五山の送り火が終って

2008-08-20 21:35:59 | 歴史と散策

   昨年8月に京都新聞では、京都おもしろ宣言の一貫として「五山の送り火」のシリーズを掲載し、五山(大文字・妙法・舟型・左大文字・鳥居)の特徴とこれを維持する人達の苦労話を理解することができた。今年は、山科アスニーにてNPO法人大文字保存会理事の久嶋憲二郎氏の講演を事前に聞いたので、昔話を含めてこの行事の理解度がさらに深まったと思っている。
   私は学生時代を東山地区で過ごしたので、五山の送り火といえば標高466mの大文字山の「大文字」である。登山した経験も数度あるが、地元の人達の仕事は、2月頃の残雪の中でアカマツの伐採作業を始める。そして割木を4~5月まで乾燥し、600束という大量の割木を75ヶ所の火床に積み8月16日の午後8時に一斉に点火する。
   この状況はテレビ・新聞などでくわしく紹介されているので、今年は翌朝の大文字山の状況を観察するため、今出川通の浄土寺橋の西に出かけた。
                    

   午前10時頃には、すでに約40名の人達が送り火の後始末の作業に従事していた。すべての作業が手作業であり、山の急斜面での仕事の辛さを痛感した一刻であった。
   琵琶湖疏水の歴史を回顧すると、第一疏水の竣工式を盛り上げるために祇園祭の月鉾・鶏鉾など4基が出動し、大文字の臨時点火が行われたと報じている。またロシア皇太子の入洛や日露戦争の祝勝記念として点火されている。地元の宗教行事といわれる五山送り火を観光事業として利用することの是非は現在でも問われている問題であるが、京都の四大行事の一つと言われる五山の送り火の維持への行政面での支援体制が必要と考える。