2021年4月3日(土)
武部さんが今、五島列島・野崎島の王位石のことを書き綴っています。
私は以前、長崎県島原市の永野さんから野崎島の王位石の存在を教えてもらって、伊勢の大王崎と日御碕の海底遺跡との関係から、野崎島に眠る大王は、古い古い神様であることを教えられていました。
いったい誰なのでしょうか。
空海の墓と野島神社の御神体山である305mの山と、対馬の豊玉町の111mの山との三点は、見事に2:1:√3の直角三角形を描きます。
これらの山は、忘れてはならない大王と親族の墓であることを空海は知っていて、山口に墓を造ったと私は思っています。
イエス・キリスト以前の大王っていったい誰なのでしょう・・か!?
ユダヤの神様って・・!?
2021年3月4日(木)
出釈迦寺奥の院の上には我拝師山がある。
そして、ここからコンパスグラスで72度方向190㎞先に釈迦岳(630.8m 京都市西京区)がある。
また103度方向168㎞先には護摩壇山(1372m 奈良県十津川村)。
44度方向164㎞先には光明皇后の地下神殿(光明山 551m 兵庫県養父市)がある。
我拝師山 釈迦岳 護摩壇山 光明皇后の地下神殿の四点を結ぶと直角三角形4つの組み合わせである。
しかも下の黄色い三角形は、基本形である2:1:√3の直角三角形となっている。
黄色い三角形は、あたかも平家のアゲハ蝶が出現した様である。
2011年6月24~27日 2回目の訪問 中国の千山から帰ってすぐさま善通寺へと行って、出釈迦寺奥の院の捨身ヶ岳へと行かされましたが、ここにきてやっと全てが繋がったという感じです。
2020年11月13日(金)
下の図形は、橘家で超有名な女性お三方の墓です。
三点は、2:1:√3の直角三角形を描いています。
下は、橘三千代の墓です。
地下空間は、南北に8m×11mほどの長方形の玄室で、そこへは幅2mほどの参道が南から30mほどありそうでした。
下は三千代の子、光明皇后の地下神殿です。
これは世界最大のピラミッドであることが遠からず実証される日が来ることでしょう。
下は、52代嵯峨天皇の皇后だった橘嘉智子の墓です。
橘三千代から四代目が橘嘉智子です。
ゼロ磁場Lロッドコアを持って、地下空間がどれだけあるのかを調べにいかなくてはと思っています。
「武部さん、嘉智子さんが首を長くしてお待ちのご様子ですよ~」
「やっと私の番が廻ってきたようじゃ、何!?空海殿も来られるとな!」と、嘉智子おばさん。
もう、ソワソワ、そわそわしておられるご様子です。
2020年1月
和気清麻呂を祀る京都の護王神社(ごおうじんじゃ)で手を合わす先は、大聖寺であることの重要性が分かって、以前、皆さんと一緒にツアーでも行きました。
大聖寺の不動堂で手を合わす先は、見事にイエス・キリストの墓でしたが、空海様の墓と大聖寺と剣山が基本形の2:1:√3の直角三角形を描きます。
このことからも、剣山の重要性が浮かび上がります。
もちろん大事な空海様の墓に大聖寺、剣山から手を合わす大勢の念が繋がり届くようにとの願いも含まれていることでしょう。
そして、剣山と亀座池と藤原不比等の墓は、1:1:√2。 亀座池と藤原不比等の墓を結ぶ霊ラインには、イエス・キリストの墓が見事に位置しています。
亀座池と藤原不比等の墓と弘法大師廟は、正五角形の一部をなす直角三角形を描きます。
そして亀座池と藤原不比等の墓とを結んだラインを底辺として正五角形の一部を組み合わせたポイントに豊岡市の祥雲寺があります。
祥雲寺は地域名のようですが、この地域には由緒ある神社や寺院があり、おそらく奈良、平安時代には、栄えた寺町があったのではと推測できます。
もっと古くは、丹後王朝など素戔嗚系王族が暮らす地域のように思えてなりません。
古代史研究家の市川慎さん的に言えばこの但馬(たじま)地域は、古代、遠くはペルシャはタージから来た人たちが多く住んでいた地域だと言われます。
市川慎さんが、2月1日(土)のセミナーにも来ていただく予定です。
綺麗な図形は、重要な古代史を教えているようです。
2020年1月19日(日)
竜神山が重要な意味を持った山だと分かったら、次は重要なベンチマークマウンテンの剣山と線を結ぶのは当然である。
その二つの山から重要な場所が推測できる。
その重要な場所は、觜崎ノ屏風岩である。
これらの三点は、土木・建築で重要視される3:4:5の大矩の直角三角形である。
