Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

モリッシー in Zepp Nagoya 2012.5.2

2012-05-05 01:36:33 | Morrissey Live

怒涛の今週。

月曜日に大阪へ行き、水曜日に名古屋へ行き、木曜日に恵比寿で泣き崩れ、

まだ金曜日なんて信じられない…

てか、今週だけじゃないんだけど。

一生分生きたくらいの4月19日からの15日間が終わった後の金曜日。

記憶が薄れる前に、まず5月2日の名古屋でのライブのこと書きます。

 

いつもの通り、バタバタでたどり着いた、お約束のように雨の名古屋会場。

名古屋に行く間、新幹線では切な死しそうだった。

着実に終わりが近づいてる…

 

でも、開場を待つ列に加わるとおなじみの皆さんと整理番号が近くてほっとしました。

入場したら右側の端には近いが最前列。

またまたまわりはおなじみの皆さんで、ほっとした。

後列にはミラクルオレンジボーイもいて縁起がいい感じだったしw

 

しかし不思議。2週間前には実際に会ったことも話したこともなかった人たちと

まるで昔からの知り合いみたいに、前提やら説明抜きで話しまくって。。。

 

そしてこれがセットリスト。

もうひとりのこの日のミラクルブルーボーイリグレットくん撮影画像をもらいました。

(以下の2点の画像も彼がくれました、ありがとう!)

 

大阪に続き、またまたHow soon is now始まり。

ここからWhen Last I spoke to carolまではアゲアゲノリノリで

さっきまで切なさMAXだったのに、なんでこんなに元気なんだろ~

という感じだった。

 

それにしても、もう今回のこの公演で6回目のモリッシーなのに

毎回毎回まったく違う。替え玉ッシーが6体いるのか?

いや、本質はすべて同じなのだが、

声の調子やらご機嫌やらエネルギーのためと拡散方法やら、

毎回毎回の違いが新鮮過ぎて、もう暗唱している、何度も聞いている

歌を聞いても飽きることがない。

 

あああ、これって。ずーっとわたしが憧れていたヤーツだ。

「今日のモリッシーは昨日と違ってこうだったね。でも先週と比べる

とどうだった」とか言ってみたかった!単発ではなくって、ある程度の

期間でモリッシーを観て、感じて、自分の言葉で表現してみたかったという夢が

叶っていた。モリッシーが日本に来てくれて国内縦断ツアーしてくれたおかげ。

 

バックドロップもプチお直し入ってるしwww

 

いろんなこと考えて楽しくてご機嫌なわたしだったのだが

 

だが

だが

 

Last night I dreamt that somebody loved meで、激泣き… 

こんなに泣いたのは、父親が死んで以来だったかもしれない。

目の前のセキュリティーのおにいさんが、イケナイものを見るみたく

わたしを見ては、目をそらし、おびえていた…。

 

Last night I felt

Real arms aroud me

No hope, No harm

Just another false alarm

 

そして続く歌詞を

 

So tell me how long before the next one

 

に勝手に置き換えて泣いた。

 

いつ、いつ、いつ、またこんな幸せがくるのだろう?

こんな幸せはもう二度となくてもおかしくないレベル。

目の前で、この目の前で本物のモリッシーが全身全霊を

こめて歌っているのを観てしまった。

これ以上のこと、何を望むのだろう?

そう思いながらも自分の中の、108どころか1088888888888888くらいの

モリッシーに対する煩悩が私を苛んだ。

 

明日で終わるなんて、終わるなんて、終わるなんて、

こんなに好きですばらしいものがあるとこんなに苦しいなんて。。。

そう苦しみもだえながら、幸せ過ぎて、もう泣く、って行為が

なにをあらわしてんのかわかんなくなりながら泣いた。

わたしはなんで泣いてんのか?

