金沢市文化ホールで作家、嵐山光三郎先生の「なぜ旧町名が大切か」と言う講演があったので聞きに行った。
先生は時々金沢を訪れられるらしく金沢についてはよく知っていらっしゃる。
金沢城の石垣の石は金沢の山間部湯涌温泉の近くの戸室山という山の辺りから採掘され金沢城まで運ばれた。
その距離は約10㎞。平坦地ではなく坂を上ったり下ったりで大変だったらしい。初期のころは道が狭く多くの人が肩に担いで運んだ。やがて道路が拡張され車で運ぶようになった。途中何カ所も休憩所が設けられ人夫達に酒がふるまわれた。
嵐山光三郎先生は石引道を辿って戸室山まで行って見たらしい。
驚いたことに、大きな石がゴロゴロしている。どうしたのですかと地元の人に尋ねると。これは、楔を入れて割って見ると、質が悪くて使い物にならないことが分かて放置されいるとのこと。
昭和38年以降の住居表示が変わり藩政期に由来する由緒ある小さな町が、範囲の大きな町に整理・統合されました。
その後、由緒ある町名を復活させようとする動きが各地に起こった。金沢も例外ではなかった。
平成11年10月1日、主計町(かずえまち)をかわきりに平成21年11月1日まで11町会がが復活した。
兼六園のすぐ隣にある下石引町もその一つである。
現在その一角に大きな病院が立っている。この町を通って石が金沢城に運ばれたのでその名がある。
古い歴史ある町名を残すことが大切であると分かり易く説かれた。
講演の後、「旧町名復活と歴史都市」と言うテーマでパネルディスカッションが行われた。
加賀藩二代藩主前田利長公が藩主を弟利常に譲って富山城に移られたがその後火災に合い、隠居地を高岡に求めた。
利長公は高岡の町の発展に尽力され高岡の町は大いに発展した。
高岡市も金沢市と同じに旧町名を復活させようとの動きがあり、高岡と金沢には似た旧町名が沢山あり、今回は高岡市立博物館館長をお招きしてのパネルディスカッションである。
金沢駅の近くにある六枚町も復活した旧町名の一つで、そこで旧町名復活に力を注いだ住人の1人も招かれた。
六枚町と言うバス停があるのに何で町会が無いんだと言う声が上がったそうだ。新町名は芳斉二丁目で、タクシーに乗って「芳斉二丁目にやってください」といっても運転手は首をかしげるが「六枚町」と告げると「あー、そうか」とすぐ分かってくれるそうだ。
大変熱心な人で紙芝居まで作った。その紙芝居を会場に持ち込んだが時間の関係で紹介出来なかった。
ネットでも「六枚町だより」と言うタイトルで載っている。
嵐山先生は良きリーダーが必要だ。その為には市長が動くべきだともおっしゃった。
地域の長が動いてくれないと住民がいくら頑張っても実現は難しいそうだ。
今回は四人のパネリストさんがそれぞれ熱心にお話し下さってなかなか聞きごたえがあった。
文化ホールの横に町標が立っていたので撮って見た。ケイタイのディプレイは外光を反射して何が写っているのか分からず苦労したが、やっぱりテッペンが写らなかった。町名は高岡町である。
文化ホールの側面に綺麗な水を流した川?があった。
このモニュメントは何を意味しているのだろう。手前のタイヤのような物の中に水が流れ込んでいるのが印象的だった。