蹴上浄水場建設当初の話題

2009-10-09 13:31:41 | 琵琶湖疏水

 琵琶湖疏水記念館の配布資料の年表によると、蹴上浄水場(水道創設事業)建設に着手したのが明治42年(1909)5月であるから、今年は100年目にあたる。日露戦争後の資金調達の困難性からフランス資金(外債発行)で着工したが、比較的水資源に恵まれた京都の水道事業は、横浜に近代水道が完成してから20年遅れてスタートしたのである。

 先行した各地の浄水場は、文政年間(仁孝天皇時代)に英国で開発された「緩速ろ過方式」が採用されたが、効率面で優位な急速ろ過方式が米国で明治5年(1872)に開発され、蹴上浄水場は日本最初の「急速ろ過方式」を採用した浄水場となったのである。

 急速ろ過方式では、凝集剤硫酸アルミを用いて不純物を凝集沈殿させる方式で、緩速に比べて30倍早い速度で処理できるため、設備面積も投資額も縮小され、狭い敷地に悩む蹴上浄水場にとって有利なプロセスであった。

 また、山科疏水の第10号橋・第11号の建設で明治37年(1904)に確立された鉄筋コンクリート技術が、わずか5年後の蹴上浄水場の建設にフル活用されたのである。

 蹴上浄水場建設当初の京都市の人口は約50万人で、水道を利用したのは約4万人という記録があるが、処理能力の大きい急速ろ過装置はその後の人口増加に対応していった。

しかし、水の味覚の面からいうと緩速ろ過のほうが微生物効果による臭気減少が期待できるし、急速ろ過に必要な塩素殺菌(次亜塩素酸ソーダ処理)による塩素臭のない利点があったが、現在は活性炭処理法を活用して対応している。 

昭和63年(1988)から平成2年(1990)にかけて、京都新聞は「疏水史を見る」と題した98回の連載記事を載せているが、その中に「蹴上浄水場の創設」を16回、「水道管の敷設」を16回と全体の3分の1のスペースを割いて紹介している。1回毎に大型写真がついているのできわめて興味深い。主要図書館や府立総合資料館で閲覧することができる。


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