辰巳櫓
前田利家が名護屋城に行く時に留守番役の長男の利長に金沢城に石垣を築くように命じた。
ところが利家が帰って見ると、石垣は2段積みになっていた。
怒った利家が、利長に「ワシは2段とは言わなかったぞ。どうして言った通りにしなかったのか」と言った。
利長は「そんなつもりはなかったのだけど、何度積み直しても、崩れてくるのです。それで仕方なく2段にしたのです」と言い訳した。
金沢の地盤は軟弱で、重い石は沈んでしまい、バランスが保てず崩れてしまったようだ。
ここ辰巳櫓の石垣の高さは25m位あり、道路面からだと30mある。
一番下の石垣は明治になって市電を走らせるために百間堀を埋め立てた時に出来た物。
明治になって陸軍が駐留した時に辰巳櫓の下に建物を建てるために石垣の下をいじくったところ石垣全体が崩れてきた。
復元しようとしたが、当時の陸軍の技術では石垣を積み上げることが出来なかった。それで仕方なく3段積みになったとのこと。
元々は下から上まで1段で築かれていたという。
明治になってなっても不可能だった凄い腕を持った職人が江戸時代の加賀藩にはいたようだ。
野良積みと言われるこの積み方は最も古い時代からの積み方で一番安定している積み方だという。敵が石垣を登ろうとすると石が簡単に抜け落ちて上から次から次へと崩れてきて危なくて登れないないのだとのこと。陸軍はそのことを知らず触ったようだ。