今日は東日本大震災のあった日、2011年3月11日…忘れもしません。というより余りもの衝撃的映像が目に焼き付いて離れないのです。あれからもう9年…昨年の11月末に、宮城県名取市の〝閖上(ゆりあげ)の記憶〟を訪ねてその後の復興の様子を見ましたので、より一層実感が湧きます。(これは11月22日のブログ・「東北大震災の〝閖上の記憶〟」をどうぞ。)
あの何もない、きれいに整地されただけのだだっ広い空間に立てば、ここに5千人以上の人が住んでいて、その家々が一瞬のうちに消えてしまったということ…もし復興されて家がきれいに立ち並ぶ町になってしまっていたとしたら、50年後の人には現実のことに思えるでしょうか。更にこれが100年も経てば、体験して記憶に残っている人たちも殆どいなくなるでしょうし…。考えてみれば、何もかもそうかも。戦争しかり、原爆もしかり…、75年が過ぎようとしている今日、もう実際を知って伝えられる人々は殆どいなくなってしまいそうですもの。だからこそ、残すべきものは残して、後世へしっかり伝えていかないといけないと思います。
昨日の3月10日も、実は昭和20年のこの日が第二次世界大戦下の東京大空襲の日でした。これは「東京大空襲忌」として季語になっていますが、今日のこの東日本大震災の日はまだなってはいません。
土筆なと摘まな三月戦災忌 上田五千石
この句は、「土筆(つくし)」や「三月」という季語が重なっていますので、紛れもなく春の句と分かるでしょうし、「戦災忌」となっていますからいいのですが、この東日本大震災を、「震災忌」や「震災記念日」として詠んでしまうと混同されてしまいますので、気を付けましょう。これは、歳時記では大正十二年九月一日の関東大震災のことですから、秋の句になるのです。例えば次のように…
わが知れる阿鼻叫喚や震災忌 京極紀陽
じゃあこのような他の震災をどう詠めばいいのかが問題になりますよね。実際に起こった災害を目にしての実感、俳人ならばそれを何とかして詠みたいと思うでしょう。そういう心にこみ上げてくるものがあるとき、しっかり詠み残しておきたいものです。そんな時は、「東日本…」とか「東北…」また、「阪神(淡路)…」とかいうように、その地域名を入れるか、ずばり「三月十一日」などとして詠むのもいいでしょう。あるいは、そういう語を用いずにそれと分かるように詠むことはいくらでもできます。次のように…
高野ムツオ(「小熊座」現主宰)氏は、東日本大震災復興支援俳句コンクールを企画し、自らも多くの震災句を詠んでおられます。
車にも仰臥という死春の月 高野ムツオ
陽炎より手が出て握り飯摑む 〃
みちのくの今年の桜すべて供花 〃
また、阪神淡路大震災では、次のような句が…
阪神忌天幕の灯は野外ミサ 小路紫峡
あをあをと空あり阪神震災忌 角川春樹
白梅や天没地没虚空没 永田耕衣
特に最後の永田耕衣の句は、神戸市の自宅が倒壊し、その瓦礫の中から救出された氏の実感でしょうし、その時に咲いていた〝白梅〟がどんなに神々しくも美しく健気に見えたことでしょう。そこに全てが凝結されていますね。
以前俳人のどなたかが仰っていたことがあるのですが、8月15日を「敗戦記念日」というのはけしからんと。「敗戦日」ならまだしも、あれは記念の日ではないだろう。原爆にしたって広島・長崎合わせて50万人以上の人が亡くなっているのだから記念日とは言わない、それと同じくこの戦争でも300万人以上の人たちが犠牲になったんだから、これは当然〝敗戦忌〟と詠むべきだと。
割箸の割れのささくれ敗戦忌 辻田克己
私も「記念日」というのには、何だか抵抗があります。せめて「……日」というぐらいで詠みたいものだと思っています。
さて、〝八重山諸島5島めぐり〟の続きですが、あと〝西表島〟〝竹富島〟〝小浜島〟〝由布島〟と四つの島を巡りましたので、書き出すと長くなります。それは次回に回して…
今回の写真は、私が骨折するはめになった、ホテルの夕日とハイビスカスの花をご紹介しましょうか。ハイビスカスはどこにでも咲いていて、まだいろんな色がありましたが、…これはやはり南国の花ですね!