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Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

自分の人生を自分でつかむ握力について

2012-05-15 00:18:56 | Morrissey Live

急にブログ更新を始めたかいなってぃー。

書ける時に書くis my middle name!

てか、書きたい時はいくらでも書けるし、「書きどき」なんでしょうね。

指と心が分離していない。血管にのって書きたいことがあふれてくる。みたいな。

 

おととい、わたしは関西で会ったモリッシーファンのひとりにすっごい長い

「Morrissey Japan tour 2012」という手記を送ってもらい、読ませてもらいました。

14000字!!

『婦人公論』の姑と戦う嫁読者の独白より長い。てか、比較の対象としておかしい、それ!

 

この方の文章こそ、もう文章ではなかった。「思い」のフレッシュ生搾り。

一日分の野菜、じゃなくて一生分の情熱が含有されていた。

 

14000字をシドニー・シェルダン日本語訳ばりに超訳させて

いただきます。

 

この方は

4/21川崎CLUB CITTA、4/27広島Blue Live、

4/30 ZEPP Namba、5/2 ZEPP名古屋の4公演に行きました。

そしてライブを堪能し、広島で2回、名古屋で1回モリッシーに会って

計3回写真を撮ってもらい3回サインをもらい、ライブではモリッシーにもちゃんと

スペシャルrecognizeしてもらい、なんか、もう、サイコーだったのです。

 

そもそも、彼は「ミラクルボーイ」としてファンの間でも話題になっていたし、

ツイッターでも相互フォローさせてもらっていたので、

大阪で初めて会って、名古屋ではほぼ一緒の場所でライブを観て、

その広島でのラッキーな体験を聞かせてもらって…

 

心が狭小住宅並みに狭いかいなってぃー、「ジェラ死ー!」と思っても不思議では

ないのですが、不思議と彼に嫉妬しなかった。

 

なぜかと言うと、彼の、自分の人生を自分でつかむ握力の強さに

感激したからだと思います。彼の手記にはこんなふうにありました。

 

「40年以上生きてきたから、どんなに強く願って努力しても報われない、

叶わないことがこの世の中にはごまんとあることはエレカシの宮本じゃない

僕でも百も承知ですがww、強く願い、アクションを起こすことで叶うことが

ある無謀な夢もあるんだなぁと思いました」

 

そうそう、アクションを起こさないと風は吹かない。

アクションを起こすには強い強い意志が必要、願いが必要、欲望が必要。

 

心に茨を持った少年や少女は、心に茨を持っているおじさんやおばさんになった

けど、ままならない世の中で茨を折っては捨て、折っては捨て…

いろんなことをあきらめたらただの「心にアバラしかないおじさんとかおばさん」

になってしまった。

時々「心にエバラを持った少年」に戻り、モリッシーが嫌がるの承知で肉を食らい…

(↑あまり本文と関係ない。言いたいだけ)

 

そんなとこ、モリッシーが来て、

Action is my middle name I can’t waste time anymore

と歌った。

I want the one I can't have

と歌った。

Once in my life

let me  let me  let me

let me get what I want TONIGHT

と歌った。

 

本当に欲しいものはなんなんだ?

届きそうになくても、しがみついてでも、ほんのちょっとでも触れたいものはなんなんだ?

いま願い、いまやらなきゃいけないことはなんなんだ?

どうしても譲れなくて、どうしてもこうじゃなきゃいけないことはなんなんだ?

誰のためでもない。

自分が自分でいるために。

 

という、この人生を主体的にどうするのか、について

ひとりひとりに問題提起しにモリッシーはやってきた。

 

先ほどの彼、

ミラクルボーイ、ラッキーボーイと言われて、それは確かにそうですが

絶対「棚ー・ボッター」ではないことがわかったから本当に感動した。

自分の願いや望みの実現は、自分の思いでしか引き寄せられない。

モリッシーは前から歩いてきたんじゃなくて、彼の思いの磁力が呼んだのだと

思った。

わたしも仙台で、モリッシーが前から歩いてきた時、わたしから出てた

「会いたすぎ波」が見えた(泣)。モリッシーはその波の上を歩いてきた。

こっちをじーっと見て。

OH GOD, MY CHANCE HAS COME AT LAST!

とモリッシーの詩を引用してゆったわたし。

笑ってた(泣)。

 

彼の手記はこんなふうにしめくくられていた。

かいなってぃー〆泣きした部分。

に、してもモリッシーファンはよく泣くなぁ…。

 

「僕が初めてスミスを知ったのは中学2年か3年のころだと思います。

あの頃の僕には、今思えば本当に楽しいことなんて音楽の中にしか

ありませんでした~大人になって、あの頃より世界は広がって、

あの頃には1人もいなかった友達と呼べる人や仲間もずいぶん増え

ました。もう世界終われ!!!とは思っていません。

ただ、今でも「いい人ですよね」「魅力的な人ですよ」「好きですよ」とか

言われると、彼(モリッシー)のように「なんで?」と聞きたくなります。

でも、反面、すごく感謝しています。そんな風景が僕の人生に広がる

なんて昔は到底考えられなかったから。

彼もひょっとしたらそう思ってるのかもしれません」

 

おとなになってしまい、ある程度人生を「こんな感じ」っていつの間にやら

思ってるけど、

スミス・モリッシーと出会った人は、「こんなんじゃなかった感じ」への

共感性があるから、この世との違和感への親和性があるから、

それに立ち戻らせてくれて、

 

「スルーするな。自分の人生だ。

自分で自分がつかみたいものをつかみとれ」

 

って教えてくれる、実はものすごい強いモリッシーが大好きで、

モリッシーこそが決して消えない光なんですよね。。。

 

M君、すごい体験とすごい手記をどうもありがとう!!


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