ゲームホリック

ゲーム大好きぃ!!でゲーム脳なのであること無いこと書き散らします。

RPGの広がり

2006年03月22日 | 雑記
 刺激は天井知らずだ。はじめは少量の刺激でで満足できても、その刺激になれるにつれてそれでは刺激が足りなくなってしまう。だから酒を飲む人の中で酒に”溺れ”る人が出たり、ひと夏の若さの発露が中毒になってぼろぼろになってしまう。この刺激への欲求は本人の意思とはもはやかけ離れたものであり、現在ではそういう状態は世間では病気と認識されている。

 
 私は酒も薬もやらないが、ゲームホリックであり、ジャンキーである。いい加減ゲームの中の刺激はそのほとんどを経験してきた。だが酒や薬のジャンキーがより大きい刺激をもとめて、その摂取量を増やしたり、より強力なものを摂取したりする傍らで、ゲームジャンキー(一般化して差し支えないと考える)も同様の傾向のものを求める。
 振り返ってこの20年、この国におけるテレビゲームの歴史を振り返ってみると、ノンスクロールの箱庭からスクロールへと新たな技術を得て、その刺激を拡張してゆく。限られた平面世界からの開放。プレイヤーはX軸とY軸方向への移動の自由を獲得することが出来た。
 そして平面の中の自由はジャンルの自由へと拡大された。アクションではせいぜい数キロの移動であったテレビゲームは容量の増加と供に広大な”世界”を手にする。狭いダンジョンから広大な大地までさまざまな”世界”へ行くことが可能ならしめた。広大な”世界”という刺激は近年にいたるまで継続して行く。


 ここではテレビゲームにおける刺激をRPGの中だけで考えてみる。PCゲームで獲得されたスクロールという技術やRPGというジャンルは、下層にあるテレビゲームへと導入される。技術の進展によってゲームはZ軸をも獲得し、”世界”はますます広大になった。それは刺激を求め続けた帰結である。
 だがジャンキーはその帰結に満足するどころか満足を通り越して、閉口してしまった。欲望の結果である広大なフィールドという刺激は面白さには結びつかなくなりつつある。「そんなに広くて、どうするの?」これが私の率直な感想だ。何処にでも行けるが、結局はそれだけ。フィールドが広大になると、その広大さに必然性を与えるためにそこで繰り広げられる物語は広大なフィールドを移動する必要に迫られる。故にプレイは受動的に陥りがちになる。

 現行のテレビゲームでの主流供給メディアはDVD。容量で言えば4・5GB。次世代メディアはこの数倍の容量を持つディスクが使用される。どれほど広大な”世界”が提供されるのだろうか。



 酒や薬のジャンキーは更なる刺激を求めて、良・質ともに増量させる。そして最後には死んでしまう。ゲームの刺激で人は死なないが、ゲームは死んでしまうかもしれない。

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