珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

経過

2024-08-25 | ネドじゅんさん
初めてネドじゅんさんの話を聞いた時、自分で「ワタシ」をゆび指してみたら、それは頭というか顔の部分だった。
はっきりそうだった。
が、今は間違いなくそれは胸の辺りで、何なら時々お腹ら辺まで下がる時もある。
そもそも「ワタシ」という単語自体がピンと来なくなって、「意識」と言い変えないとしっくりこない。
ワタシ?いやいや「意識」なら?と思うと、それは100%胸から下に感じる。

私はワークなんてものをコツコツやるタイプじゃないらしく、いわゆるエレベータの呼吸なんていうのはやらなかった。
1、2度やってみたけど面倒くさくて(小声)
ただそんなことをやらなくても、ワタシを生きているのは、ワタシが意識している自我みたいなチンケなものじゃなくて、とてつもない「生命」であるというのはすぐ入ってきたというか、あっさりイメージできた。
いや冗談抜きで、これを理解するために脳幹出血というエグイ経験をする必要があったのでは?と思っている。

で、心からそう思って私を生きている「生命さん」にちょいちょい話しかけたり、寝る前なんかは特に「ねえねえ」と貼り付いて(そういう感覚)いるんだけど、一つ確実に言えることは、そうやってストーカーしている時が楽しくて楽しくて、ホントにウキウキルンルンなんですよ。
なんでそんなふうに感じるかは謎なんだけど、例えていえば好きな人と過ごしている感じ。なんでと言われても楽しいんだからしょうがないとしか言えない。
だから寝つきがめちゃめちゃよくて、実に気持ちよく眠りに入っていく。

じゃあもう不安とか心配ごととかないわけ?押さえても押さえても暴れ出す、ネガティブな考えは浮かぶことないわけ?ああそうか、さし迫った悩みがないんだねえ。いいね、お気楽な身分で。
ということなかれ。
ありますよ、生きていればそんなの山ほど。書かないだけで。
でも、そういう瞬間が来た時、その瞬間に気づくんですよ。見えると言った方が近い感じかな。
それはワタシが言おうと思って言ってるじゃなくて確かに「勝手に流れてくる」のがわかる。
内容は同意できるんだけど、ワタシが思っていることを「誰かに言い当てられてられている」ように客観的に感じるので、思わずピシャッとシャッターする。だってそれはワタシじゃないから。
いい話なら聞くけど、ネガティブなことなんて聞きたくないじゃない?

ここまでが現在起きていることで、ネドじゅんさんのnoteの変容カードでいったらちょうど15枚目まできた。
①~⑮を読んでいくと「そうそう!!わかる!!まんまこの通り」という感じですね。

別に超能力者になった実感もないし、モノがキラキラ見えるとか視界が伸びたとか、度肝を抜く超ワンネス体験をしたわけでもないけど、とりあえずここまできて「何やうまく言えないけど何かが変化しているような気がする」とは思う。
目標は変容カードでいうところの30枚目ですね。
身体に問い続けていくと、「その行為そのものが意識を変えて、答えを受け取るようになる。どこからサインが来ても決して見落とさない意識に書き換わる」なんてスペクタルじゃないですか✨

いやー面白いわ。
生命というこの世界をすっぽり覆ているらしい、とてつもなくパワフルで愛に満ちた世界を体感する旅…とご覧の通り、こういう話を書くと自治ネタよりずっとテンション爆上がりになってしまう😆 

参照👇 
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