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かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

卑弥呼おばさんとの会話からの予感

2019-12-23 14:27:45 | かごめかごめの真実とは

2019年12月24日(火)

私 : 「卑弥呼さんは、たいへんな美人だったそうですねぇ」

卑弥呼さん :「まぁ~だれがそんなことを言ってるんですか」

私 : 「卑弥呼さんは、琴をよく弾いて居られたらしいですね」

卑弥呼さん : 「どこでそんなこと聞かれたんですか」

私 : 「卑弥呼さんの陵墓は、こと座の主星ベガでしたね

卑弥呼さん : 「よくもまぁ~・・正解ですわよ。でも・・どうしてそれを・・」

私 : 「でも・・、満たされない寂しさを味あわれたのですね ・・ ・・ 」

卑弥呼さん : 「エッ!何のことですの?」

私 : 「私には想像できかねる世界です・・ ・・ 」

卑弥呼さん : 「奥歯に挟まった様な・・何を言わんとされているのです??」

私 : 「ご両親のお顔をご存じでないと・・」

卑弥呼さん : 「どこの誰からそんなことを・・」

私 : 「生野の傍の川渕の小道を、妹さんと弟さんと3人で「」まで連れて来られたんですよね」

卑弥呼さん : 「エ~~~ッ! そのようなことも・・」

私 : 「ハイ、知っています」

卑弥呼さん :「では・・私に男の子がいたこともご存じですの?」

私 : 「ハイ、その経緯も聞いて居ります」

卑弥呼さん : 「・・・・・」


私 : 「大変なお方の血を受け継いでおられたばかりに・・」

卑弥呼さん : 「これも定めと思えるまでには時間もかかりましたが・・」

私 : 「イエス様の聖杯を石の宝殿の巨石の下に御隠しになられたのでしたね」

卑弥呼さん : 「そうそう、そうでしたわね」

私 : 「もう抜き取られていますかねぇ」

卑弥呼さん :「どのようなことになるのでしょうかねぇ・・」

私 : 「生野の地下神殿にももう来年あたりには密かに辿り着く工程のようですし・・」

卑弥呼さん :「どのようなことになるのでしょうかねぇ・・」

私 : 「パパさまとやらももうソワソワで、やってこられましたねぇ」

・・そして

広島と長崎に投下された原爆によってもたらされた破壊が二度と繰り返されないよう阻止するために必要なあらゆる仲介を推し進めてください」と安部総理大臣に告げたのでしたね

卑弥呼さん :「あのことこそお告げよ」・・と。

卑弥呼の墓と石の宝殿と美女山は、2:1:√3の直角三角形を描きます。

親不知と美女山と卑弥呼の墓は二等辺三角形を描きます。

卑弥呼の墓と美女山と土塔は、直角三角形を描きます。

卑弥呼の墓と土塔琴弾山も直角三角形を描きます。

・・・

私 : 「以前・・、私が何を成したかを世界中の人達に伝えてください!と言って居られましたが・・ごめんなさいね、忘れてはいませんから・・」

卑弥呼さん : 「大変でしょうが、よろしくお願いいたしますね」

私 : 「頑張ります!」

卑弥呼さん : 「ところで、いったい誰から聞かれたのですか!?」・・と。


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いつでもどこでも御霊は見ている聞いている

2018-06-20 03:44:34 | かごめかごめの真実とは

2018年6月20日(水)

 菅原道真は無念の御霊である。

道真公も空海様の遺言的なものを誰よりも強く成就させようと動いた一人だと私には聞こえてきます。

どうも誰かの逆鱗に触れたようです。 

震度6弱の震源地付近に何があるのか、誰の御霊を祀っているのか・・。

大阪府守口市にある佐太天神宮には被害はなかったのだろうか・・。

佐太天神宮は、姫路市船津にある正八幡神社を向いています。

そしてその先にもう一つ、姫路市香寺町土師にある大年神社へも向いています。

この二つの神社で手を合わせると、共に、卑弥呼さんの陵墓に手を合わせるようになっています。

歴史の真実と真相は、当人たちにしか分かるものではありません。

誰かの推測や一般論をあたかも真実のごとく語るのは危険極まりないことです。

神社で産土神さまに手を合わせるとその思いは届けられるように、又それは真逆でも言えます。

神社のネットワークは、身体の経絡網や経穴と全く同じで、全ての神々とその大元に繋がっています。

卑弥呼も菅原道真も無念の御霊です。

闇に葬られた無念の御霊を手厚くとむらい解放してあげるのが、この世に居てる人間の勤めです。

それは真実と真相を知りえたものにしかできるものではありません。

いつでもどこでも御霊は見ている聞いているものです。

特にこと座のエリアでは厳かでなくてなりません。

くわばらクワバラ==。

    

