前報(08-09-25付)の末尾に、最近「作品社」から発刊された「シスレー」を早く読みたいと書いたところ、京都府立図書館にあると聞き閲覧させていただいた。この本の著者レイモン・コニア(明治29年[1896]生まれ)は、フランスを代表する美術評論家で、印象派および後期印象派のすぐれた評論家であり、欧州で発刊された初版は1968(昭和46年)であったが、日本では翻訳されていなかった。
今回日本で発行された翻訳本は、B5サイズで絵画100点を含めて190ページの本で、この中に翻訳者作田清氏の解説が50ページ含まれており、原作は140ページの小型の冊子であったと想像される。読後感としては、私のような美術の世界に疎いものにとってきわめて理解しやすい表現で翻訳されており、解説もわかりやすく、一気に読ませていただいた。
私が美術館や展覧会で集めたシスレーの絵葉書の一部
京都周辺で、シスレーの解説書として閲読可能な本は少なく、私自身が所有する幾つかの美術全集にも印象派画家群の中の一人として紹介されているに過ぎないが、今回のレイモン・コニアの著書が、その後のシスレー紹介のオリジナルになっているように感じた。
昭和51年(1976)に小学館から発行された「世界の美術」第7巻・印象派の巨匠たち「アルフレッド・シスレ」著者(フランソア・ドールド)翻訳者(松本芳夫)、A3版の大型冊子が近くの山科図書館にあるので、よく覗きにいくが、この本は1000点に達するシスレー生涯の作品リストを紹介している。シスレーは孤独な人で比較的話題の少ない生涯を送っているので、今後はこの2冊を繰り返し読み、機会があれば展覧会で実物を楽しみたいと思っている。
今回のレイモン・コニアの翻訳本で、晩年のシスレーの生活が詳しく表現されているので、その一部を紹介する。
シスレーは貧困の限界で生活をつづけたが、製作と美術展への出展を止めなかった。しかしその運命を変えることはできなかった。この過程で彼の妻は1898年10月に病没し、シスレーは喉頭がガンで1899年1月妻の死を追うように亡くなった。
その2ヶ月後の3月にニューヨークで彼の絵28点が展示され、27点が総額11万2320フランが売れた。1876年の作品「マルリーの洪水」が当時として破格の4万3000フランの値がついたという。死後すぐあとに市場で評価されたのである。
フランソア・ドールドの作品総目録によると、総作品(約1000点)中、風景画以外の作品は…静物画9点、人物画2点、室内画2点であり、風景画の中の人物は人間としてではなく風景の付属物として小さく描いている。屋外の風景画に徹した不器用で生前恵まれなかった画家の絵を今後とも楽しみたい。
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