ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

「佐々並」へ吟行で~す!-夏木原-

2021年11月05日 | 俳句

 今日は朝からいい天気で、日がしっかりと差して風もありませんでしたので、ラジオ体操はとっても気持の良いものでした。

 女性はいくつになっても女性ですね。日差しがちょっと強いと…ほら、おかしいでしょう。電信柱の影に入って一列になって…体操をしているんですよ。(私がスマホで撮ってる影も…映ってる!)

 今日は宇部市芸術祭の俳句応募作品の選句締切りでした。早く出せばいいものを…何やかやとで遅くなり、直接持って行くことにしました。

 この頃土日の郵便配達がなくなったので非常に困ります。これに祝日でも入ってくると締切りに間に合わないということが結構ありますので、その時は速達に…。何だか苦労が一つ増えたみたい!特に何でも遅くなってしまう私のような人間にとっては…ね。

 さて、「佐々並」の吟行会の続きです。〝六軒茶屋〟の次は、吉田松陰の碑がある〝夏木原(なつきばら)〟に寄りました。

 この夏木原は、「萩往還」のほぼ中央に位置していて、この歴史の道を歩く人たちのための休憩施設や緊急避難施設として活用できる「萩往還夏木原交流施設」があります。平成24年4月にオープンしたもので、施設には、無料休憩所、屋外トイレ(簡易水洗)など、誰でも無料で使える施設の他、有料の宿泊施設やシャワー室など、萩往還をより快適に歩くための施設が完備されているんですよ。しかし、今現在はコロナ禍のためにまだ休止されていました。

 ここには、史跡として「吉田松陰東送(とうそう)の碑」があるんです。その漢詩は…

 (われ)を縛(ばく)し、台命(だいめい)もて関東に致(おく)        
 簿(ぼ)に対し心に期す  昊穹(こうきゅう)に質(ただ)すを  

 夏木原頭(なつきげんとう) 天雨黒(くら)く                     
    満山
(まんざん)の杜宇(とう) 血痕(けっこん)(くれない)なり           

 この意味は、現地の案内板に次のように…

 江戸幕府により東送を命ぜられた先生は、安政6年(1859)5月25日、萩から江戸への途中一行と共に、萩往還に沿うこの地で、しばしの休息をとられた。そのときの感懐を、先生はこの漢詩(七言絶句)に託されたのであった。その意は、「私は幕府の命令で江戸に送られるが、自分の真意は天の神に正したらわかるはずである。自分は公明正大である。ここ夏木原では、五月雨がしとしとと降り、ほととぎすがしきりに鳴いている。ほととぎすは血を吐くまで鳴くと言うが、その血で、このあたりのさつきつつじも真紅に燃えている。自分の胸中もまた同じ思いがする。」と。わが国の現状を憂い、行く末を案ずる先生の心情がよくあらわされている。先生時に満28歳。(「吉田松陰先生と夏木原」より)

 また、ここには以前「氷室」があるというので見に来たことがありましたが、今回は奥の方へは進入禁止でした。でも、辺り一面が真っ赤に紅葉していてとても見事!写真に撮るとまるで花が咲いているみたいでした。でも、見れば傍には〝まむし注意〟の札が…コワい!

 「氷室」とは、冬にとった氷雪を夏まで貯蔵しておくための室、山陰に掘った穴をいうのですが、ここのは、地面を掘り下げ、茅荻などを敷いて氷をその上に置き、屋根を草で覆って保存し、 暑い夏に利用するという、『日本書紀』にあるような本格的なものでした。しかし、ネットで調べてみましたら今は骨組みだけになってしまっているとか…。確か随分前にこの氷室の実験をしていましたが…今のような地球温暖化では冬の氷が夏まで溶けずに残っているのもやっぱり無理だったような…そんな記憶がありますね。でも、これから行く佐々並の道の駅では、昔「氷室の桜」というのを夏に売っていたので買って帰ったことがあるんですよ。もう何十年も前の話…懐かしいことを思い出しました。

 では、今日もここまで、つづきはまた次回に…

コメント (4)
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