 


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こと座とイエスとお袋さん

2018-06-12 05:02:38 | かごめかごめの真実とは

2018年6月12日(火)

 千鶴山の北に位置する埴岡の里には、大国主命=イエス・キリストの墓を中心として、こと座を下ろした星々の位置のベガに卑弥呼の陵墓を造営し、祈りの場の八幡山や卑弥呼に同行した100人の同行場所が決められていました。

そして、イエスの四男で第四代懿徳天皇(いとくてんのう)の陵墓もイエスと対面するシェリアクの場所に決められていました。

あまりにも見事すぎます。

そしてそして・・、偶然では考えられないことで、千鶴山から卑弥呼のベガまでの距離とスラファトに位置する場所までは全く同距離で、ベガとスラファトを結んだライン上にイエス・キリストの墓が位置しています。

そして、イエス・キリストの墓からベガとスラファトの位置までは全く同距離です。

スラファトの位置に眠る人は、いったい誰なのでしょうか。

又、イエスの北側に位置する星に眠る人はいったい誰なのでしょうか。

このニケ所のポイントのコンターライン(等高線)は、共通したある形をしています。

 

 

 

人工的なコンターラインです。

何を表すのでしょう・・。

それは袋の形をしていますね。 そうです女性を意味している。

マリア様のお墓の発見の時も、コンターラインが気になって仕方がありませんでした。

母親のことを お袋さん と呼んだりしますが、語源は・・あるものを表しているようです。

みなさんの真の故郷とよんでもよさそうな・・、女性の方しか持っていないものです。

そして・・、「おふくろさん」という昭和の感動の歌もありました。

お袋さんという言葉を、大国主命=イエス・キリストも使っていたかもしれませんね。


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世界の聖地を遥拝する大嶽山には、天馬の大きなひづめの後が残されていたのに残念である

2017-11-06 04:59:54 | かごめかごめの真実とは

2017年11月6日(月)

 「山頂に馬の大きなひづめの後がある」と、地元の方々は先人たちの伝承を受け継いでいますが、昨年の2月に行ったときには正にその伝承の磐座(イワクラ)であることがすぐにわかる状態でした。

でも今は全くそのようには見えません。

昨日も行きましたが、もうそのようには見えません。

非常に残念であり悲しい・・。

行政は、長きにわたって引き継がれてきた云われのある大切な磐座を、どうして守らないのか。

先人たちから長年受け継がれてきたものをどうして無残にも簡単に壊していくのか。

どうして先人たちが守り通してきたものを、孫子に残さないのか。

間違いなく「山頂に馬の大きなひづめの後がある」という伝承として受け継がれてきたものは、単なる馬の蹄でなく、天馬であるペガサスのひずめの後だったことでしょう。

上の2枚の写真は昨年の2月に撮った写真ですが、馬のヒズメにそっくりの形をしていました。

私は昨年、地縄が張られていたので、行政側にも議会にもメールをしました。

このことをブログで知った方も、行政に電話をされたことをその時聞いています。

そして私も神河町に住んでおられる方にそのことを告げましたが、「そんなバカなことはしませんよ」と、言われるので、その善なる思いを信じていました。

でも・・、無残にも痛々しい状態になってしまっています。

この責任者はいったい誰がとるのか!

