珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

箱根駅伝

2020-09-21 | 思うこと
「箱根駅伝は開催されるが無観客で行う。沿道での応援は自粛を願いたい」というニュース記事を読んだ。

これを決定した人も、まあ本心ではないと思う。
沿道で旗を振ってワーワー応援すると、そこからクラスターが発生して、医療崩壊が起こって、「人殺し」に繋がる問題に発展しするからいけない
なんてアホみたいな理屈を信じているわけがない。

むしろこんな決定権を持つ立場にいるような人こそ、そこまでの地位に上り詰めたような人なんだから、人一倍頭がよくて努力家で、個人的にはぜーーんぶ解っているはずと思う。

解っているけど、大衆に圧倒的に人気があるのは、科学的なものより「空気」の方なのも知っている。
内容ではなく、人は頭も努力も使わなくていいラクチンが好きで、
どっちが熱狂的に支持されるかも、自分がどっちを押せば得なのかも、よーく知っている。

だから科学的な思考より、人気、空気、お得を優先するんだと思う。

子供の時読んでいた学研の「学習」と「科学」って、「学習」に対して「科学」ってその厚みが全然薄かった。
実際「学習」をとっている子と「科学」をとっている子では、「学習」をとっている子が多かった。
(たまに両方とっている子がいたけど、それはお金持ちの子だけだった?)

今思うと一冊にまとめればよかったのに、なんでわざわざ分けたのかな?
人を敢えて偏らせかったのか、分別したかったのか、それがとても不思議に思う。
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2020-09-21 | S教団関係
今回はこれ。
役職をもって大変な思いをしてきたバリ活はすぐ覚醒できるけど、ラクしてきたユル活やチョイ活はなかなか覚醒しないのですか?

昔人気のアンチブログで、私もそう書いたことはありました。
が、今改めて考えるとこれは、言葉が足りないかなと思います。
(それと人によります)
ちなみに私はアンチブログを3日読んだだけで「あらま、そうだったの?」と迷わずあっさり心も活動も決めました。
今までの人生を否定するのは苦しいとも思わなかった。
それはチョイ活ゆえんでしょ、と一言で終わらせないで頂きたい。
私はほぼ二世で、鼓笛隊や大河グループ、文化祭で根本から鍛えられた勤行も欠かさない狂信だったし、それなりにしっかり担当していたよ。
無責任な性格でもないつもりだし、居留守とか返事無視とか無断欠勤とかそういうことは、どんな分野であれ嫌いな性分。
大変な役職を受けなかったのも「ラクしたかった」とかの一言で片づけられるのも心外で、外部との結婚や仕事の事情や一つではないことを強く言いたい。

ユル活やチョイ活みたいな調子のいい人は覚醒しない…これはそんな単純なものじゃなくて、誤解を恐れずに書くと、そういう人たちはとっくに覚醒しているんですよ。
言ってみれば
「おかしいことはやらない、やらなくていい」
「おかしいことにはやらないからって後ろめたさなど感じない」
「組織活動や、人の言うことなんていいところもあれば悪いところもある」
「組織活動と信仰心は別」
もともとこういう部分だけ覚醒しているんです。
いちいちこういうことを言葉にする人がいないか少ないだけで、最初からこれはわかっているんですよね

だから「ユル活、チョイ活は一生覚醒してないで、妄信したままな残念な人」という見方は私はちょっと違うと思っている。
バリ活から見るとここがわからないかもしれないけど、元から何から何までを妄信はしてはいない。
会員なら妄信の「100」で、やめたら覚醒の「0」ではないというか。

このまま組織が衰退して、ユル活、チョイ活だけが残っていったら、組織もそういうおとなしい組織になるでしょう。
強引なおばちゃんが嫌いとかパワハラ気味の男子部体制が嫌いという意見はよく聞くから、ならば、それならでそれでいいじゃないでしょうかね…とある意味、楽観的にみることもできるかなと。
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