明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

誕生日の過ごし方

2009-05-27 13:35:59 | 生活
昨日は誕生日だった。
何歳になったのかということはあまり考えずにおこう。

とりあえず、朝から晩までひっきりなしにお祝いメールが届き、
プレゼントも宅配でいくつか届いたりして、
しみじみと友達や周りの人に感謝した。

父親からもメールでグリーティングカードが届いていたのだが、
メッセージが微妙だった。

何か感動的なこと書いてあるのかな、と思ったら……

   一年が早いなーと思ったら、中年のしるし

と書いてあった

名コピーである。
まあ、他にも健康に気をつけて、毎日充実して……みたいなこともあったけど。

なんか誕生日に仕事するのもイヤだなーと思い、
午後から梅田に出かけた。
阪急の7階で「くるみの木」の25周年イベントが催されていたからだ。

「くるみの木」というのは奈良では有名な生活雑貨のお店。
食事もできるし、別の場所にはかわいい宿泊施設もできている。
一度でいいから泊まりに行きたいなぁ。

友人からこの催しのことを聞き、最終日ということもあったので
とりあえず見に行ってみた。
いろいろ素敵な雑貨があり、職人さんの手づくりのものなどは
見ているだけで楽しかった。

器では特に買おうというほど惹かれるものはなかったが、
木の細工ものは非常に美しいものがあって、
かなり長い時間それを手にとって眺めていた。
買えばよかったかなぁ。

結局、前に雑誌で見て欲しいと思っていたお布巾を買った。
お義母さんにもあげようと思い、2枚買った。
あとは、菜箸。
吉野檜で作った手作りのもの。



これまで食事用のお箸は気に入ったものがあったのだが、
菜箸・お取り箸はどうも気に入ったものに出会えていなくて……
中途半端なものを買うよりは……と安物を使っていたので
ずっと気になっていたのだ。
これは一目で気に入ったのでよかった。

それから、夫が喜びそうな鮎のあぶりやふりかけなども購入。
また、お義母さんにあげる「のどぐろご飯の素」なども。

やっぱり職人の手仕事の雑貨や美しいものを見ると
心が癒される。

家に帰って買い物に行き、食事の用意をした。
私の誕生日だからと、夫は8時半くらいに帰宅。
ケーキを買ってきてくれたので、ささやかな誕生日パーティーをした。



メインはお寿司で、この後、私が握った。


↑この日のネタ。

自分の誕生日に、自分で寿司を握る女……

うちでは結構定番になっていて、
「ヘイ!今日は何を握りましょか!ぶりとろのいいやつ入ってますぜ、旦那!」
「おう、じゃあ、それを握ってもらおうかい」
と、なぜか江戸っ子ふうの寿司屋として会話が交わされる。
そして、握りたての寿司は、買ってくるより美味しい。
(そりゃ、外で食べればまたワンランク上の美味しさだけど……)

ケーキも美味しかったな。
たまに夫が買ってきてくれる、会社の近くにあるというケーキ屋さんのもの。
スポンジケーキって、私はあまり好きじゃないのだけど、
ここのは美味しかった。

あと、私のお気に入りのクレーム・ブリュレも。


(さすがにこれは今朝食べたけど……)

ちょっとしたことばかりなんだけど、
ほのぼのとして心癒される誕生日になった。
感謝。

というのも、実は誕生日の朝は4時半頃までお酒を飲みながら
しくしく泣いていたのだ。
どうも最近、鬱になっていて……。

特に何があったというわけではないのだけど、
いろんなことが中途半端で、どこに向かっているのかわからない自分に
なんだか嫌気がさすことが多くて。

さて、どうしたもんかと。

いろいろ愚痴っぽいことをここに書いていたけど、
やっぱりアップしなくてよかったかな。
いや、また改めて書くかもしれないけど……
勢いというか感情のままに書いたものを
人様にお見せしなくてよかった。

とりあえず、ちゃんとやろ。
もう少しいろんなことを。

誰かに認められることやお金を稼ぐことと、
自分が書きたいものとをごちゃまぜにしないことがまず第一。
これを混同した瞬間から、
ぐるぐるとまわり続けるスパイラルから逃れられなくなる。

今、やらなければならないのは、
「本当に自分が書きたいものが、まだあるのか」を
自身に問いかけ、答えを出すことだ。

ライターという職業を選んだ時から、私は逃げ続けてきたのかもしれない。
もしかしたら、一番してはいけなかったことなのかもしれない。

昔、旅先で野上弥生子の文学記念館に行った時、
こんな彼女の言葉が印象的だった。

「私は自分が書きたいと思うもの以外は、どんなにお金を積まれても
1行だって書きはしません」

細かい言葉は忘れたが、このような内容だったと思う。
学生だった私はひどく感動して、私もそうありたいと願った。
あの頃の気持ちはどこへ行ってしまったのだろう。

全く別の職業に就いて生活を確保しながら、
趣味として自分のやりたいことをやっている人は山ほどいる。
趣味よりもう少し本気でも、例えばバンド活動をしたいから、
あえて定時に帰れる公務員になるとか、そういう人もいる。

私もそんなふうにすれば、今も書き続けていられたんじゃないのか、と思う。
それが「認められるかどうか」ではなく、単に「続ける」が大事だった。
かといって、会社勤めは絶対に無理な性質だし、
文章を書くか教えるくらいしか、仕事になりそうな能力もない。
つまりは社会への適応性がなく、無能ってことなんだけど……

まあ、過去をふりかえって「あの時、もし……」と言っていても仕方がない。
まずは、まだ自分に書きたいものがあるのかを確かめること。

岡本太郎が言っていた。
「どう描くか、じゃない。何を描きたいか、なんだ」と。
この「何を」がなければ、芸術は生まれない。人は動かせない。
大事なのは、技術じゃないんだ。

こんな根本的なことに、今、立ち返る自分。

自分にとって一番大切なのは何なのか。
どうすれば、トラウマから逃れられるのか……。
考えなければならないことはいっぱいある。
一つ一つ、しっかり考えてクリアしていきたい。

そんなことを決意した、誕生日の夜。