伝承とは何百年、何千年と続いているものです。

私には分かります。

この場所で、行基様や空海様も、そして最澄様も間違いなく祈りをささげています。

吉備真備や玄昉も祈ったことでしょう。

そしてかれらは、「山頂に大きな馬のひづめの跡がある」と村人たちに言い伝えるように言い残したことでしょう。

それはその場所が、いかに大切であるかを伝承してほしい、守ってほしいとの願いでもあったはずです。

この行為は、先人賢者たちや御先祖様たちに対する非礼極まりない行為です。

大嶽山は、イエス・キリスト(大国主命)や女王卑弥呼など古代王家の方々が眠る陵墓へ祈りをささげる重要な遥拝の山でした

空海さまは、この国はオリオン座やシリウスなど、星座を模して国づくりをしていたことを教えていました。下の写真の彫り物は、徳島県にある太龍寺大師堂の彫り物でその事を私達に教えていました。

イエス・キリストの墓は、オリオン座の右肩にあたるベテルギウスに造られていました。

一角獣も居てますから、馬の蹄の跡があるという伝承が残っていても不思議でありません。

オリオン座を追いかけてくるサソリ座も剣山系に造られていましたから、オリオンとサソリの仲たがいをおさめるために、中間にペガサスが居てますから、ペガサス(天馬)のひずめの跡が大嶽山頂にあるという伝承を空海様が残していたとしても不思議ではありません。

だって、空海様の空白年間の行動の場所が実はこの地だったからです。

このことを私は、4冊目の本である、空海様と七福神が隠して伝えた「世界文明の起源」に纏めました。

卑弥呼の陵墓は、こと座のベガでした。

 不死鳥のあしあと」より

神河町のリーダーは、これらのことを知っていなければ、必ず祟られる

 


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イエスの四男、第四代懿徳天皇の陵墓へとやっと行くことができました

2017-08-27 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2017年8月27日(日)

 8月12日(土) 懿徳天皇の陵墓へやっとお参りすることができました。 武部さんに感謝です。

8月1日、丸亀からスタップサロンにやってこられたMさんが、ピラミッドが・・ 飯野山が・・ 」とメッセージを届けに来られて、お盆までには行かなければと思っていましたから、やれやれです。

Mさん、行ってきましからねぇ~! 

蘇我入鹿のルーツをたどれば、仁徳天皇、応神天皇、女王卑弥呼、第四代懿徳天皇、大国主命=イエス・キリスト・・・・モーセ と教えています。

卑弥呼の陵墓は、こと座のベガでしたが、そのこと座のβ星にあたるところが、懿徳天皇の陵墓です。

この陵墓と蘇我入鹿の墓とモーセの陵墓の3点は、3:4:5の大矩を描きます。

又、イエス最期の地である備前の穂波から讃岐富士と呼ばれる飯野山までと、懿徳天皇の陵墓までは全く同距離で二等辺三角形を描きます。

加古川生まれの懿徳天皇の陵墓から36度方向にイエス様の陵墓も綺麗に目の前に見えました。

ここから王家の方々が眠られる山々が沢山見えます。 いつまでもいつまでも居ていたいと思わせる綺麗なところでした。

本当に、Mさんと武部さんに感謝いたします。

       

   

       

 

 


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不死鳥のあしあと・・限定発売 予約受付中 

2017-08-14 11:16:21 | かごめかごめの真実とは

      不死鳥のあしあと ・・ 予約受付中


いよいよ私の不思議な7年間の体験を、オールカラーでA4の見開きで綴った図形の数々と写真集が、8月31日に出版されます。

 

 不死鳥のあしあと   

      神々はこの日本の大地に

         世界が平和になれる仕掛けを

             残してくれていました。   

 

             上森三郎

 

             定価=本体10000円+税 

            限定 3690冊 発売!

 

             株式会社 T・T・C にて 予約受付中

 

 

 

