亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

難波(謡曲教室)

2023-06-24 | 能楽

三熊野を信仰するある一人の臣下が、年籠りを終えて摂津の難波の里まで帰ってきました。見るとそこに老人と若者が、しきりに梅の木陰を掃き清めているのに出会います。その様子がいかにもすがすがしかったのでその梅は名木かと尋ねます。すると老人は、難波の里に於いてこの花を名木かと尋ねるのはいかにも心ないことであると、名高い難波の梅について、仁徳天皇と縁の深いことなどを教えます。老人はさらに、仁徳帝の仁成について詳しく物語・・・・・・。
仁徳天皇は最初に難波に都を移した天皇。
高台に上り、まわりを見渡したところ、竈の煙がどこにも上がっていないのに気付き庶民の貧しい暮らしを知り、3年間税を免除することにしました。

老人とは百濟国から日本にやって来た王仁という占い師の化身。
その王仁が仁徳天皇の徳を称えるという話。
日本最大の古墳は仁徳天皇のものだと言われるが本当なのか。
実は仁徳天皇とは実在していたどうかも怪しいそうだ。
天皇の墓は宮内庁が管理しており、許可が下りなければ発掘ができない。だからそれが本当の任徳天皇の墓なのかどうかは分からない。
外国から来た船は難波の港に着いたときこの天皇陵を見て日本という国は何と偉大な国であると知るのである。天皇陵は人工の山なのでその山はただの山でない。それが天皇の墓であることを知って朝廷の権力の大きさに恐れを抱くのである。

毎年のことだが大きながけ崩れあって散歩道を塞いでいる。
ここは大昔、手取川の河原だったところらしい。
大きな石がごろごろしていて崩れやすい地盤である。
謡曲教室に通っている人の年齢を聞いた。
皆さん80代の人ばかりだそうだ。
その中で私が一番若かった。
新しい人が入ってこないのだそうだ。
そのうち、謡をやる人がいなくなるのではと心配していた。
でも、歳はとっても耳が達者な人ばかりだそうで、耳の悪い人は私だけのようだ。
本当は居てはいけないのかもしれない。
自分の声が耳の中で響いて、実際はどんな声が出ているのか分からない。
皆さん迷惑しているかもと思うと、何とも申し訳ない。
コメント (1)
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