 

そして、I will see you in far-off placesで、

モリッシーがわたしの疑問に答えを与えにやってきた。

チッタでモリッシーの手を握った時、ちょっとひっぱり気味になってしまって

あちらは「おっとだめだぜ」的だった。

今回は、右の何人かと最初に握手を交わし、わたしはその中から漏れたのだが

あまりに情念を送りすぎたためか「I will see you~♪」と言いながら

「やっぱきたぜ」的にもう一度来てくれて手を出してくれた。

 

わたしは前回のだめ出しがあったので、まず左手で握手し、右手でこれ以上

やさしくできないくらい、どんな彼氏にもダンナにもやったことないくらいやさしく、

包んだ。比べるなら新生児だっこするくらいのレベル。

新生児どころか52歳のひとの手。でもやわらかく、あたたかく、さらさらしている。

モリッシーは今回は「おっとだめだぜ」感を出さなかった。

気のせいだけど、「そんならいいぜ」的だった。べつに怒られてもないけど

「赦された」と思った。勝手にね。自分の脳内ストーリー。

 

こんな人だ。やさしいんだ、ほんとに。

そんな人を好きで好きで好きで、やっぱ悲しいんじゃなくてうれしいんだ。

だから泣くんだ、と思った。

 

やさしい人のやさしい、肉体。

 

そっからアンコールまでも泣き泣きなので以下省略。

とは言え、魂は泣きながらも肉体は踊らされたり、ほんとに忙しい。

 

そしてアンコールのFirst of the gang to dieで、「ヘクター」を「オスカー」

と変えて歌っていたのも印象的。

わたしは前からこのブログでも言っているのだが、この歌の歌詞は

確実にオスカー・ワイルドの言葉の影響を受けていると思うのだ。

モリッシー、ブログ読んで「そうだぜ」とか思ってたらどうしよう!!

とか一瞬馬鹿なことも考えたが、

な、わけないよな。読んでたら、マジひいてそうwww

ああやって「オスカー・ワズ・ア~♪」ってオスカーをちょっと大きな声で

うれしそうにやってるモリッシーが大好き。

 

で、まさかのアンコール2曲。これは散々ツアーを観ている先輩方

からも「珍しい」と感嘆の声を聞いた。

 

最後のEveryday is like Sundayで、今回のツアーで盟友とも言いたい

彼が抱きつきに成功して本当に、感動した。

 

ふと見ると、自分の前にいつも見張っているいかついセキュリティーがいない。

いけんじゃね?と108888888888888888の煩悩のうちのなんこかが

囁きかけたが、わたしは今日モリッシーと一瞬の手と手交感ができたのだから

(勝手にね)いいじゃあないか、やめときましょうよとほかのもっと良いものが

囁きかけた。

 

だから、

柵の下のロープに足をかけるレベルでやめておいた←でも足はかけてんのかいwww

そうしたら、もう一回モリッシーが来てくれた。

すごい青い目で、笑顔で、手を出してくれた。

 

自分はゆきすぎる。

過剰すぎて、苦しくなる。

もっと普通に好きでいたい、と何度も反省した。

自分が自分であることを何度もいやに思った。

大人になったら治るかと思ったのに、治らない。

治らないどころかどんどん増していく。

こんなふうにしかできない。

こんなふうにしか愛せない。

それでもういいや、って思えた一瞬だった。

 

名古屋の夜、最高だった。 


モリッシー in Zepp Namba 2012.4.30

2012-05-01 23:15:11 | Morrissey Collection

モリッシーの大阪公演。

 

江戸女が、慣れない大阪の街をさんざん歩いて疲れてたどり着き、

開場を待つ列に並ぶと雨が強くなってきた。

ロックな先輩ふたりに「今日はアウェイなのでおとなしくします…」宣言。

入場するとど真ん中2列目がとれたけれど、先輩にお譲りした。

今回は、落ち着いて、ど真ん中から「全体像」を見たかったのである。

 

「いつも出てくる時にモリッシーって、ご当地アレンジみたいな挨拶すんです」

と言ったら、関西ネイティブの先輩たちは

「ドナイヤネン、オオサカー!」

「モーカッテマッカー、オオサカー!」

「マイド!オオサカー!」

とかいろんなバージョンを考えてくれたので、

なんかあたりそう、と思っていた。

 

が、

 

定刻きっかりさんのモリッシーがステージに現れかましたのは

 

「オオサカ・ワーイルド!!