  目 次


 前書き 1

 それは3本の十字架から始まった

 黄金比の十字架


世界の聖地「埴岡の里」 5

 供えられた水・亀ヶ壺

 神棚の榊・1対のメノラー

 女神ハトホルの地上絵

 鶴と亀・魚・玄武

10 埴岡の里の地上絵全図

11 八幡山ピラミッド

12 イエス・キリストの生命の樹

14 絶峯御林と古城山御林

15 絶峯はイエスを、古城山はモーセを祀る山

16 モーセの地上絵


女王卑弥呼と邪馬壹国 17

18 卑弥呼の墓・婀月山

19 卑弥呼の墓はこと座のベガ

20 卑弥呼は初代斎王だった

21  瀬織津姫、弁財天、卑弥呼

22 邪馬壹国とオリオン座

23 オリオン座の山々

24 七福神の航路

25 使節は対馬に上陸した

26 折鶴


イエス・キリストの三つの陵墓 27

28 空海様と最澄様が守るイエスの公的な陵墓

29 イエス・キリストの本当の墓

30 イエスの墓の景観

31 イエスの陵墓を守る磐座

32 ベテルギウスは赤く輝く

33 イエス王家の墓・天神山

34 橿原神宮の不思議


イエス・キリスト終焉の地 35

36 イワナガヒメの神社とハート形の山

37 十字架の山

38 イエス終焉の地の風景


千山の九福神と日本の七福神 39

40 千山・雁塔の九福神

41 八福神のレリーフ

42 八福神の壁画

43 埴岡の里に七福神が祀られている

44 不思議な光の写真


マリアの墓は岡山県美咲町にあった! 45

46 マリアの墓 発見への道

47 「祖母」とは誰のことなのか

48 マリアの墓の風景


モーセの墓は丹後半島にあった! 49

50 モーセの墓 発見への道

51 竹野神社

52 モーセの墓と依遅ヶ尾山

53 モーセの墓から描ける図形

54 銅鐸は測量機器


淡路島の勾玉山はアブラハムの墓! 55

56 勾玉形の山を発見!

57 アブラハムの墓の神木

58 神野山の王塚はテラの墓

59 桓武天皇も祈った仙境・交野山

60 テラ、アブラハム、モーセの三角形

61 竹生島と曽爾の亀山

62 亀山から鎧岳へ


空海様の隠された生涯 63

64 空海様の生誕地は星の岩屋

65 アークは剣山から埴岡の里へ

66 奥鎗戸のピラミッドを中心に等比数列の図形が出現した

67 空海様の亡骸は移された

68 空海様のルーツに迫る


チーム空海が造った「日月の山」! 69

70 麻賀多神社は御所を結ぶライン上にあった

71 息栖神社は淡路島の勾玉山を向いていた

72 ついに「日月の山」が姿を現した


神社・寺院で祈れば… 73

74 大聖寺(岡山県美作市)

75 比叡山延暦寺

76 香寺町土師・大年神社

77 姫路城

78 城の描く図形


後書き 79

 後書き

私は、過去も現在も、どんな宗教にも関わりを持ったことがない。

これからもその姿勢に変わりはない。

そんな私が、2010年8月11日、ちょうど56歳と7ヶ月目のまさにその日に、福岡の宗像大社で目に見えない存在からの声を聞いた。その時から摩訶不思議な世界へと誘われて来た。

不思議な声に導かれ、最初は伊勢神宮から兵庫県中央部に伸びる十字架を、そしてさらに2本、合計3本の大・中・小の十字架を描かされた(本書3ページに掲載)。

全てはこの3本の十字架から始まったのだ。

それからまる7年が経った。

最初は自分が何をやっているのか、目に見えない存在から何をやらされているのか、全く分からなかったのだが、ここに来て、その意図ははっきりと分かってきた。

目に見えない存在は、「この日本の歴史は世界の中で最も古く、『世界文明の起源は日本』であること」を教え続けていた。

この日本は、アブラハムの父テラから始まり、アブラハム、モーセ、イエス・キリストもこの聖なる日本を拠点にして、地球的視野で助け合い生きる世界を希求し続けていた。

彼らはこの日本の大地に埋葬され、しかもその陵墓の位置(そして本当の歴史)が後世の人に分かるようにと、夏の大三角形やオリオン座などの星座をこの大地に降ろして位置決めしていた。

その後の王や賢人たちも、これらの重要な陵墓に三角法を使って関連づけて、自分の墓の位置決めを行うことで、この大地に足跡を残した。

山、墓、磐座、神社、寺院、城等を関連づけるこの三角法の位置決めは、後世まで引き継がれた。

テラ、アブラハム、モーセ、マリア、イエス・キリストの墓がこの日本にあるということを世に知らせるシナリオが、世界を平和に導く神様の計画のようだ。

何世紀にもわたってこの計画を守り伝えた先人たちの御霊も、「私が何をなしたかを世界中の人達に伝えてください」と伝言して消えた女王卑弥呼も、空海様も、この計画の成就を願っていることだろう。

