亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

 嵐山

2021-02-20 | 写謡
パソコンに移した謡本をUSBから直接コピーしてみた。
パソコンではルビは漢字の上に乗せることが出来るが、ブログ編集画面になると全部括弧書きになってしまい、文書がだらだらと長くなってうるさいので、プリンターで写真にして投稿していた。ところが画像がはっきりしないので今度はうるさい部分を切り取って投稿してみた。
  嵐 山
前シテ(尉)。後シテ(蔵王権現)。ツレ(姥)。ツレ(子守神)。ワキ(勅使)。ワキヅレ(従者二人)。

ワキ「吉野乃花の種とりし。吉野の花の種とりし嵐の山に急がん」
ワキ詞「抑是ハ當今に仕へ奉る臣下なり。偖も和州三吉野の千本乃桜ハ。聞し召し及ばれたる名花なれども。遠万十里の外なれば。花見の御幸なる事かなひ給わず。さる程に彼の千本の桜を。嵐乃山に上おかれ。此春の花を見て参れとの宣旨を蒙り。唯今嵐の山へと急ぎ候」
道行「都にハげにも嵐の山桜。げにも嵐の山桜。千本の種ハこれぞとて。尋ねて今ぞ、三吉野の花雲かと眺めける。其歌人乃名残ぞと。餘所めになれば猶しもに。妙なる花の景色かな妙なる花乃景色かな」
シテ、ツレ「花守の。住むや嵐乃山桜。雲も上なき。梢かな」
ツレ「千本に咲ける種なれや シテ、ツレ「春も久しき。眺めかな」
シテサシ「是ハ此嵐の山の花を守る。夫婦の者にて候なり」
シテ、ツレ「それ遠万十里の外なれば。花見の御幸なきままに。名におふ吉野乃山桜。千本の花の種とりて。此嵐山に植えおかれ。後の世までの例とかや。これとても君乃。恵みかな」
下哥「げにたのもしや見影山治まる御代の春乃空」 上哥「さも妙なれや九重の」 
ツレ「さも妙なれや九重の」
シテ、ツレ「内外にかよふ花車。轅も西にめぐる日の影行く雲の嵐山。戸難瀬に落つる白波も。散るかと見ゆる花乃瀬。盛り久しき景色かな盛り久しき景色かな」
ワキ詞「いかにこれなる人に尋ね申すべきの事の候」
シテ詞「此方の事にて候か何事にて候ぞ」
ワキ「見申せばかほど多き木の本を清め。花に向ひ礼をなし給ふ不審にて候」
シテ「げにげに御不審は御理にて候。此嵐の山の千本の桜ハ。皆神木にて候。かやうに陰を清め礼をなし申し候」
ワキ「ふしぎやな嵐乃山の千本の桜の。神木たるべき謂れハいかに」
ツレ「この嵐乃山の千本の桜ハ。吉野の花を移されたれば。木守勝手の神慮にも。惜しみ給ひし故に寄り。人こそ知らね今とても。この花に影向なるものを」 
ワキ「げにやさしもこそいとふうき名の嵐山。取り分き花乃在所とハ。何とて定め置きけるぞ」 
シテ詞「それこそ猶も神力の。妙なる花の奇特をも。あらハさんとの御恵み」
シテ、ツレ「げに頼もしやつくば山。なびき治まる三吉野の。神風あらばおのづから。名こそ嵐乃山なりとも」
地「花ハよも散らじ。風にも勝手の木守とて夫婦の神は我ぞかし。音たかや嵐山。人にな知らせたまひそ」
地「笙の岩屋乃松風ハ。笙の岩屋の松風ハ。實相の花盛り。開くる法の声立てて今ハ嵐の山桜。菜摘み乃川の水清く。真如の月の澄める世に。五濁の濁りありとても。流れハ大堰川其水上ハよもつきじ。いざいざ花を守らふよいざいざ花を守らふよ。春の風ハ空にみちて春の花ハ空に満ちて。庭前の木を切るとも神風にて吹きかえさば妄想の雲も晴れぬべし。千本の山桜長閑き嵐の山風ハ。吹くとも枝ハならさじこの日も既に呉竹の。夜の間を待たせ給ふべし。明日も三吉野の山桜。立ちくる雲に打ち乗りて。夕陽残る西山や。南の方に行きにけり南の方に行きにけり」
(中入)地「三吉野の。三吉野の。千本の花の種植ゑて。嵐山あらたなる神遊びぞめでたき此の神遊びぞめでたき」 
木守、勝手「色々の 地「色々の。花こそまじれ白雪の」
木守、勝手「木守勝手の 木守勝手の」
地「恵みなれや松の色」
木守、勝手「青根が峯ここに」
地「青根が峯ここに。小倉山も見えたり。向ひハ嵯峨の原。下は大堰川の。岩根に波かかる亀山も見えたり。萬代とよろづ代と。はやせはやせ神遊び。千早振る」
地「神楽の鼓声澄みて。神楽の鼓聲澄みて。羅綾の袂を飜す舞楽の秘曲も度重なって。感應肝に折から銘ずる折から。ふしぎや南の方より吹き来る風の。異香薫じて瑞雲たな引き。金色の光かかやき渡るハ。蔵王権現の来現かや」
地「和光利物の御姿。和光利物乃御姿」
後シテ「我本覚の都を出でて」
地「分段同居の塵に交わり金胎両部一足をひつさげ悪業の衆生の苦しみを助け。さてまた虚空に御手をあげてハ忽ち苦界の煩悩を拂ひ。悪魔降伏の青蓮のまなじりに。光明を放って。國土を照らし。衆生を守り。誓(ちか)ひをあらハし木守勝手。蔵王権現一躰分身同躰異名の姿を見せて。おのおの嵐の山によぢのぼり。花に戯れ梢にかけつ(っ)て。さながらここも金の峯の。光もかかやく千本の桜。光も輝く千本の桜の榮ゆく春こそ。久しけれ」
小謡 嵐山(祝宴) 宝生流袖珍小謡本より

吉野の千本桜はこの山に植えたのかな。
謡を習っていると途中で周りと合わなくなることがある。「あれ!今どこを謡っているのかな?」 必死にその場所を探すが分からない。そのうち、謡が終わってしまう。ということが時たまある。
 いままでそれを自分の耳のせいにしていた。
 自分の声が耳の中で響いて大きく聞こえるのだ。そのため、周りの人の声が聞きずらくなって、今どこを謡っているのか分からなくなる。
写謡をはじめて、それは耳のせいではないことが分かった。
写謡をしているといい加減に書くと内容がよく分からなくなるので、必死になって勉強をする。ところが、人の声を聞いているとどことなくいい加減になってしまう。また、そうしないと周りについていけない。
確りと勉強をして挑めばそれもなくなることに気付く、何故か途中ではぐれてしまうということもなくなった。
歳のせいか、今必要な言葉がなかなか出てこず、ブログ編集にやたらと時間がかかるようになった。
目の前にあるはずのカセットテープがないと家中探し回る。そこにある鉛筆も、眼鏡も、・・・・・・。困ったね。そのうち、目の前にある食物も分からなくなってしまうかも。どうしよう。
 確定申告をしなければならないが、肝心の資料がどこへ行ったか分からなくなって、やたらと時間がかかってしまいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする