子どもが、親より友達といる方が楽しいという年頃になってきた。
おお!!どんどん自分の世界を作っていってくれ。
私は、娘がはじめて相当に心を痛めたことについて知っている。
通り魔事件など、あんな低次元な出来事ではない。
あんなことで彼女は傷つかないし、しょうもない影響なんか受けないのである。
(心理学の専門家がついてカウンセリングに躍起になる中、実はかったるいなあと思っていた母子)
おとなしくてほとんどしゃべらなかった幼稚園では全く友達ができず、小学校でもそれが続いたある年に、彼女が初めて「親友」と呼んだ友達ができた。
娘にとっては生まれて初めての、心を掴れた相手のようだった。
本当はもっと小さいうちに経験するんだろうけど、無口で主張しない性格から、思春期の一歩手前くらいにやっとできた仲良しに、彼女は夢中になった。
頭の中はその仲良しに、朝から晩まで占領されているかのようだった。
自分とはまるでタイプの違う、積極的で主張するタイプのその子は、話すことも刺激的で退屈しないと、いつも嬉しそうに友達の話をした。
だけど学年が変わって女の子がややこしくなっていく過程で、例に漏れずややこしくなり…その仲良しとは、離れてしまうことになった。
まあ私が見たところ、失恋と同じである。
フラれたのは娘の方。
活発な友達は、もっとクラスで目立つ人気グループに誘われる方が楽しいという感じだった。
娘の中では、これがなかなか納得がいかないようだった。
私はイジワルなんかしていない。約束も破ったことがない。「言わないで」と言われたことは絶対言わなかったけど、××は何でもすぐしゃべった。
でも私はそれも許したし、あれもこれも譲ってきたのに…
おそらく、その何でも譲るという娘の性格が、友達にはつまらなかったのだと思う。
娘の大事に思う価値観より、その子にはもっと優先したいものがあったんだろう。
難しいもんである。
娘は不満を人前で口に出さないタイプで、学校ではニコニコしているが、私の前にくると不満を爆発させた。
かと思うとじっと考え込んでいる時もあった。
私が見ている限り、明らかにこの一件は、娘の成長のどの過程より彼女に影響を与えた。
女の子のたわいないことと言えばそれまでだけど、大人でも同じことである。
ロスト感というものは、対象が人であれ何であれ、人によっては泣いたりわめいたり延々愚痴ったりするもんである。
大人は過ぎてしまえば、まるでなかったことにするだけの話。
痛みはいつか忘れる。
娘は「私は長いよ」とクール言った。(怖いわ!!)
親としては、子どもが辛い思いをしているのを見ているのは愉快ではないが、この子がもっと厚顔で図太くて「私、何も堪えないから」としれっと言う人間になったらいいかというと、それもまた違う。
それで笑顔を見せてくれるからいい、とも言えないのである。
これがいいとかわるいとか、教科書に書いてあるように単純でないのがおもしろいのである。
おお!!どんどん自分の世界を作っていってくれ。
私は、娘がはじめて相当に心を痛めたことについて知っている。
通り魔事件など、あんな低次元な出来事ではない。
あんなことで彼女は傷つかないし、しょうもない影響なんか受けないのである。
(心理学の専門家がついてカウンセリングに躍起になる中、実はかったるいなあと思っていた母子)
おとなしくてほとんどしゃべらなかった幼稚園では全く友達ができず、小学校でもそれが続いたある年に、彼女が初めて「親友」と呼んだ友達ができた。
娘にとっては生まれて初めての、心を掴れた相手のようだった。
本当はもっと小さいうちに経験するんだろうけど、無口で主張しない性格から、思春期の一歩手前くらいにやっとできた仲良しに、彼女は夢中になった。
頭の中はその仲良しに、朝から晩まで占領されているかのようだった。
自分とはまるでタイプの違う、積極的で主張するタイプのその子は、話すことも刺激的で退屈しないと、いつも嬉しそうに友達の話をした。
