謡本 井筒 梗慨
諸国一見の僧、初瀬に参ろうとして石の上まで到ったところ、ここに一つの古寺があるので、人に尋ねたところ在原寺という。さては昔在原業平が紀有常の息女と夫婦にて住んでいたところであろうと、そぞろに昔を偲びつつ二人の跡を弔うのであった。ここにいと艶めきたる一人の女が現れ来て、秋寂して物静かなる庭前の井戸で閼伽の水を汲んで古塚に手向け、懇に回向の風情なので、その仔細を訪ねると、このあたりの者であるが、業平の後を弔うといい、猶有常の女の詠んだ歌などかたり、業平と有常の息女との振分髪時代の幼馴染の二人の物語をなし、ついに我はその井筒の女であることを打明けて、井筒の陰に消え失せる。
僧はその夜、月の在原寺にて袖を枕の仮寝をしていると、有常の息女は、業平の形見の冠直衣を身に纏うて現れ出で、舞を舞いて在平を追慕する心を示し、井筒に寄り添う手は我が影を水にうつして業平の俤を懐かしみなどしているうちに、秋の夜長もいつか、ほのぼのと明けそめ、松風に夢は破れてそこにはただ僧の姿のみ淋しく残るのである。
能にはクセいうところがあり、一番いいところらしい。ここが上手くできないとお客さんは帰ってしまうという。
クセの部分
謡は始め易しく、後になるほど難しくなってくる。
巻末の部分
やたらと縦棒がついている。この部分は半分の長さで謡うと教わったが、観察してみると半分でもない。全体ではゆっくり謡うところだがなかなか頭に入らない。
コツを覚えると大したことないがそこまで行くのが大変。
能は男の芸能だが、昔々の女の人が書いたものを題材にしているものが多い。
其の為か見に行くお客さんには女の人が多いのである。
何故か金沢の卯辰山にこの井筒なるものがある。
業平の井筒の由来
謡曲「井筒」による「業平の井筒」はこの井戸である。
大和の国 在原寺にあるべき「井筒」であるが故あって慶応3年卯辰山開拓の折この地に移れたのである。
という立て札がたっている。
ということは奈良にはもうないということか。
今日は土曜日とあって公園には多くの人が出ている。
今日はグランドゴルフ大会でもあるのか特に人が多い。
が、誰もマスクをしていない。立派な三密だというのに、誰も気にしている様子がない。
もうコロナは終わったよ。と言いているよう。
今日は石川県内でコロナ感染者が11人出たと報道された。
ちっとも終わってなんかいないんだけどな。