亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

お世話になりますカセットテープ

2012-11-06 | 学問

今年の市民大学も最終回になった。

今回の公演は「陸前高田の被災状況と、そして復興へ」

陸前高田市の戸羽市長さんの立派な講演だった。

震災前は23500人いた陸前高田市の人口も2万人を割る寂しい町になった。

市内では1550の御遺体が発見されたが今でも223人の市民が行方不明になったままで、今年になって一体も発見されていない。

陸前高田市は大災害の前はその名を知る人は殆どいなかった。それが今や日本はもとより世界中にその名が知られる有名な町になった。

市長就任したのは震災の一か月前、町の復興に全力を傾けるはめになってしまった。

市長自身も奥さんを亡くされたそうで、大変お気の毒な人です。

時間がたつにつれて震災のことはだんだん忘れ去られていきます。今やメディアでもあまり取り上げてもらえなくなった。大地震のことを風化させないために市長さんは、全国を講演に回っているそうで多い時は月8回講演にでる。市役所の公務もこなさなければけないのに大変だと思う。

今年の正月東京の兄の所にいる子供たちに被災地の話をしてやろうと、兄の所に行きました。正月元旦に役所から電話がかかってきました。3日の日に小沢さんが来るからすぐ帰って来いと言うのです。仕方ないから帰りました。「民主党陸前高田支部役員会」という看板下がっていました。選挙の話ばかりで復興の話は後で少しあっただけだった。町では「被災地と小沢のどちらが大事なのか。」とかいう人がいたとか。

津波に対しては毎年訓練を重ねているが、まさかこんな大きな津波が来るとはだれも予想をしていなかった。

せいぜい50センチ満潮時で1メートルぐらいだろう。前年のチリ大地震の際も20センチ足らずだったから。私たちは大地震と言えば宮城沖地震と決めてかかっていた。30年に一度の割合で大津波がくるとのことで色分けされたハザードマップを配っていました。それが今度の津波は宮城県沖地震ではなかった。市役所の屋上にまで海水が上がってきた。隣の3階建ての市民会館に避難された方も居ましたが沈んでしまいました。

周辺には物や人が流れて行く。助けてくれーと叫ぶ声にも我々は何もする事が出来ませんでした。

津波で何もかも流されて今は何も残されていない。

次から次と運ばれてくる御遺体で学校の体育館はすぐ一杯に。

遺体の確認をするにも家族の方がやってくるためのガソリンが無い。

ガソリンを運んでくるにしても、ガソリンスタンドがない。貯蔵施設がない。

内閣府副大臣の東祥三が経済産業省にお願いして貰ったが運んでくれる車が無い。

青森から応援に来ている自衛隊の第五普通連隊連隊長さんが運んでやると言ってくれたが、夜中に電話がかかってきて「ガソリンを運ぶのを止めてください。ガソリンは経済産業省から出すのであって、防衛相からだすものでない」とのこと。さすがの戸羽市長さんもこれには切れた。「何を言って行っているのですか、ガソリンは国の物でなく、国民の大事な税金で買うものでしょう」と。

農地にプレハブのスーパー建てようとしたら、農地法にひっかかりダメだといわれた。

昨年10月に高台に160所帯が入るマンションのような公営じゅうたくを建てる計画を立て、地権者とも話を付け、いざ木を切ろうとしたら、林野庁から待ったがかかる。「面積が広いから開発行為になるので手続きをしてください」と言われた。

保安林を伐採するには、森林法で許可が必要。

開発行為とは、民間の方々が人の土地を買いあさって自然の景観を無視して何かを建てるというような開発を防ぐための法律。

森林法の手続きが終わったら林野庁から電話がかかってきて、43万円の補助金が入っているという。

副市長に43万円すぐ返してやれと言ったら、「被災地から受け取る訳にはいかない、6ヶ月待ってくれ」、と言われそんなに待てないと言ったら「2ヶ月が3ヶ月まってくれ」という。それも待てないと言ったら「じゃ、2週間待ってくれ」と言ってきた。

陸前高田市は政争の町。今陸前高田市には18名の議員がいるが、その内、10名が民主党、そしてその民主党の9名が民主党を離れ小沢新党「国民の生活が第一」に行きました。

「今私に課せられたオプションは①市長として陸前高田市を子供達のために素晴らしい町に復興させていくこと。②今中2と小6の二人の息子を何とか人並みに育てること。」

奇跡の一本松、希望の一本松。

今一本松義援金活動をやっている。企業に頼らない、個人のの善意募金であってほしい、百円からできる募金、海外からも1ドルから募金が出来るようにしている。

何年か後に陸前高田市を訪れた時、この一本松には私の募金もはいっているとの、思い出になっていただければ幸いです。

石川県から今年の7月、金沢市の2中学校がボランティアに陸前高田市を訪れ親善交流を行った。

今度の講演の最後に戸羽市長に報告とお礼の挨拶をした。

今度石川県初の岩手の災害廃棄物の試験搬入が試みられた
以上講演の内容の一部を拾って見ました。素晴らしい講演でした。


私は講演にを聞きに行くときは必ずカセットテープレコーダーを持ち込んでいる。頭が悪いのですぐ忘れるので帰ってから何度も聞きなおす為。

「カメラの撮影、録音は固くおことわりしています。」のアナウンスを無視して悪い子やっています。ゴメン。

帰って聞きながらメモをとっても、此の位の記事を書くのに精いっぱいです。

       兼六園では冬の風物詩雪吊りが始まっている。

Photo

観光客がいっぱい来ている。

コメント
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