亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

メモを取るということ

2023-06-09 | 健康・病気
昨日泌尿器科に行ってきた。
いつものように排尿記録表を印刷して看護婦に渡した。
「凄いですね。コンピュータ関連の仕事をしていらっしたのですか」。
「いえいえ、自分で考えだけです」
看護婦には凄いことに映ったのでしょう。
なかなかここまでしてくる患者さんはいないだろう。
いくら、表の作り方が立派でも、それを先生が理解してくれなければ何の意味もない。
 そう思った私はその印刷物の余白に表の読み方や日頃感じて思っていることを下手な字で書き綴った。
こんな下手くそな字を果たしてどこまで先生が理解して読んでくれるだろうか。
あまり期待していなかったが。
診察の順番が来て先生の前に座ったところ・・・。
いつもの先生ではなかった。
「もう一度、頻尿の薬を飲んでみますか」。
「新しい薬がでましたか」
「いえ、でもあなたが望むのなら、お薬を出しましょう。また5週間後に、効果があったかどうか診たいの見せに来てください」。
どうせ先生が取り合ってくれないだろうと、適当に書いたメモ書き。確り読んでくれていた。さすが高学歴の先生だけあって見ているところが違うなと思った。
家を出る時、あれも言いたい、これも訴えたいと思っても、いざ先生の前に出ると、用意していた言葉がほとんど出ない。
結局先生になにも思いが伝わらずに終わってしまう。
無理もない。お話しできるのはほんの数分間だけ。
ハイ次の方どうぞ。
それではダメなのです。
患者さんが一杯いるのに一人の患者だけに時間をとられるわけにはいかないのだ。
 普段考えていることをメモ書きして先生に渡すということはとっても重要なことなのだった。
診察を受ける前にそのメモ書きを看護師さんに渡しておくと、先生は時間を見て確り読んでくれているんだと感じた。
メモを取ることの大切さを確りと教えられた日だった。
私のはしたないいメモ書きは確りと先生へのお手紙と化していた。 
 ベオー・バ錠50mgという薬を処方してもらった。
帰ってネットで調べて見ると。〝膀胱を大きくして、尿道を締める″と書いてある。まさに望んでいた薬そのものだった。先生は新しい薬ではないと言っていたが、お薬手帳を調べても過去に飲んだことのない薬だった。
きっと効いてくれるに違いない。と期待している。
凄い風景だ、まるでヘリコプターにでも乗ってみているかのような光景だった。
背の小さいうちの犬にはどの様に見えているのだろうか。
階段の下から見上げてもほんの十数メートル高いだけだった。
真下に見える真っ直ぐな道路が確り演出してくれていた。
6月といえば〝アジサイ″ 見事なアジサイが咲いていた。
このアジサイを栽培?しているお花好きのこの家の奥さん、「以前は草ボウボウでお隣の家が見えないくらいだったのよ」と教えてくれた。
おじいさんが生きていた頃は勝手に構わしてもらえなかった。そのおじいさんが認知症になって庭の手入れを全くしなくなった。嫁は勝手なことをすることが出来なかった時代だったのでどうすることもできなかった。
そのおじいさんが死んで十数年お花好きの奥さんが家のまわりをたくさんの花で埋め尽した。
こんな家は珍しい。
「かわいい犬ですね。こんな犬がいるんですか」
「どうも、気が小さくて」
「気が小さい犬程、吠えるんですよね」。
どうやら、動物好きの奥さんのようです。
「うちには、犬はいないけど、猫がいるんですよ」
どうやら動物大好きな奥様らしいです。


コメント (1)
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