亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

加賀藩主の能登巡行

2024-06-14 | 学問

高砂大学OB歴史会で加賀13代藩主前田斉泰(なりやす)の能登巡行について習いました。

加賀藩藩主で能登巡行を行ったのは斉泰公だけだったそうだ。

歴代藩主は自分領国を廻りたい藩主はいただろうけど、勝手に廻ることはできなかったそうで、廻る時は幕府の許可を取らなければいけなかったそうだ。なかなか許可は出なかったが斉泰の頃は外国船が日本海をうろついていて物騒だったので幕府から警備の意味から特別に許可が出たようだ。

以前、奥能登ツアーに参加したことがある。その時ガイドさんの説明で斉泰さんが巡行した時、能登には平地が少なく年貢が十分納められないと訴えたとき斉泰公はそれなら塩で納めるように言われた。奥能登の周りは海で囲まれていて塩を作るのに適している。藩はこの塩を売って儲けていたそう。これを揚浜塩田(あげはまえんでん)といい。今能登の観光資源となっている。

斉泰は当時42歳で随行者は700人いたそうで新幹線より長い行列だっただったそうだ。日数は22日間かかったそうだ。

講師は東京の人だが能登の文化が気に入ったのか大学を卒業後まもなく脱サラし能登移り住んで講演活動をしているとか。お年は83歳とか。

神社などで能が上演されると大喜びしたそうだ。

斉泰公は能を舞うのが好きで脚気にかかった時、能を舞って治すと言ったほどだ。

当時は何で脚気になるのか分からなかった。

江戸にでは精米した米を食べるのでビタミン不足になるのだそうだ。

写真を見せてもらったが当時は道が細く大変だったろう。

そればかりか宿泊所を確保するのは大変だ。

講師の方は相撲甚句がお好きなようで自慢ののどを披露してくれた。

相撲甚句『のとキリシマツツジ』 

私は耳が悪くて殆ど講師の言っていることが分からない。

今回はA3の用紙で大きな字で書かれていたので何とか理解ができた。

資料がないと殆ど講演の内容が分からない。

今日も暑い帰りはどこかへ寄ってこようと思ったがこう暑くてはどこもよる気はしない。

講師の話はほとんど聞き取れないが何故かバスの案内放送は良く聞こえる。

どこが違うのか。

コメント (1)
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