日文研公開講演会・環境考古学について

2010-05-25 13:13:48 | その他

 私は昭和16年(1941)旧制中学に入り、大東亜戦争(当時の呼称)の終戦を金沢の旧制高校で迎えた世代の人間であるが、その頃の私の夢は考古学の学者になり、中国大陸の古墳発掘をすることであった。当時、私の考古学のイメージは古代史を辿って遺物を探す事務系の学生が目指す学問であり、現実には戦時中であり、技術系を目指した。
 化学技術者としての会社生活を終えて、琵琶湖疏水をテーマとして取り組んでいるが、昔の考古学の夢が尾を引いて、考古学の年代推定に関する新聞記事のファイルを作って約10年経過した。この中で記憶に残っている項目の一つに「環境考古学」の分野があった。
 平成13年11月に「長江文明」の国際シンポジウムが日文研で開催されたとき、安田喜憲教授が“いま、世界各地で数万年分に及ぶ湖沼の堆積物や、大河の水位変動を年単位で調べるプロジェクトが進んでいる”との記事があり、素人ながら記憶に残っていた。
 今年の日文研公開講演会「環太平洋の環境文明史」の中に安田喜憲教授の名を見付けたので、予定を変更して講演会に出席させていただいた。

 安田教授が「環境考古学」という新しい研究分野を提唱したのは昭和55年(1980)といわれている。それから30年経過した今回の講演会は、安田チルドレンと自称する弟子たちが主役であり、安田教授の講演「環太平洋の生命文明圏:長江文明から環太平洋文明へ」は、弟子たちの太平洋周辺に広がる研究成果とその苦労話の紹介に終始した。
 
   弟子の一人で、英国ニューカッスル大学の中川毅教授の演題「5万枚の縞と50萬粒の粒子を数える:高分解能古気候復元の最先端」は、若狭湾の三方五胡の一つ、水月湖の湖底地層をボーリングして土壌を採取し、その年縞(ねんこう)から地球の気候や環境変動のメカニズムを解明する研究で、5万枚の縞は5万年の歴史となり、50萬粒を数えるとは各縞が含む花粉や生物の痕跡、金属などを顕微鏡で数えるという意味である。
   これまで過去の気候変動を知るには「放射性炭素同位体法」を用いていたが、1000年前の精度は±100年の誤差がでる方法であった。しかし、年縞法では1年ごとのデータが把握できるので、精度が大幅に向上する。この年縞法を見付けたのは平成3年(1991)と記載されているが、世界的に最先端技術として注目されており、5月18日から若狭町で開催された国際会議の紹介記事には「15萬年刻む水月湖底の地層…地震の予測に活用も…年縞で地球の変化を探る」「湖の土がここまで解き明かす」という見出しがついていた。
   地球の歴史を塗り替えるこの新技術の講演会に出席し、安田教授のユニークな人柄に触れ、その成果が世界的に活用されていることを知った喜びで、終日興奮が止まない一日であった。