植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

金沢の冬2018-14 雪のにし茶屋街、寺町周辺 ②

2018-02-07 04:27:18 | 日記


金沢の観光スポットレポート その819(No.1207)

◇金沢の冬2018-14 雪のにし茶屋街、寺町周辺 ②

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、70近くの寺院が立ち
並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。





■写真は立像寺





■写真は長久寺

〇長久寺の芭蕉句碑

「秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子」





■写真は妙福寺とてらまちや風心庵





■写真は蛤坂標柱と山錦楼









■写真は成学寺

〇成学寺の芭蕉句碑

「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」

□成学寺紹介ページ①

□成学寺紹介ページ②

撮影:2018.1.12-28

(つづく)

金沢の冬2018-13 雪のにし茶屋街、寺町周辺①

2018-02-05 04:07:12 | 日記


金沢の観光スポットレポート その818(No.1206)

◇金沢の冬2018-13 雪のにし茶屋街、寺町周辺①

■写真は新橋より犀川大橋



○雨宝院(うほういん)

千日山雨宝院は高野山真言宗のお寺で、天平8年(736)白山開山の泰澄大師が創建。その後文禄4年(1595)雄勢上人より再興。享保18年(1733)焼失。改築後大正11年(1922)に犀川の洪水で流失。昭和21年(1946)室生犀星などの寄付で復旧。金比羅大権現を本尊にしています。室生犀星が雨宝院の住職の養子になって幼少を過ごしたところ。







■写真は雨宝院





■写真は室生犀星記念館



















■写真はにし茶屋街

撮影:2018.1.25-28

(つづく)

金沢の冬2018-12 雪の長町武家屋敷周辺②

2018-02-04 04:32:18 | 日記


金沢の観光スポットレポート その817(No.1205)

◇金沢の冬2018-12 雪の長町武家屋敷周辺②

■写真は長町足軽資館清水家



〇長町足軽資料館

加賀藩では武士が約11,000人いたうち約5,800人が足軽であったという、他の藩では足軽は長屋住まいであるが、この資料館の通り敷地は足軽で約50坪、足軽小頭で70坪で一戸建てと優遇されていたと言える。
清水家は平成2年まで、高西家は平成6年まで実際に住居として使われていた。その後、住人から金沢市に建物が寄贈され平成9年11月に現在の地に移築された。藩政時代の生活が想像できる貴重な建築物である。

□清水家紹介ぺージ①

長町足軽資料館の庭には雪吊りの全種類がある。

□清水家紹介ぺージ②





■写真は長町足軽資館雪吊り



■写真は長町足軽資館高西家





■写真は大野庄用水



■写真は金沢老舗記念館





■写真は前田土佐守資料館

撮影:2018.1.25

(つづく)

金沢の冬2018-12 雪の長町武家屋敷周辺②

2018-02-03 03:55:23 | 日記


金沢の観光スポットレポート その816(No.1204)

◇金沢の冬2018-12 雪の長町武家屋敷周辺②





■写真は大野庄用水方面から





■写真は鏑木商店新店



■写真は大野庄用水と野村家



〇野村家概要

1583年(天正11年)金沢城に入場した藩祖前田利家の直臣として従ったのが野村伝兵衛信貞。
明治3年の廃藩まで12代にわたって1000坪の屋敷を拝領した野村家(1200石)の屋敷跡。樹齢400年以上といわれる山桃の木や、曲水・落水・名石を配した庭園は見応えがある。残念ながら屋敷は取り壊されて、北前船の商人の豪邸の一部を移築したもの。2009年ミシュランの二つ星に指定された。

□野村家紹介ページ






■写真は野村家







■写真は高田家

撮影:2018.1.25

(つづく)

金沢の冬2018-12 雪の長町武家屋敷周辺①

2018-02-02 04:06:51 | 日記


金沢の観光スポットレポート その815(No.1203)

◇金沢の冬2018-12 雪の長町武家屋敷周辺①

○長町の由来

長町は前田八家の1つ長氏の屋敷があったことから名付けられました。現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級武士から中級、下級武士などが住んでいました。現在では、当時の武家屋敷は殆ど残っていませんがその中で中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子を伺うことができます。

■写真は香林坊側からの長町武家屋敷跡



■写真はギャラリーAXIS





■写真は金沢職人大学校長町研修塾









■写真は鏑木商店





■写真は鏑木商店から大野庄用水を見る

撮影:2018.1.25
(つづく)