珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

マンセーと言いたい人

2019-09-06 | S教団関係
私だけじゃなくてS会員及び元S会員の人の大半は、会長先生のことなど、どうでもよかった。
中には本気で崇拝していた人もいる(た)のかもしれないけど、私の知る限り、殆どがただテキトーに周りに合わせていた。

でも心に嘘をついていたとか、本心は嫌だと叫んでいたとか、そこまで大袈裟に反発していたわけでもない。
言ってみれば、一番しっくりくるのは「軽い気持ち」だったと思う。
皆がそこまで言うならと「軽い気持ち」で周りに合わせていた。

経験者なら、皆そんなものはわかっている。
わかっているのに「マンセーしてた、マンセーしてた」とはやし立てたがる人がいる。

私、
そここそをえぐりたいわ( ̄▽ ̄)
嘘つけーーーー!!
それ、本心じゃないでしょ?
誰もそこまで入れ込んでいたわけじゃなくて、ポーズとしてというか、何となく合わせていたことくらい
よーく知ってるじゃん。
誰もそこまで崇拝なんかしてなかったのに「マンセーしてたマンセーしてた、そういうことじゃなきゃ嫌なんだ」と、意地でも盛って作り話をする。
今日も明日も明後日もとにかく煽る、それ。
まさにそれ。

わかるだろうか。
そんなふうに見せていたのが実情だった。

ネットで書かれる口汚いワルグチを「怨念」と言われることを嫌う人たちが
そんなんじゃナイ、ナーイ~ww
軽い気持ちよと言う。

自分は「軽い気持ち」だけど、他人は怨念とかマンセーにしたい人の不思議。
他人が怨念やマンセーなら、自分も怨念でしょ?
傍から見たらどっちもどっちよ。
或いは自分が軽い気持ちなら、人も軽い気持ちなんじゃないの?

 自分ってそんなに、他人と違う特別なもの?
コメント (9)    この記事についてブログを書く
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9 コメント

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Unknown (Unknown)
2019-09-06 19:55:58
脱会した者です。
記事を読んであまりだと思いコメントします。


軽い気持ちで周りに合わせていた?

それは組織の中に身を置き、時間や家庭を犠牲にして活動をしていた者から言えば何も分かってないな。という一側面でしかない。
破門前後から御大が表に出なくなるまでの間に熱心に活動していたあの時代は軽い気持ちなどではできなかった。
会合出席も選挙の戦いも新聞啓蒙も財務も仕事もすべて御大にお応えするんだと頑張っていた。
少なくとも自分の周りの人は本気でそう思って頑張っていた。
創価を語る時に御大を語らないことなどありえない。
壮年、婦人、男子、女子、各組織を担う活動家はその思いが無ければとてもできなかった。
中には自分を偽って御大の話をする人もいたかもしれない。
しかしそんな人はやることや言うことが中途半端だった。

誘われて会合に参加する人は軽い気持ちで周りに合わせていたのかもしれない。
普段活動しない人は軽い気持ちで周りに合わせていたのかもしれない。
私は残念ながら活動家だった人でそんな人を知らないからその気持ちがわからない。

あなたの言う皆とは創価をやめたり活動をしなくなった人全員をさすのか?
元支部長だったり地区婦人部長だったり、県男子部長だったりした人たちは皆軽い気持ちで周りに合わせていたというのか?
苦しんで悩んでやっとの思いで組織から離れた人たちはずっと軽い気持ちだったのか?
今も組織で悩み苦しみながら頑張っている人たちは軽い気持ちで周りに合わせているのか?

皆軽い気持ちで周りに合わせていた。
ここまで言い切るあなたは創価の活動の何をどこまで知っているのか?
それが言えるだけの活動をしていたのか?


