報恩講
今年も報恩講の季節になった。
報恩講は親鸞聖人の遺徳を偲んで毎年この時期に行われる行事である。
その時期は雪の降る東北地方から順々に始まるそうだ。
日頃お世話になっている当寺も先日2日間に渡って行われた。
今年の講師は富山市から来られた。
法話がとても上手だと聞いて招いたそうだ。
2日間同じ人だというので同じ話をするのかなと思って興味が有ったので参加してみた。
ところが同じようなことを言っているが違う話をする。
それも決められた時間内にきちっと収める技術には感心した。
先日も書いたが、黒板があるのに何で使わないのかと言ったら、ちゃんと黒板が出ていた。
1日目
2日目
2日目は一枚しか撮らなかったのでボケた写真になった。
話の内容はボケ老人は覚えていないが、確かにに違うことをいっている。
黒板に書いて説明するのでとても分かりやすい。
ちゃんと出せば使ってくれるのだ。
ちっとも説教臭くない一般の人にも分かりやすい説明だった。
住職が頻繁に使う「煩悩」とは何か。と言った話ではなかった。
人間は煩悩と言う言葉を悪いイメージで使っていて、そんなもの自然界にはないのだ。
自然界は食うか食われるかの世界しかないのだ。
なんて抵抗したかった。
でも、今回の法話でどっか違っているものを感じ取った。
講師は煩悩と言う言葉を使わなかったが、私はこの耳にタコが出来るほど聞かせられた言葉を考え直さねばならないと思った。
富山から金沢に来るには1時間10分かかるそうだ。
遠い所からわざわざ出て来て下さってありがとうございました。
それで気になる報酬はいかほどか。
年々お寺に足を運ぶ人が少なくなっているというのに、お寺の経営が妙に気になる。
今回も1日目は10人、2日目はその半分の5人のお坊さんが参加して下さった。
タダでは来てくれないと思うが、一体当寺ではいくら報酬を払っているんだろうか。
やたらと気になる。
1日目は涼しく窓という窓は全部開けられて、寒いくらいっだった。2日目は、また夏に逆戻りしたような暑い日だった。
黒板に書かれた文字は後ほど調べ直して考えて見よう。
2日間の法話はさすがに病身の私にはこたえた。
帰ってすぐブログに反映させようと思ったが、出来なかった。
私も知りたいな~