だけど学年が変わって女の子がややこしくなっていく過程で、例に漏れずややこしくなり…その仲良しとは、離れてしまうことになった。
まあ私が見たところ、失恋と同じである。
フラれたのは娘の方。
活発な友達は、もっとクラスで目立つ人気グループに誘われる方が楽しいという感じだった。
娘の中では、これがなかなか納得がいかないようだった。
私はイジワルなんかしていない。約束も破ったことがない。「言わないで」と言われたことは絶対言わなかったけど、××は何でもすぐしゃべった。
でも私はそれも許したし、あれもこれも譲ってきたのに…
おそらく、その何でも譲るという娘の性格が、友達にはつまらなかったのだと思う。
娘の大事に思う価値観より、その子にはもっと優先したいものがあったんだろう。
難しいもんである。
娘は不満を人前で口に出さないタイプで、学校ではニコニコしているが、私の前にくると不満を爆発させた。
かと思うとじっと考え込んでいる時もあった。
私が見ている限り、明らかにこの一件は、娘の成長のどの過程より彼女に影響を与えた。
女の子のたわいないことと言えばそれまでだけど、大人でも同じことである。
ロスト感というものは、対象が人であれ何であれ、人によっては泣いたりわめいたり延々愚痴ったりするもんである。
大人は過ぎてしまえば、まるでなかったことにするだけの話。
痛みはいつか忘れる。
娘は「私は長いよ」とクール言った。(怖いわ!!)
親としては、子どもが辛い思いをしているのを見ているのは愉快ではないが、この子がもっと厚顔で図太くて「私、何も堪えないから」としれっと言う人間になったらいいかというと、それもまた違う。
それで笑顔を見せてくれるからいい、とも言えないのである。
これがいいとかわるいとか、教科書に書いてあるように単純でないのがおもしろいのである。
「私は長いよ。」に、将来の日本を背負って立つ人になるであろう頼もしさを感じました。
大人の世界では、昨日まで、自分は一番の理解者だと自慢してくれていた人が、明日には一番の批判者になったり、友達になれたと思ってた人が、実は利用価値があるから付き合ってくれてただけ?みたいな裏切りにあったり、なんてことが平気でありますから、長~く考えて、人を見る目を養ってくれたらいいですね。
皆それぞれに言い分と価値観があるから、そんなことは当たり前のこと。
ただ、娘だったら違うやり方をしたと思う。
そして皆が皆、じゃあ自分と同じやり方をするかというとそれも違う。
学んでほしいんですよね。納得がいくまで。
ああいう事件に遭ってもケロッとしてるし、加害者の悪口一つ言わない子が、なんでこの件で変わったのか。
何を感じているのかを見ています。
通り魔事件をいつまでも気にして、この件を気にしない子じゃなくてよかったかな、とは思いますね。
Kちゃんは、他の子達からM(娘)に嫌がらせしてやろう、と誘われると
毎度さっさとそれに乗って一緒にいじわるして来た。
で、後になって大好きだのなんだの言ってきて
「だって、私がMちゃんみたいな事されたら私、生きていけないもん」
なんだそうな。
そんな、生きて行けないようなことを我慢した我が娘‥
時は過ぎ、現在我が娘は絶賛不登校中。
心配してKちゃん親子がお菓子持参で様子を見に来てくれた。
で、お菓子はさっさと食べたが添えられていた手紙は未開封のまま。
マスキングテープで封をしてあったのをいい事に
そっと開けて中味を読んでしまった。
「辛いこと、私に何でも話してね。私を信用して頼ってね!」
などなど。
こそ〜っと封をして、元に戻した。
「よう言うわ(笑)(笑)」
大人は自由だぞ~。
ベタベタと一緒にいる友達がいなくても、好きに生きていける。
今思うと学生時代がいちばん面倒くさかったなあ。
うちの学校は保健室登校ってのがあるよ。
保健室で一人でプリントしたりするんだけど、家にいるより、とりあえず制服着て登校はする。
放課後たまに教室に行ったりするみたい。
ピノコのクラスにも一人、やっぱりいるなあ…