快風丸

俺の船に乗らないか。

ミナミの川

2012-10-23 00:08:04 | Weblog

 

混沌とした最も大阪らしかった何かが、覆い隠された。

ここを通るたび、そんな思いがよぎる。

大阪らしさとは、割り切れなさだと思う。汚いのは良くないが、キレイにもしたくない。

商売とは、いつも割り切れないものだから。

対して東京は武家社会。割り切れなさとは無縁の規律、序列を重んじる風土である。

そんな視点は、間違っているか、もしくは無意味なのだろう。

 結局、都市は、それがどこであれ、匂いのしない、音もしない、無機質な冷たい空間をめざすのであろう。

大阪の現実には大阪らしさなどという幻想は必要ないのであろう。

 アマゾン川流域には、たいそうな地下資源が埋まっているのだそうだ。

しかし、人を寄せ付けぬ大自然に阻まれて、開発の手がまわっていないのだという。

 それでも、そこも、もう時間の問題らしい。広大な熱帯雨林は、「世界の肺」と呼ばれている。

二酸化炭素を多く吸い込んで、酸素を作り出している。

それを伐採するということは、世界を呼吸困難に陥れることになる。

 大阪もブラジルも、川は流れるのみである。