今は自分も創価を離れたがこの記事はあまりにも酷い。
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Unknown ()
2019-09-06 20:41:12
Unknown さん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

>会合出席も選挙の戦いも新聞啓蒙も財務も仕事もすべて御大にお応えするんだと頑張っていた。
>少なくとも自分の周りの人は本気でそう思って頑張っていた。

Unknown さん、そうなんですね。
了解しました。
私目線の記事なので、すべての人に賛同というわけにはいかないですね。

私のブログをどこまで読まれているのかはわからないのですが、私は会員時代、信仰は心から信じていましたが「すべて御大にお応えするため」なんてのは全く思っていませんでした。

私の周りでも口ではとってつけたように「先生」とはいうけれど、或いは体験発表なので幹部から「直されて」先生にお応えするために、と付け足していた人はいたけれど、本心から「御大のため」なんて思がっている人がいたのかは疑問です。
一部にはいたかな。少なくともそう見える人は。
でも少なからず、そうではない人が圧倒的でしたね。

>壮年、婦人、男子、女子、各組織を担う活動家はその思いが無ければとてもできなかった。
>中には自分を偽って御大の話をする人もいたかもしれない。
>しかしそんな人はやることや言うことが中途半端だった。

私は池田氏がどうのではなく、本尊が絶対と思ってやっていました。
はっきり覚えています。
「皆、池田センセー、池田センセーっていうけど、私は先生がいなくなっても信心は変わらないけどなあ?」と、よく自問していましたね。
中途半端っていうのは「師弟不二の精神」とかですか?
これは中途半端どころか、最後までわかりませんでした。
題目と折伏と何より「信じること」は本気で、これは中途半端ってつもりはなかったです。
逆に中途半端が嫌いな性分で、外部と結婚してから、中途半端になるくらいならと非活になりました。
まあこれを「中途半端」というのかどうかは、人それぞれの見方かなと思いますが。

>あなたの言う皆とは創価をやめたり活動をしなくなった人全員をさすのか?

全員とは書いたつもりはないですが、そう読まれたのなら私の文章が未熟なせいだったと思います。
本当に申し訳ありません。

>苦しんで悩んでやっとの思いで組織から離れた人たちはずっと軽い気持ちだったのか?
>今も組織で悩み苦しみながら頑張っている人たちは軽い気持ちで周りに合わせているのか?

これに関しては、明確に私の書いた意図と違います。
私は「メロンマンセー」などと揶揄される、あくまで「池田氏を人生の師匠と思って、師弟不二の精神で」という部分について書いたんです。
「苦しんで悩んでやっとの思いで組織から離れた」とか「今も組織で悩み苦しみながら頑張っている人」を軽い気持ちで見たことなど、※ただの一度もありません。
あったら5年もアンチブログなど書かなかったでしょう。
そういうことはこの記事には一字も書いてないと思いますが、如何でしょうか?

あくまで私及び、私の周りの圧倒的な人が、池田氏に関しては
「反発もしないけどそこまで傾倒もせず、軽い気持ちでそうなんだ」
と合わせていたとう意味です。

Unknown さんの周りは逆に、そんなに池田先生を本気で師匠と思っていた方が多かったのですか?
そうなら、そうなんですねというしかありません。
Unknown さんの立場も役職も何も書かれていないので、更に何も言えません。

>ここまで言い切るあなたは創価の活動の何をどこまで知っているのか?
>それが言えるだけの活動をしていたのか?

私の活動及び、どんな会員だったかはブログに詳細に書いてあります。
別に本部職員でもないので「何をどこまで知っている」と言われても困りますが、末端として、またアンチブログにはそれなりに詳しいのである程度は知っているかなと思います。

以上ですが、これでもまだそこまで「この記事は酷い」ですかね?
できればまた感想など頂ければと思います。
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Unknown ()
2019-09-06 21:36:48
実際、本当に「先生と呼吸を合わせて」と思っていた人ってどのくらいいる(た)のかなあ?
私はアンチから「それが嫌だった」という声は結構聞きましたが、実際のところどうなんでしょう?
雨あられのように「師弟不二」と言われていたのは確かに事実。

でも「それがわからない、わからなかった」という声も同じだけ聞きました。
そしてアンチや正宗がからかう言葉に多いのは「池田マンセー」

結果、私は
「いくら言われてもそこまで傾倒できなかった。
でも会員時代は組織のトップなんだから、無駄に批判はせず、わからなくてもわかろうと努力した」
が圧倒的な本心だったのでは?と考えています。

辞めてから後出しジャンケンで「ボロクソ」とか、叩きたいあまり「マンセー」というのは、どっちも印象操作のような気がしますけどね。

Unknown さんのように、「本気で師匠に応えるべくやっていた。それがなければできなかった」という意見は、脱会者では珍しい意見として私は受け止めました。
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Unknown ()
2019-09-06 23:17:36
>池マンセーはたぶん、
>俺か、天パ師匠がブログでやり始めた造語のはずだ!天才コンビだ!

