平城京の朱雀門を訪ねる

2008-08-15 22:41:08 | 歴史と散策

    学生時代は戦前戦後の混乱時代を過ごし、会社時代は化学分野の研究開発に集中したので、72歳で退職したときの日本史・世界史の知識は恥ずかしいくらい乏しいものであった。京都市に住居を構えたので、琵琶湖疏水をテーマとして京都の歴史の勉強をしようと考え、仲間に教えられながら8年を経過したのが現状である。
 今回、所用で奈良県境にある京都府木津川市を訪ねたとき、近くにある平城京跡地を見学したが、その敷地の過半が国有地であり、大規模な復元工事が国家事業として進められていた。 平成10年(1998)には、奈良市百周年記念事業の一つとして「朱雀門」が復元され、来る平成22年(2010)には、平城遷都1300年記念事業として、第一次大極殿の復元工事が進められている。平成22年(2010)度は琵琶湖疏水竣工120周年記念の年であるが、平城京の建物の復元工事では古代に使用された大工道具を用い、唐の首都長安城の様式を忠実に再現しているので、完成が待たれている。京都の平安京は、平城京完成の74年後に完成しており、同じく唐・長安の様式を採用している。
 
720年に建造された 平城京の復元朱雀門          794年に建造された平安京の復元応天門
      平成10年(1998)に平城京跡地に復元           明治28年(1895)平安神宮として復元

 琵琶湖疏水の取水地は大津京の建設場所にあり、大津京を造った天智天皇の御陵が山科疏水に沿って存在する。平成14年(2002)11月に開催された猪熊兼勝教授(橘大学)の講演会で、天智天皇山科陵の位置(東経135度48分)と同じ線上の約70km南にあるキトロ古墳・高松塚古墳・天武持統天皇陵・藤原宮大極殿跡地があると聞き驚いた。
 西暦年号(括弧内)は正確でないが、大津京(667)→藤原京(694)→恭仁京(745)→紫香楽宮(745)→長岡京(787)→平安京(794)と百数十年の間に遷都を繰り返した大和時代の終わりから奈良時代を経て平安時代に至るまでの歴史を、素人レベルで少し調べてみたいと思っている。最近の考古学はハイテク機器の活用や時代考証技術の進歩で、新発見や新解釈が続出している熱い学問分野になっているからである。