Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

モリッシー in Zepp Namba 2012.4.30

2012-05-01 23:15:11 | Morrissey Collection

モリッシーの大阪公演。

 

江戸女が、慣れない大阪の街をさんざん歩いて疲れてたどり着き、

開場を待つ列に並ぶと雨が強くなってきた。

ロックな先輩ふたりに「今日はアウェイなのでおとなしくします…」宣言。

入場するとど真ん中2列目がとれたけれど、先輩にお譲りした。

今回は、落ち着いて、ど真ん中から「全体像」を見たかったのである。

 

「いつも出てくる時にモリッシーって、ご当地アレンジみたいな挨拶すんです」

と言ったら、関西ネイティブの先輩たちは

「ドナイヤネン、オオサカー!」

「モーカッテマッカー、オオサカー!」

「マイド!オオサカー!」

とかいろんなバージョンを考えてくれたので、

なんかあたりそう、と思っていた。

 

が、

 

定刻きっかりさんのモリッシーがステージに現れかましたのは

 

「オオサカ・ワーイルド!!

オスカァー・ワイルド!!」

 

とまさかのオヤジギャグ…

 

常人のセンスを超えていたのである。

 

笑いの本場、大阪に真正面から喧嘩を売ってきた、というか

もう勝ったつもりふうにドヤ顔で「うんうん」みたいにうなずいて

バックドロップにワイルド登場。

 

かなり気が抜けたのだが、

「How soon is now」のイントロでかいなってぃー理性ぶっ飛び。

モリッシーのソロでのこの曲は、もう立派な縦ノリ気合いソング。

往年の、マンチェスターの黒い空が2つに裂けて魔王の馬車が

現れるソングではないのです(あたししかそんなふうには思ってないかw)

縦に暴れるわたしに先輩からは「うーそーつーきー!!」コール…

 

そして、こんな具合にライブは進んでいった。

 

なんか、モリッシーの声が途中「んがっんん」みたいな詰まった感あったけど、

なーんも「モリッシーであること」を損なうことではなかった。

(SpeedwayでいきなりLast of the famous international playboyを

かすれ声で挿入したのはしびれたオマケだったな~~~)

 

モリッシーファン外国人に「Nothing can cut off MOZ, but

I cut off his shirt to share again」とジョーク飛ばしたら喜んでたw

 

そう、彼の声のコンディション、バックの音、観客のノリ、つまらないギャグw…

といった「各論」はぶっ飛ばす、強烈な「総論」のうねり。

モリッシーという「総論」の重さと心地よさ、、、

 

今回の私の頂点はいつもはそんなにこだわり(?)のないOuijaboardで訪れた。

 

モリッシーの「こっくりさんを動かす手」を感じたのです!!

 

Oh hear my voice...

Oh hear my voice...

 

という、モリッシーの祈りみたいな声、そして手かざしに向かって

わたしも手をあげてみた。

何度も言うが本当にワンピースのルフィーみたいなゴム人間だか

怪物くんになって手がびよよーんと伸びてモリッシーの手の平のシワと自分の

シワをあわせて「シアワセ」したかった。

でもできない。

近いのにとても遠い。

もし、最前列で手と手を触れたとしても遠い。

触っても触っても決して満たされることはないのは痛いほどわかっている。

それなのに手を伸ばしている自分はいったいなにをつかもうとしているのか?

 

しかし、このOuijaboardの時、モリッシーの声に合わせて手を上げた時、

本当にあたたかい血が通いなおされる、みたいなモリッシーの「気」を感じた。

(わたしは普段、そういうスピリチャル系にまったくこだわりのない女なのに…)

 

今日発売のRO6月号でのモリッシーインタビュー。

途中のボウイのかっこよすぎるグラビアの誘惑を振り切り60ページに直行。

もうすべて胸が震えるようなモリッシーの言葉、テキストなのだが、

印象に残ったところ。

 

モリッシーは「歌」に出会う前までは孤独で殻に閉じこもっていた。

それがいざ歌い始めたらとても身体的な作業であることがわかった。

体全体を使うことになるからとても癒しになる。

人前で歌って、それに人が応えてくれることこそがまさに薬。

それがなければとっくに地面に埋まって死んでいた。

 

わたしは、「とっても遅い遅い遅い時間」(←これもモリッシーのギャグ。6時半に

終わったっちゅーのw)の昨日のライブで同じことを感じた。

モリッシーは時々歌いながら、まるで体の鱗粉を落とすみたいに

胸から下にむかって左右の手交互に払っていく。

モリッシーのライブとは、目に見えないモリッ粉が拡散されて、

みんなあれを鼻から…口から…吸入する「レメディー」の場なのではないか。

モリッシーが癒されれば癒されるほど、そのモリッ粉は生成され、

わたしたちこそ救済される。

 

そうツイッターでゆったらツイッターフレンドのロニーさんが

「それだと司祭→サイババの域に突入」と言ってて笑ったけど、

まあ、あたしには司祭以上だ。

司祭はギャグとかメンバーいじめ(メンバー紹介の時、みんな変態バー

から拾ってきた的な紹介しててひどい)とかしないしwww

モリッシーのセイント・モリッシーではない、

「在家」むしろ「地べた」っぽさがかなり好きなのである。

 

地べたから這いつくばって、それでも空に輝く星を見上げ歌う。

まさに、オスカーワイルドの詩を地でいく、ワイルドワイルドモリッシー。

あ、前にワイルドのことも書いてるから見てね★

うわーーーー名古屋の日になっちゃったよ。