 

               2017年8月31日

 

                  卑弥呼の誕生日を祝って

 

                                     上森三郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

銅鐸は測量機器

銅鐸は、紀元前2世紀から紀元2世紀に至る弥生時代の約400年間、日本列島で使われていたが、その後姿を消した謎の青銅器である。

研究者の多くは祭祀に使われた楽器のようなものとしているが、私は「測量機器」であるという説を提唱している。

上部にあけられた穴から両目で覗くことによって銅鐸の向きを正確に決めることができるからである。

このことによって、他の用途不明の銅器の用途も判明する。

「有鉤銅釧」と呼ばれる青銅器は、銅鐸の上部にあいた穴を使って簡単に銅鐸を設置するための「吊り金具」である。

それを吊り下げるための紐は、「巴形銅器」から吊るされる。

巴型銅器は、予め結ばれていた三脚の紐に巴形の足をからめて、水平方向の微調整をする道具である。

そして、銅鐸の内壁に当てて音を出すための道具と言われている「舌」は、実は、銅鐸が地面の「基準点」の真上になるように、銅鐸の中心から吊り下「下げふり」として使われていたのである。

銅鐸としばしば一緒に出土する銅鏡も、測量現場で分度器や水平器として使われていたと考えられる。さらに、光通信にも使われたであろうと推測される。


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不死鳥のあしあと 8月31日 株式会社 T・T・Cより出版

2017-08-03 10:24:23 | かごめかごめの真実とは

2017年8月3日(木)

 いよいよ私の不思議な7年間の体験を、オールカラーでA4の見開きで綴った図形の数々と写真集が、8月31日に出版されます。

 不死鳥のあしあと    とタイトルは決めました。

 神々はこの日本の大地に

 世界が平和になれる仕掛けを

 残してくれていました。   

         上森三郎

 

   定価=本体10000円+税

 

   株式会社 T・T・C にて 予約受付中!

  アマゾンでも購入できます

  目 次

前書き 1

 それは3本の十字架から始まった

 黄金比の十字架

世界の聖地「埴岡の里」 5

6 供えられた水・亀ヶ壺

 神棚の榊・1対のメノラー

 女神ハトホルの地上絵

 鶴と亀・魚・玄武

10 埴岡の里の地上絵全図

11 八幡山ピラミッド

12 イエス・キリストの生命の樹

14 絶峯御林と古城山御林

15 絶峯はイエスを、古城山はモーセを祀る山

16 モーセの地上絵

女王卑弥呼と邪馬壹国 17

18 卑弥呼の墓・婀月山

19 卑弥呼の墓はこと座のベガ

20 卑弥呼は初代斎王だった

21  瀬織津姫、弁財天、卑弥呼

22 邪馬壹国とオリオン座

23 オリオン座の山々

24 七福神の航路

25 使節は対馬に上陸した

26 折鶴

イエス・キリストの三つの陵墓 27

28 空海様と最澄様が守るイエスの公的な陵墓

29 イエス・キリストの本当の墓

30 イエスの墓の景観

31 イエスの陵墓を守る磐座

32 ベテルギウスは赤く輝く

33 イエス王家の墓・天神山

34 橿原神宮の不思議

イエス・キリスト終焉の地 35

36 イワナガヒメの神社とハート形の山

37 十字架の山

38 イエス終焉の地の風景

千山の九福神と日本の七福神 39

40 千山・雁塔の九福神

41 八福神のレリーフ

42 八福神の壁画

43 埴岡の里に七福神が祀られている

44 不思議な光の写真

マリアの墓は岡山県美咲町にあった! 45

46 マリアの墓 発見への道

47 「祖母」とは誰のことなのか

48 マリアの墓の風景

モーセの墓は丹後半島にあった! 49

50 モーセの墓 発見への道

51 竹野神社

52 モーセの墓と依遅ヶ尾山

53 モーセの墓から描ける図形

54 銅鐸は測量機器

淡路島の勾玉山はアブラハムの墓! 55

56 勾玉形の山を発見!

