いよいよ今日から3月。朝から小雨模様でしたが、だんだん天気がよくなって晴れてきました。でも気温はそれ程高くはなく、まだエアコンがないと寒いです。
このところ風邪薬と痛み止めを飲むせいか、何をしてもシャンとしませんし、すぐ眠くなってしまいます。昨日も何をしていたのか…午後になって寒気がするので炬燵に入って、そのうちウトウト。いつのまにか寝てしまったらしく、急にトイレに行きたくなって目が覚めました。そのあと、部屋の電気を消して……次に何をしたんでしょう?さっぱり覚えてないのです。が、主人は私の様子から察したらしく、〝おい、まだ夕方だぞ〟と。〝エエッ、…〟と。そうなんです、朝かと思ってしまったようです。
毎朝のラジオ体操やフラダンスも行けなくなり、文化講座の俳画や健康体操もなくなって、外にも出られないし、一日中PCか新聞、書物という暮し。買物へも行かないで家にストックしたもので何とか凌いできましたが、風邪の鼻水がどんどんヒドくなって、とうとうティッシュペーパーがもう一箱しか残っていません。
これでは困るので、主人に買出しに行って貰いました。帰って来た途端、〝ティッシュもトイレットペーパーもな~んもないぞ!〟と。都会ならいざ知らず、こんな田舎なんだからと、たかをくくっていました。ああ、オイルショックのときでさえ我が家は買いだめなんかしなくても済んだのに。だから、そういうニュースが流れていてもあまり気にしなかったのに…。そういえば、都会にいる子供や親戚からマスクを買って送ってくれとか言われたと…。東北大震災のときは、水を送るというので、スーパーや自販機などみんな売切れだったような。昔から歌にありますよね。〝踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃソンソン…〟と。そういうことでしょうか。バカみたいですが、やっぱりみんな〝踊る〟方を選ぶんですかね。でも、本当に困る人のこと考えてほしい!
さて、さて、昨日のつづき…です。
横瀬八旛宮の縁起絵巻を鑑賞した後、1327年(嘉歴2年)に志賀将監大夫が長門末信(現宇部市末信)の正八旛宮を横瀬の地に勧請したのを創建とする、齢700歳近くの横瀬八幡宮への参拝です。境内には天満宮でもないのに牛の彫刻が設置されていましたが、これは、明治時代に施行された1町村1社を原則とする神社合祀令により、天満宮が八幡宮に合祀された名残なんだそうですよ。イブキかな…大きな木が1本ありました。もうじきですが、春は桜がキレイで、桜祭りもあるんですよと、地域の方が言っておられました。
次はこの上小野周辺の散策です。途中にあった〝庚申(こうしん)塚と疣(いぼ)神様〟、蔵には鏝(こて)絵があったり、金持ちの象徴のむくり屋根(上に向って凸形に湾曲している)だったりと。また、マンホールの蓋も始めて見るデザイン。〝下水〟や〝汚水〟というのは知ってるけど〝しゅうはい〟とは?炭焼き小屋もありました。
これらの説明や案内役は、上小野の地域おこし団体のお世話をされている井上和司さんです。私は、最近新聞やテレビでこの方の報道されているのを見たばかりでしたから、感激!先程のマンホールの蓋の〝しゅうはい〟というのも〝集落排水〟のことだと教えてもらったりして、とても気さくな方で話が盛り上がりました。若いときの職場で俳句を作って毎月持って行かないといけなかったので、ちょっぴり齧ったけど…難しくてやめたと。この里山に戻るまでは都会でずっと働いていたとも。〝では何をされていたんですか?〟と聞くと、〝想像出来んことや。当ててみい〟と、教えてもらえませんでした。〝人生なんて分からんもんや。今こんなところでこんなことを自分がしているなんて…〟という言葉が、妙に実感が籠もっていて、心に残りました。
この地域おこし団体の名前を「やびつ山荘」といい、2000年に地元有志と立ち上げ、2013年、国道沿いに本拠地を構え本格的な地域活動を開始されたんだそうです。併せて、お米、椎茸、木炭、薪の生産販売なども行っていると。今回はその〝椎茸狩り体験〟が組み込まれているんです。その前に集会所に戻って、地元の食材で地元の方々が作られた昼食をいただきました。特にご飯とご汁はお代わり自由で、とても美味しかったですよ。私もついつられてお代わりをしてしまいました。アハッ…
食事が済むと、いよいよ〝椎茸狩り体験〟です。当初の計画はお一人様5個までで、それを超える椎茸は1g1円での買い取りということでした。ところが、今日は特別ということで、渡されたビニール袋に詰め放題だと…、もうみんな喜んで必死。だれもが袋からあふれるほどの収穫でした。どなたかが連れてこられていた柴犬の〝はなちゃん〟も大喜び!
この後は会場を移して、紙漉き体験でしたが、これはまた次に…