亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

賽の河原

2023-07-25 | 読書
40年前に買った本に「死後の世界観光案内」という本が出てきたので、ちょっと遊んでみました。

これはこの世のことならず
死出の山路裾野なる
賽の河原のものがたり
聞くにつれても哀れなり

二つや三つや六つ七つ
十のならぬ幼児(おさなご)が
賽の河原に集まりて
苦しみうくるぞ悲しけれ
娑婆とちがいて幼児が
雨露しのぐ住家(すみか)さえ
なければ涙の絶え間なし
西に向いて父こいし
東を見ては母こいし
こいしこいしと泣く声は
この世の声とはことかわり
恋しさ骨身を透(す)かすなり

ここにあつまる幼児は
小石小石を持ち運び
これにて廻向(えこう)の塔を積む
手足石にて擦れただれ
指より出づる死の滴
身体(からだ)を朱(あけ)に染めなして
一重積んでは幼児(おさな)が

紅葉のような手を合わせ
父上菩提と伏し拝む
二重積んでは手を合し
母上菩提(ぼだい)廻向(えこう)する
三重積んでは古里(ふるさと)に
残る兄弟わがためと
礼拝廻向ぞしおらしや

昼はおのおの遊べでも
日も入相(いりあい)のそのころに
冥途の鬼があらわせて
幼き者の傍らにより
やれ汝らはなにをする
娑婆と思うて甘えるな
ここは冥途の旅なるぞ

娑婆に残り五父母は
今日は七日や二七日(ふたなのか)
四十九日や百箇日(ひゃっかにち)
追善(ついぜん)供養(くよう)のその暇に
ただ明け暮れに汝らの
形見に残せして遊びや
太鼓人間かざぐるま
着物を見ては泣き嘆き
達者な子どもを見るにつけ
なぜわが子は死んだかと
酷(むご)やあわれや不憫やと
親の嘆きは汝らの
責苦を受くる種となり
必ず我を恨むなと
言いつつ鉄棒(かなぼう)振り上げて
積んだる塔を押し崩し
汝らが積むこの塔は
歪(ゆがみ)がちにて見苦しし
かくては功徳になりがたし
とくとくこれを積み直し
成仏(じょうぶつ)願えと責めかける

やれこいしやと幼児(おさなご)は
南や北にしひがし
こけつまろびつ逃げ回る
なおも獄卒鉄棒(かなぼう)を
振りかざしつつ無慙(むざん)にも
あまたの幼児(おさなご)にらみつけ
すでに打たんとする陰に
幼児その場に手を合わせ
熱き涙を流しつつ
許し給えと伏し拝む

折しも西の谷間より
能化(のうけ)の地蔵大菩薩
動きでさせ給いつつ

幼きものの傍(かたわ)により
何を嘆くか嬰児(みどりご)よ
汝(なんじ)らいのち短くて
冥途の旅に来たるなり
娑婆と冥途は程遠し
いつまで親を慕うとも
娑婆の親には会えぬぞよ
今日よりのちは我をこそ
冥途の親と思うべし
幼きものを御衣(みころも)の
袖や袂にだき入れて
憐(あわれ)み給うぞありがたや
いまだ歩まぬ嬰児(みどりご)を
錫(しゃく)杖(じょう)の杖に取りつかせ
忍辱(にんにく)慈悲(じひ)の御肌(みはだえ)に
泣く幼児(おさなご)を抱きあげ
助け給うぞありがたや

幼児は死んでもすぐに三途の川を渡してもらえないらしいです。

しばらくこの本で遊んでみたいと思います。
クレヨンで字を書くとは結構難しい。
孫が置いていったクレヨンでお習字です。
本当はこれで全文書いてみたいけど、ちょっと無理みたいです。

コメント (1)
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