S会員をマンセーなんてのは、私がネットに来た時(2013年)から既に過去記事から溢れてましたよ(笑)(笑)
何を書いても亜流とコピペしか知らない人にはわからないかもしれませんが。
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Unknown (Unknown)
2019-09-07 06:10:33
コメントをするにあたり最初にこの一文を入れた。

「それは組織の中に身を置き、時間や家庭を犠牲にして活動をしていた者から言えば何も分かってないな。という一側面でしかない。」

あなたから見れば私の意見も一側面でしかないのだろう。
正役職を受け人材グループに入り活動する中で意にそぐわないとしても、呼吸を合わせようとした人は軽い気持ちで周りに合わせていたのではないだろう。
一時的であれそう思うために苦心したのではないか。
結果的にそれが嫌だったから気持ちに折り合いをつけていたのではないか。
折り合いをつけなければならない思いはあなたの言う軽い気持ちなのか?ということだ。
一側面から断じることが酷いと思う。

御大(先生や師匠と呼びたくないからこの表現を使う)に呼吸を合わせることと信仰は関係ないだろう。
しかし創価組織の中で活動するためには必要なものだった。
組織活動は信仰ではない、これは今ならはっきり言える。
あなたはその組織活動と信仰を分けていたのだろう。
だから創価の活動の何を知っているのか?と問うた。
組織活動の何を知っているのか?
それを知って断じているのか?


一側面だけで断じる記事。
あたかもそれが創価を体験した人皆の意見のように書いてある記事。
それが酷いと言っている。

マンセーという人を揶揄する記事なのだろうがこの記事には人に対する思いやりが無い。
毒を吐くというのは人に対する思いやりが無ければ支持されない。
この記事はただの悪口でしかない。
返信する
Unknown ()
2019-09-07 07:37:39
>それは組織の中に身を置き、時間や家庭を犠牲にして活動をしていた者から言えば何も分かってないな。という一側面でしかない。

Unknownさん
私は「時間や家族を犠牲にして活動」なんてするものじゃないと思っていました。
私は相当な狂信者だったと自分では思いますが、そういう判断は当時から持っていました。
それはMCだのなんだのがあるにしても、私には呑めないことでした。

時間や家族を犠牲にして活動したら、何のために信仰しているのか本末転倒じゃないですか?
幹部は両立とかなんとか上手いことを言いますが、役職であれ財務であれ、できないことはできない、理不尽は理不尽と、少なからず自分に関わることは言ってきたので。

責任というのは、組織でも持つことだけど、自分自身や自分の家庭や仕事にも持つことですよね?
責任をSだけに偏らせて他を犠牲なんてことは、私の責任感においてはできないことでした。
人にもそんな無責任なことは言いませんでした。

>あなたはその組織活動と信仰を分けていたのだろう。
>だから創価の活動の何を知っているのか?と問うた。
>組織活動の何を知っているのか?

はい、そういうわけで自分の中で「無責任」なことはしませんでした。
しなくてよかったと思っています。
あなたはそうしたかもしれないが、そうじゃなかった(できなかった)人もいる。何もわかっていない。だから海の書くものは思いやりがない、酷いというなら、そうですかと言うしかありません。

Unknownさん、私は以前も記事に書いたのですが、そうやって家族を犠牲にして組織に尽くした人はたくさんおられるでしょう。
そういう人にはそういう人にしかわからない悔しさがあるのもわかります。
ですが、じゃあそうしなかった人はどうかというと、今だってこんなふうに「思いやりがない」「酷い」「一つの側面しかわかっていないと、八つ当たり?のようなことを言われるのです。
いわゆる「ユル活のおまえに何がわかる?」みたいな感じですかね。
今じゃなくて当時だって、やったらやったで、やらなかったらやらなかったで両方に苦悩も悩みもあるんですよ、種類が違うだけで。

確かに誰にとっても体験したことは「一側面」でしょう。
じゃあ全部を体験している人はいるのですか?