亀座池と觜崎ノ屏風岩とイエス・キリストの墓の三点は、基本形である綺麗な2:1:√3の直角三角形である。
石の宝殿と觜崎ノ屏風岩とイエス・キリストの三点は、直角三角形を描いている。
觜崎ノ屏風岩からイエス・キリストの墓までと姫路の沖合に浮かぶ上島までは同距離で二等辺三角形を描いている。
そして、亀座池とイエス・キリストの墓と上島は、40度50度90度の直角三角形を描いている。
イエス・キリストの墓と剣山と亀座池は直角三角形を描いている。
大いに意味ある直角三角形である。
これら全ての場所は、イエス・キリストの墓を決める、位置出しする重要な山であり島である。
これらのことから、イエス・キリストの墓の場所を決めるのにどのような議論が重ねられたのか、どのような人たちが関わったのか、
又、それはイエス・キリストが生まれる前から決められていたのか、イエスが関わったのか・・。
そのことを知っている人たちが、イエスが葬られて三年後にこの国は倭国大乱になり、78年後にイエスの血を引く卑弥呼が女王として共立されて『邪馬壹国』がスタートしたその時もどのような話し合いがなされたのか。
私には、イエス・キリストが生まれる前から、これらの基本設計はなされていた、造られていたと思えるのだが・・、どうなのだろう、ロマンは膨らむばかりである。
いずれにしても、この国の基本設計は、オリオン座を大地に下して構想され、そこから具体的な詳細設計がなされている
2020年1月18日(土)
空海様の墓と四国で二番目に高い霊峰剣山と愛宕山とは、見事に2:1:√3の直角三角形を描きます。
空海様の墓と四国で一番高い霊峰石鎚山と竜神山とで直角三角形を描きます。
空海様の墓と剣山と愛宕山の2:1:√3の直角三角形につながる、1:1:√2に達磨ヶ峰があります。
達磨ヶ峰には遠い昔、お寺があって、それを下におろしてきたのが、延応寺でした。
この不思議な物語の最初の頃、何度か登らされましたが、意味ある場所であることは、そこから生野の街を眺めるたびにそう思いました。
そして延応寺には空海様の匂いが私にはプンプンしてなりませんでした。
延応寺の庭から眺める風景と、そこから目に飛び込んでくる情報こそ、空海様が剣山から移し替えたアークが隠された場所でした。
空海様は達磨ヶ峰から生野の里を眺めたことでしょう
達磨ヶ峰から大亀山はピラミッドに見えましたね。
達磨ヶ峰から卑弥呼の墓と八幡山ピラミッドも見えていましたね。
2020年1月11日(土)
一番札所から八十八番札所へと行ったこともありましたねぇ。
『一番霊山寺』
高野山金剛峯寺金堂から藤原不比等の墓までと、一番霊山寺までの距離は、共に99.6㎞と同距離で二等辺三角形を描きます。
藤原不比等の墓と東大寺大仏殿と一番霊山寺は直角三角形を描きます。
桓武天皇の陵墓とイエス・キリストの墓と一番霊山寺は直角三角形を描きます。
『八十八番大窪寺』
巡礼地最終の大窪寺で手を合わせると、イエス終焉の地である岡山県備前の穂波に手を合わせるように建築されています。
藤原不比等の墓と高野山弘法大師廟と八十八番大窪寺は、基本形である3:4:5の大矩の直角三角形を描きます。
藤原不比等の墓とイエス・キリストの墓と弘法大師廟は、ケプラー三角形に近い直角三角形を描きます。
イエス・キリストの墓からイエス終焉の地である備前の穂波までの距離と天狗塚(長峰山)までの距離は共に62㎞と同距離で二等辺三角形を描きます。
イエス終焉の地と天狗塚と役行者堂(墓)は、基本形である2:1:√3の直角三角形を描きます。
八十八番大窪寺とイエス終焉の地と天狗塚は、直角三角形を描きます。
役行者は、イエス・キリストの秘密を全て知っていましたね。
2019年12月30日(月)
淡路島で一番高い山である諭鶴羽山とダビデ王の墓と伊勢神宮内宮とは、基本形の2:1:√3の直角三角形を描きます。
又、諭鶴羽山とソロモン王の墓と外宮とは、これも基本形の2:1:√3の直角三角形を描きます。
昨年の七月、伊勢神宮の南に位置する八祢宜山の亀壺の掃除に参加した時に「何で? どうして!??」という光景を目にしました。
それは、JR伊勢駅から外宮、そして内宮に繋がる街道の両脇に長年並んでいたという石灯篭が解体されている光景でした。
「長年あったダビデの星が刻まれた立派な石灯篭が何故壊されているの!??」と驚きを隠せませんでした。
現在どのようになっているのでしょうか。 存在しているのかして居ないのか知りたいものです。