57 アブラハムの墓の神木

58 神野山の王塚はテラの墓

59 桓武天皇も祈った仙境・交野山

60 テラ、アブラハム、モーセの三角形

61 竹生島と曽爾の亀山

62 亀山から鎧岳へ

空海様の隠された生涯 63

64 空海様の生誕地は星の岩屋

65 アークは剣山から埴岡の里へ

66 奥鎗戸のピラミッドを中心に等比数列の図形が出現した

67 空海様の亡骸は移された

68 空海様のルーツに迫る

チーム空海が造った「日月の山」! 69

70 麻賀多神社は御所を結ぶライン上にあった

71 息栖神社は淡路島の勾玉山を向いていた

72 ついに「日月の山」が姿を現した

神社・寺院で祈れば… 73

74 大聖寺(岡山県美作市)

75 比叡山延暦寺

76 香寺町土師・大年神社

77 姫路城

78 城の描く図形

後書き 79

 後書き

 

私は、過去も現在も、どんな宗教にも関わりを持ったことがない。

これからもその姿勢に変わりはない。

そんな私が、2010年8月11日、ちょうど56歳と7ヶ月目のまさにその日に、福岡の宗像大社で目に見えない存在からの声を聞いた。その時から摩訶不思議な世界へと誘われて来た。

不思議な声に導かれ、最初は伊勢神宮から兵庫県中央部に伸びる十字架を、そしてさらに2本、合計3本の大・中・小の十字架を描かされた(本書3ページに掲載)。

全てはこの3本の十字架から始まったのだ。

それからまる7年が経った。

最初は自分が何をやっているのか、目に見えない存在から何をやらされているのか、全く分からなかったのだが、ここに来て、その意図ははっきりと分かってきた。

目に見えない存在は、「この日本の歴史は世界の中で最も古く、『世界文明の起源は日本』であること」を教え続けていた。

この日本は、アブラハムの父テラから始まり、アブラハム、モーセ、イエス・キリストもこの聖なる日本を拠点にして、地球的視野で助け合い生きる世界を希求し続けていた。

彼らはこの日本の大地に埋葬され、しかもその陵墓の位置(そして本当の歴史)が後世の人に分かるようにと、夏の大三角形やオリオン座などの星座をこの大地に降ろして位置決めしていた。

その後の王や賢人たちも、これらの重要な陵墓に三角法を使って関連づけて、自分の墓の位置決めを行うことで、この大地に足跡を残した。

山、墓、磐座、神社、寺院、城等を関連づけるこの三角法の位置決めは、後世まで引き継がれた。

テラ、アブラハム、モーセ、マリア、イエス・キリストの墓がこの日本にあるということを世に知らせるシナリオが、世界を平和に導く神様の計画のようだ。

何世紀にもわたってこの計画を守り伝えた先人たちの御霊も、「私が何をなしたかを世界中の人達に伝えてください」と伝言して消えた女王卑弥呼も、空海様も、この計画の成就を願っていることだろう。

               2017年8月31日

                  卑弥呼の誕生日を祝って

                                     上森三郎

 

 

銅鐸は測量機器

銅鐸は、紀元前2世紀から紀元2世紀に至る弥生時代の約400年間、日本列島で使われていたが、その後姿を消した謎の青銅器である。

研究者の多くは祭祀に使われた楽器のようなものとしているが、私は「測量機器」であるという説を提唱している。

上部にあけられた穴から両目で覗くことによって銅鐸の向きを正確に決めることができるからである。

このことによって、他の用途不明の銅器の用途も判明する。

「有鉤銅釧」と呼ばれる青銅器は、銅鐸の上部にあいた穴を使って簡単に銅鐸を設置するための「吊り金具」である。

それを吊り下げるための紐は、「巴形銅器」から吊るされる。

巴型銅器は、予め結ばれていた三脚の紐に巴形の足をからめて、水平方向の微調整をする道具である。

そして、銅鐸の内壁に当てて音を出すための道具と言われている「舌」は、実は、銅鐸が地面の「基準点」の真上になるように、銅鐸の中心から吊り下げる「下げふり」として使われていたのである。

銅鐸としばしば一緒に出土する銅鏡も、測量現場で分度器や水平器として使われていたと考えられる。さらに、光通信にも使われたであろうと推測される。

 

 