オスカァー・ワイルド!!」

 

とまさかのオヤジギャグ…

 

常人のセンスを超えていたのである。

 

笑いの本場、大阪に真正面から喧嘩を売ってきた、というか

もう勝ったつもりふうにドヤ顔で「うんうん」みたいにうなずいて

バックドロップにワイルド登場。

 

かなり気が抜けたのだが、

「How soon is now」のイントロでかいなってぃー理性ぶっ飛び。

モリッシーのソロでのこの曲は、もう立派な縦ノリ気合いソング。

往年の、マンチェスターの黒い空が2つに裂けて魔王の馬車が

現れるソングではないのです(あたししかそんなふうには思ってないかw)

縦に暴れるわたしに先輩からは「うーそーつーきー!!」コール…

 

そして、こんな具合にライブは進んでいった。

 

なんか、モリッシーの声が途中「んがっんん」みたいな詰まった感あったけど、

なーんも「モリッシーであること」を損なうことではなかった。

(SpeedwayでいきなりLast of the famous international playboyを

かすれ声で挿入したのはしびれたオマケだったな~~~)

 

モリッシーファン外国人に「Nothing can cut off MOZ, but

I cut off his shirt to share again」とジョーク飛ばしたら喜んでたw

 

そう、彼の声のコンディション、バックの音、観客のノリ、つまらないギャグw…

といった「各論」はぶっ飛ばす、強烈な「総論」のうねり。

モリッシーという「総論」の重さと心地よさ、、、

 

今回の私の頂点はいつもはそんなにこだわり(?)のないOuijaboardで訪れた。

 

モリッシーの「こっくりさんを動かす手」を感じたのです!!

 

Oh hear my voice...

Oh hear my voice...

 

という、モリッシーの祈りみたいな声、そして手かざしに向かって

わたしも手をあげてみた。

何度も言うが本当にワンピースのルフィーみたいなゴム人間だか

怪物くんになって手がびよよーんと伸びてモリッシーの手の平のシワと自分の

シワをあわせて「シアワセ」したかった。

でもできない。

近いのにとても遠い。

もし、最前列で手と手を触れたとしても遠い。

触っても触っても決して満たされることはないのは痛いほどわかっている。

それなのに手を伸ばしている自分はいったいなにをつかもうとしているのか?

 

しかし、このOuijaboardの時、モリッシーの声に合わせて手を上げた時、

本当にあたたかい血が通いなおされる、みたいなモリッシーの「気」を感じた。

(わたしは普段、そういうスピリチャル系にまったくこだわりのない女なのに…)

 

今日発売のRO6月号でのモリッシーインタビュー。

途中のボウイのかっこよすぎるグラビアの誘惑を振り切り60ページに直行。

もうすべて胸が震えるようなモリッシーの言葉、テキストなのだが、

印象に残ったところ。

 

モリッシーは「歌」に出会う前までは孤独で殻に閉じこもっていた。

それがいざ歌い始めたらとても身体的な作業であることがわかった。

体全体を使うことになるからとても癒しになる。

人前で歌って、それに人が応えてくれることこそがまさに薬。

それがなければとっくに地面に埋まって死んでいた。

 

わたしは、「とっても遅い遅い遅い時間」(←これもモリッシーのギャグ。6時半に

終わったっちゅーのw)の昨日のライブで同じことを感じた。

モリッシーは時々歌いながら、まるで体の鱗粉を落とすみたいに

胸から下にむかって左右の手交互に払っていく。

モリッシーのライブとは、目に見えないモリッ粉が拡散されて、

みんなあれを鼻から…口から…吸入する「レメディー」の場なのではないか。

モリッシーが癒されれば癒されるほど、そのモリッ粉は生成され、

わたしたちこそ救済される。

 

そうツイッターでゆったらツイッターフレンドのロニーさんが

「それだと司祭→サイババの域に突入」と言ってて笑ったけど、

まあ、あたしには司祭以上だ。

司祭はギャグとかメンバーいじめ(メンバー紹介の時、みんな変態バー

から拾ってきた的な紹介しててひどい)とかしないしwww

モリッシーのセイント・モリッシーではない、

「在家」むしろ「地べた」っぽさがかなり好きなのである。

 

地べたから這いつくばって、それでも空に輝く星を見上げ歌う。

まさに、オスカーワイルドの詩を地でいく、ワイルドワイルドモリッシー。

あ、前にワイルドのことも書いてるから見てね★

うわーーーー名古屋の日になっちゃったよ。