ゲームホリック

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山崎まさよしと私

2006年01月07日 | 雑記
 山崎まさよし公式

 私の青春期の大半は山崎まさよしと供に会ったといっても過言ではないだろう。もちろん山崎まさよしとは一面識も無いが、ファンとして彼の音楽を受容してきた。

 田舎だったせいもあってか、友達は大抵B'zやラルクアンシェルのファンであったりしたので語り合う仲間は居なかった。そのせいかひたすらにまさやんが出ている雑誌を買いあさって読みふけっていた。ロッキンオンジャパンや音楽と人、ブリッジなどなど。(余談だがあの頃のロッキンオンは最高だった。ロゴと言い、記事と言い、山崎洋一郎編集長時代はアーティストのチョイスも最高だった。)

 そしてひたすらアルバムを聴き続けていた。もちろんいまのところまさやんの最高傑作、『HOME』を。当時はあれしか聞いていなかった。そして喉から血が出るほどに歌っていた。いや実際に喉から血が出ていた。自分で言うのもなんだがあの頃は本当に山崎まさよしだった。恥ずかしながらも録音した歌声はまさやんそっくりだった。
 そのうち調子に乗った私はまさやんのしゃべくりのまねまでやっていた。低い声で「えぇー、山崎まさよしです。」みたいな感じだ。誰も知らないだろうと高をくくり、学校の出席確認時、まさやんの声まねで返事をしたりして一人悦に入ったりもしていた。(一部の女子に気づかれたりしたことも今やいい思い出か。)

 もうすべてが山崎まさよしだった。見た目は似ても似つかないが。今思い返すと恥ずかしさと気持ち悪さで一杯だ。思春期丸出しだ。コンバース党だったのに、ライブでまさやんがアディダスを履いているのを見れば、次の日からあっさりアディダスになってしまったり、インタビューで毎日腹筋、腕立て伏せを欠かせないと言えば、自分もその通りにする。歌い方もまねした。首に青筋を立てながら、口を真一文字にして歌うあのスタイルを真似した。あまりやりすぎて身体化してしまい、今やカラオケで誰の歌を歌おうがあの首と口になってしまう。

 高校に入学した頃、ご他聞にもれずギターを購入。ろくにコードも引けないくせにまさやんを気取っていた。一曲でもまさやんの曲を弾こうと毎日毎日それはもう努力した。あれほど何かに打ち込んだのは受験を除いたらおそらく今までの人生ではないだろう。
 初めて弾けるようになったのは確か『中華料理』だった。今となってはまさやんにしてはなんてことの無い簡単なコードと進行であるので大したことではないと思うが、よほどうれしかったのかしばらく『中華料理』ばかり歌っていた。(3年の文化祭では教室で友達と一緒に『ソノラマ』あたりを遊びではあったが弾いたりもできるようになっていた。懐かしい。)


 そんな私であったが、受験に近づくに連れてまさやんの楽曲の変化のせいもあってか段々と楽曲と疎遠になっていった。まさやんに変わってスガシカオやCream、Muddy watersやミッシェルなんかに移っていってしまった。そして今日に至る。


 紅白でまさやんを観た。大晦日の寒空に桜木町で『One more time,One more chance』を歌うまさやん。演出と言うよりも声が出ないがための編曲、テレビの画面からでも分かるほどにかじかんで震える手での演奏を観ていると、何かがこみ上げてきた。やっぱカッコいい。でももうちょっとやせて欲しいかな。久しぶりにギターを手に取った。

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