天皇陛下と伊勢神宮との深い結びつき。 そろそろ全てを国民の前に広く語らなければならない時期が近づいているように思う私です。
語らなければ大変なことになる恐れを感じづには居れません。
連面と歴史ある我が国の天皇とは、本来、一国の象徴的なものでなく、全世界人類の象徴的存在が天皇なのでした。
いよいよ「夜明けの晩」の様相のようです。
いよいよカゴメの唄の最終へと来たようです。
出雲大社本殿と伊勢神宮内宮と二等辺三角形を描く場所は、見事に地下神殿がある朝来市生野町口銀谷の絶峯御林です。
大地に浮かび上がった折鶴の意味をもう一度思い起こす時が来たようです。
2019年12月24日(火)
私 : 「卑弥呼さんは、たいへんな美人だったそうですねぇ」
卑弥呼さん :「まぁ~だれがそんなことを言ってるんですか」
私 : 「卑弥呼さんは、琴をよく弾いて居られたらしいですね」
卑弥呼さん : 「どこでそんなこと聞かれたんですか」
私 : 「卑弥呼さんの陵墓は、こと座の主星ベガでしたね」
卑弥呼さん : 「よくもまぁ~・・正解ですわよ。でも・・どうしてそれを・・」
私 : 「でも・・、満たされない寂しさを味あわれたのですね ・・ ・・ 」
卑弥呼さん : 「エッ!何のことですの?」
私 : 「私には想像できかねる世界です・・ ・・ 」
卑弥呼さん : 「奥歯に挟まった様な・・何を言わんとされているのです??」
私 : 「ご両親のお顔をご存じでないと・・」
卑弥呼さん : 「どこの誰からそんなことを・・」
私 : 「生野の傍の川渕の小道を、妹さんと弟さんと3人で「栗」まで連れて来られたんですよね」
卑弥呼さん : 「エ~~~ッ! そのようなことも・・」
私 : 「ハイ、知っています」
卑弥呼さん :「では・・私に男の子がいたこともご存じですの?」
私 : 「ハイ、その経緯も聞いて居ります」
卑弥呼さん : 「・・・・・」
私 : 「大変なお方の血を受け継いでおられたばかりに・・」
卑弥呼さん : 「これも定めと思えるまでには時間もかかりましたが・・」
私 : 「イエス様の聖杯を石の宝殿の巨石の下に御隠しになられたのでしたね」
卑弥呼さん : 「そうそう、そうでしたわね」
私 : 「もう抜き取られていますかねぇ」
卑弥呼さん :「どのようなことになるのでしょうかねぇ・・」
私 : 「生野の地下神殿にももう来年あたりには密かに辿り着く工程のようですし・・」
卑弥呼さん :「どのようなことになるのでしょうかねぇ・・」
私 : 「パパさまとやらももうソワソワで、やってこられましたねぇ」
・・そして
「広島と長崎に投下された原爆によってもたらされた破壊が二度と繰り返されないよう阻止するために必要なあらゆる仲介を推し進めてください」と安部総理大臣に告げたのでしたね。
卑弥呼さん :「あのことこそお告げよ」・・と。
卑弥呼の墓と石の宝殿と美女山は、2:1:√3の直角三角形を描きます。
親不知と美女山と卑弥呼の墓は二等辺三角形を描きます。
卑弥呼の墓と美女山と土塔は、直角三角形を描きます。
・・・
私 : 「以前・・、私が何を成したかを世界中の人達に伝えてください!と言って居られましたが・・ごめんなさいね、忘れてはいませんから・・」
卑弥呼さん : 「大変でしょうが、よろしくお願いいたしますね」
私 : 「頑張ります!」
卑弥呼さん : 「ところで、いったい誰から聞かれたのですか!?」・・と。
2018年12月10日(月)
ああ~~ 一気に関東方面へと図形を描かされだしました。
またまた矢野さんが、「寒川神社が気になります」と言います。
それで・・、調べてみると綺麗な図形が描けました。
寒川神社で手を合わせると、455㎞はなれた雷神山に手を合わせるようになっています。
そしてそのラインに直角に行ったところに三輪山があり、その三点を結ぶと見事に2:1:√3の直角三角形を描きます。
三点は重要なベンチマークポイントです。
2018年3月24日(土)
岡山県津山市に黒沢山萬福寺があります。
この場所と、香川県綾川町の十瓶山と、比叡山延暦寺根本中堂とは、見事に2:1:√3の直角三角形を描きます。
そして・・、天台宗の根本中堂と、真言宗の萬福寺とを結んだライン上には、見事の見事!!
女王卑弥呼の陵墓と、イエス様の陵墓・・しかも亡骸を葬った前方部を見事に通ります。
これも偶然では絶対にあり得ません。