亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

大野日吉神社

2011-05-17 | 神社巡り

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         大野日吉神社

当社の起源は「咲く花の匂うが如く今盛りとなり」と称えられた奈良時代聖武天皇の天平5624日(733)近江國坂本に鎮座された日吉神社東本宮に奉斉されていた大山咋大神の御分霊をこの地にお祭り致したのが始まりとされ、さらに貞観2年(860)同社西本宮の御祭神、大物主大神をも勧請合祀されたものであります。

 享保17(1732)大野湊神社河崎英通が記録した<msnctyst w:st="on" address="大野村" addresslist="03:大野村;">

大野村

</msnctyst>山王略縁記によれば、かつての大野湊神社の鎮座地「真砂山竿の林」から北東にあたるので邪気を鎮める目的で日吉の神霊を鎮座させ、土地の人達は産の神として尊崇し比叡山にならい、山門、護摩堂、鐘楼等を建て日吉山王大権現と称し隆盛の期を迎あえたが度々の戦乱によって殿堂、宝物、古文書がすべて焼失し神人僧徒の多くは、この時離散したと伝える。江戸時代には藩主前田家の崇敬は極めて厚く参詣、祈祷、寄進等があり6代藩主吉徳公、山王社鎮座1000年に当たって、1000年祭の神事が執行されるや藩主は上使を派遣し報恩の礼をとられたのを機としてその後50年毎に大祭が行われる例となった。又この土地の人々も事あるごとに社殿の改築をおこない祭具、備品にいたるまで寄進して報恩感謝の誠を捧げている。明治7年(1874)従来の「山王大権現」と称していたのを廃し「日吉神社」と改められた。

  当社 石碑より

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             手水所

さすが大きな神社だけあって立派な手水所である。

この辺りは伏流水が多いのか、綺麗な水が出ている。

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            拝殿

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ここの狛犬は大きな球を抱えている立派な物だ。

金沢港のすぐ近くに大きな神社があった。

砂防林の小高い丘の上にある見事な神社である。

すぐ後は、日本海が広がっている。

ここも例外なく砂丘浸食が進んで殆ど砂浜なくなっていたが、金沢港の浚渫で出た砂を入れたため、随分広くなった。

ここに、数ヶ月前に座礁した貨物船があるというので見に行ったが、海岸部に小高い丘が築かれており進入禁止になっているので見ることが出来なかった。

すぐ近くの公園には豪商銭屋五兵衛像が立っており、カラクリ師で有名な大野弁吉が住んでいたところである。

大野湊神社は同じ大野のであるが、こちらは大野町から少し離れた松寺町にある。

昔は宮腰(今の金石町)にあったが海岸浸食の為、現在地の移ったのである。

コメント (1)
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