私は自分が知らなかった様々な人をびっくりしましたよ。
でもびっくりしただけで終わらせず、「ならば自分にできることは?」とアンチブログを書き続けました。
私は知らなかったいいろんな立場を代弁する如く、徹底的にまる4年は書きましたよ。
自分でいうのも何ですが、私ほど書いた人はいないんじゃないでしょうかね。
その中でいわゆる「よくわかっている」「思いやりに満ちた」コメントも、今の記事の数百倍は書いたと思います。

まあともかく様々な立場の人の記事を書きましたが、今はそんな人のため気取りはやめて、自分目線で好きなことを書いていますけどね。

なのでこの記事が「一側面だけで断じる記事。
あたかもそれが創価を体験した人皆の意見のように書いてある記事」と言われたら、そう思われてもしょうがないと思います。

実際私も同じようなことを思うことに感じることはありますよ。
例えば「会員は加害者であり、被害者でしかない」
「一人として幸せになったことがない」
「事実を知ったら自分のこれまでの人生を全否定することになる」
「いいところもあるなんてよく言えるな」
「会員は財産を貢いだ、カモられた、ドブに捨てた」
「アンチ記事を書かないのは、可哀そうな人を見て見ぬふりをしている人と一緒」
このような書き込みをみると、それはあなたが思うことでしょう?
全員ではないよ。
一側面での書き方だ、なんて自分中心、酷いなあ、なんて私も思いますよ。

万人に賛同される意見は無理と思います。
なので私はUnknownさんのコメントも、そういう意見もあるだろうなと受け止めています。
返信する
Unknown ()
2019-09-07 08:36:07
他力本願さんの記事に、ここでのUnknownさんの投稿が早速載っていますね。
私のブログの読者とは知らなかったわ。
ホントにブログの記事すら100%他力本願ですねえ。
引用元も明かさずコピペ。

まあちょうどよかった。
他力本願さんは正宗の人みたいですが、このコメントを読んで「ならば正宗」とならない人もいっぱいいるということです。
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Unknown (Unknown)
2019-09-07 17:38:37
一側面からの意見として受け取ってもらえばそれでいい。

最後に分別をわきまえず時間や家庭を犠牲にして組織活動に身を投じた愚かな者からの言葉を。

人は自身が体験したことしか真実として伝えることはできない。
百万の言葉を並べて飾ってみても真実どころか事実にもなり得ない。
他人の体験はあくまで他人の体験でしかない。
そして体験を持った読む側には何が真実なのかわかってしまうのである。

不躾なコメントに長文の返信をいただき感謝申し上げる。
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Unknown ()
2019-09-07 18:27:10
こちらこそ、率直なコメントをありがとうございます。
そうですね。
体験したことは、体験した人にしかわからないでしょう。

珈琲ブログはあくまでも自分目線のブログで、自分のために書いています。
S関係の記事も、アンチブログではないので、アンチから共感されるものではありません。
そして現役会員、またはやめた人の過去を批判するようなことは書いていないつもりです。
それはバリ活にしろ、ユル活にしろです。

今回の記事は、会員は「池田マンセーだった」と明らかに侮辱をこめて池田氏にゾッコン(だった)かのように言われることが多いので、それは違うと書きたかっただけです。
少なからず「私の体験では」信仰心はあっても、それは自分や家族の幸せのためで、池田のためなど考えたこともなかった。

池田氏のためではなかったけど、でも本当に私は一生懸命やりましたよ。
家族のためなら必死で何時間でも祈れたし、これは家族の迷惑にならずにできると思ったことなら、心をこめてやりました。
人前でさも信心があるようにふるまって「スゴイねえ」みたいなことじゃなくて、誰が見てる見てないなんて関係なく。
私はSが大好きな会員でしたからね(笑)

それからこれはUnknownさんにではないのですが、「時間や家庭を犠牲にしてまで組織活動に身を投じなかった=身勝手なユル活」とバカにする人が未だにいるのが面白いですね。
かといって「時間や家庭を犠牲にしてまで組織活動に身を投じた=思考停止のバリ活」人をせせら笑って、責めて「反省しろ!!」という人もいますけどね。
ここは毒舌ですが、そういうブログではないです。
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