一個、300kg。
混沌とした最も大阪らしかった何かが、覆い隠された。
ここを通るたび、そんな思いがよぎる。
大阪らしさとは、割り切れなさだと思う。汚いのは良くないが、キレイにもしたくない。
商売とは、いつも割り切れないものだから。
対して東京は武家社会。割り切れなさとは無縁の規律、序列を重んじる風土である。
そんな視点は、間違っているか、もしくは無意味なのだろう。
結局、都市は、それがどこであれ、匂いのしない、音もしない、無機質な冷たい空間をめざすのであろう。
大阪の現実には大阪らしさなどという幻想は必要ないのであろう。
アマゾン川流域には、たいそうな地下資源が埋まっているのだそうだ。
しかし、人を寄せ付けぬ大自然に阻まれて、開発の手がまわっていないのだという。
それでも、そこも、もう時間の問題らしい。広大な熱帯雨林は、「世界の肺」と呼ばれている。
二酸化炭素を多く吸い込んで、酸素を作り出している。
それを伐採するということは、世界を呼吸困難に陥れることになる。
大阪もブラジルも、川は流れるのみである。