英国の世界遺産、アイアンブリッジ峡谷について

2010-05-06 11:07:08 | その他

   去る4月7日、国際交流会館で「琵琶湖疏水と世界遺産」と題した講演会に出席する機会を得た。講師は産業遺産分野での世界遺産認定で著名な英国人スチュワート・スミス氏であったが、その内容に感銘したので、スミス氏の活動状況について調べてみた。
   以下記述する内容は、すでに多くの発表があり、専門家の間ではよく知られたことで、新しい情報は全くないが、スミス氏の経歴と成果について私の記憶の整理を兼ねて補足調査を実施したものである。

1)「アイアンブリッジ峡谷」の開発経緯
 ロンドンの北西190km、マンチェスターの下方にあたるシロップシャー地方のセバーン川流域には、製鉄に必要な鉄鉱石・石灰岩・石炭などの原料が露出して存在し、川が広く深いので、製品を海に運搬しやすい立地であったため、17世紀頃から製鉄業や諸工業が盛んであったが、原料の木炭資源(森林木材)が枯渇して事業は衰微していった。しかし、コークスを原料とする新製鉄技術が発明されたことが契機となり、蒸気機関など数多い産業機器が開発され、世界の産業革命の原点となった地域として知られている。
 当時セバーン川には橋がなく、対岸への物資の大量移動がむつかしいので、架橋が望まれていた。そこで世界最初の鉄橋を建設することになり、1775年に着工され1779年に完成したが、当時日本は江戸時代中期であり、アメリカが独立宣言をした3年前であった。

 橋の構造は、経験のある石造アーチ型を採用し、鋼材のない時代で鋳鉄・錬鉄を用いた。部品の接合にはボルト・ナットもなく、木造に用いられるクサビやホゾ穴を採用し、60mの鉄橋を建設したが、230年経過した現在まで洪水にも耐え、現在も人道として活用されている。
 (ちなみに日本最初の鉄橋は、明治2年(1869)に長崎に架けられた橋であるが、現存する橋は鉄筋コンクリート橋に改造されている。)
 このアイアンブリッジを含む峡谷全体は、昭和61年(1936)の世界遺産に認定されている。(写真がないが、ネットで簡単にみることができる)

2)アイアンブリッジの世界遺産に尽力したスミス氏
 スチュアート・スミス氏の経歴を講演資料より引用すると、国際産業遺産保存委員会(TICCIH)の事務局長であり、英国の国際記念物遺跡評議会(ICOCOS)の産業考古学部門の代表として世界遺産の査定に関わり、ユネスコとも深い関係を保っている。
                
 スミス氏は、長期にわたりアイアンリッジ峡谷を世界遺産にするため、責任者として従事し、昭和58年(1983)から平成2年(1992)まで「アイアンブリッジ峡谷博物館の館長を務め、昭和61年(1986)には「アイアンブリッジ峡谷」が世界遺産に認定され、平成2年(1992)イギリス南端部のコーンウオール地区にある鉱山遺産の世界遺産認定に尽力している。近畿産業考古学会所属の友人に伺ったが、産業遺産の保存の考え方を作り上げたトップレベルの人物で、日本にも多くの友人がいるそうである。
 これらの地区の産業遺産は、スミス氏の指導で保存に留意され、観光面からも成功しているので、学ぶ点が多いと考えられる。
  琵琶湖疏水の主要産業遺産を見学したスミス氏は、単体で申請するには弱いテーマと思うが、短期間で世界の追いついた点に価値があり、疏水を利用した飲料水の確保、国内初の水力発電の実施など周辺との結び付きの中で評価されるとの示唆を受けた。