き場へ行って、近代的なエレベーターの入口みたいな中に、おばあさんが消えていくのを見送って帰ることにした。
まだ親族の集まりがあったけれど、バスの最終だったので仕方なく、途中退席した。
すっかり親しくなった親戚のおばさんたち(お母さんの姉妹)が、いつも通り、気さくに笑顔で見送ってくれたことにホッとした。

夫はかなり疲労していた。
私は疲れよりも、安堵のほうが大きかった。

街にはジングルベルが流れているのに、真言宗のお経を聞くことになるとは思わなかったが、なんとかお別れに間に合ってよかったと思った。
三宮で適当な居酒屋に入り、ビールと熱燗を飲んで帰って来た。
寒い、寒い夜だった。
夫はなぜか意地になったように、コンビニでクリスマスケーキを探していた。

そんな2011年クリスマスの夜。


2011年は、お葬式に始まって、お葬式に終わった。
1月には高校時代の先生、間にうちの親戚のおばさん、そして、最後の最後におばあさん。

家の中は大掃除どころか荒れ放題で、年賀状もまだできていない。
今週は仕事も詰まった。
結局、慌しい年末になってしまった

そして、なんとなく淋しい。
自分では何が原因なのかわからないのだけれど、人とうまくいかないことがあって。
でも、もう自分から動く気力も失われた。

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」

漱石の一説がふとよぎる。

兎角に人の世は住みにくい。
でも、なんとか少しでもマシな人間になって、今日も生きていかなければ。

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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-12-27 11:50:36
なるほど、不思議なタイトルの訳はそんなことがあったんやね・・・。結婚して家族になるとお葬式とかに深い意味を感じるようになるよね。おばあ様もかおりちゃんが親戚の方に可愛がってもらってるの喜んでくれてると思います。
かおりちゃんとイエス・キリスト生誕劇(聖歌隊)をやってから34回目のXmasかぁ。「てぶくろ」劇から35回目。娘が同じ歳になったよ~
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Unknown (ぁゃ)
2011-12-27 11:52:43
コメントにまた名前入れ忘れてしまいました~
いっつもごめんなさい
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 (かおり)
2011-12-27 21:58:37
>ぁゃちゃん

劇、なつかしいね!
写真残ってるよ~
ぁゃちゃん、めっちゃかわいいの!!
劇に出たくてセリフを通しで全部覚えたのに、聖歌隊にまわされたのが悔しかった!
(実際出てる子は覚えてないし・・・)

かやのちゃんが同じ年!!
なんか時の流れが怖いね(笑)

ホント、今年のクリスマスは大変でした。
でも、おばあさんとお別れできたのは本当によかったと思います。
そのことを夫のお母さんが喜んでくれたのも嬉しかったし・・・
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