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懿徳天皇が山の上で待って居られるご様子です

2017-08-02 11:11:54 | かごめかごめの真実とは

2017年8月2日(水)

 丸亀からスタップサロンに1日来院されたMさん、昨日はありがとうございました。

サロンの施術を終えられて、T.T.Cのセミナールームに来ていただいて、いろいろな話をしていただきました。

そして、最後に、「飯野山が気になるのですが・・」と言われます。 もうこれはいろいろな症状を聞かされたりした最後の言葉でしたから、

それは、私へのメッセージだと受け止めて、ちょっとの時間をいただいて気になるポイントを飯野山から結んでみました。

そしたらどうでしょう、一発で 大事なポイントと綺麗な二等辺三角形を描くその場所は、イエス・キリストの四男で第四代懿徳天皇のお墓の場所を教えていました。

前々から行かなくてはと思いつつ、行けてなかったお墓でした。

んん~~ん、お盆までには来てください、行ってくださいと、メッセンジャーの方が来られたようでした。

懿徳天皇の流れを汲む蘇我入鹿の墓と、アブラハムの墓は綺麗な二等辺三角形を描きます。

マリアの墓から飯野山までと懿徳天皇の墓までは綺麗な二等辺三角形を描き、イエス最期の地点から飯野山までと懿徳天皇の墓までも又、綺麗な二等辺三角形です。

そして、懿徳天皇の墓は、卑弥呼さんの陵墓をベガとすること座を形成する一つの星の場所でもあります。

・・・と、言っても現在はだ~~れも行かないタダの山になってしまっていますが、間違いなくできるだけ早く行かなくてはならないようです。

武部さん、御勤めがやってまいりましたよぉ。

遠く遥々と丸亀から神様のメッセージを届けていただきましたMさん、本当にありがとうございました。 

感謝いたします。 Mさんに良きことありますようにとお祈り申しあげます。


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聖徳太子は蘇我入鹿であり、そのお墓は松尾寺の補陀落山である

2017-06-14 11:38:06 | かごめかごめの真実とは

2017年6月14日(水)

蘇我入鹿は、モーセ、イエス(神武天皇)、第四代 懿徳天皇(イエスの四男)、女王卑弥呼、応神天皇、仁徳天皇・・の血を受け継いでいる。

これだけの王統を受け継いだ人がこの世にいるだろうか。 

もう、堂々と聖徳太子は蘇我入鹿だったと言うことにしようではありませんか。

法隆寺の西円堂で手を合わせると、松尾寺にある蘇我入鹿の墓に手を合わせるようになっています。 そこが聖徳太子の墓です。

政府が聖徳太子の名を歴史から消そうとしていますが、これは抹消させてはなりません。

そして、第四代懿徳天皇のお墓は、神河町にある卑弥呼の陵墓を、こと座のベガにした琴を形成する一つの星の位置にありました。

その懿徳天皇の墓と、蘇我入鹿の墓と、モーセの陵墓の3点は、見事に3:4:5の大矩の直角三角形を描きます。 基本形です。

兵庫県神崎郡神河町にあるイエス王家の丘は、800mから1000mほどの山頂にありますが、この一帯には女王卑弥呼の陵墓をはじめ、我が国の初代大王イエス・キリストの親族のお墓が沢山祀られています。

峰山高原の名称も、そのことを教えています。

ミネとはヘブライ語でお墓のことなのです。

スキー場や太陽光発電など、むやみやたらに乱開発していたら、大変なことになります。

事業計画に対して云々言えた立場ではありませんが、王家のお墓は守る必要があるのではと危惧します。

この世は神々の営みの世界だからです・・。

意図的に隠されたイエス王家の人達と、その真実を知っていた人達のお墓がどんどんと、自分が眠っている場所を教えだしたようです。

「小さな嘘はすぐバレルが、大きな嘘は時間がかかって必ずバレル」と神様が言っていましたが、その時に来たと言うことのようです。

バレル・・と言えば、そうですそうです。ヘブライ語でも全く日本と同じ意味でしたねぇ。

いくら時代時代の為政者がこの国の本当の歴史を隠ぺいし続けてきたことでしょうが、この我が国の大地に、遺体を入れた場所の一点一点に意味をもたせた三角法で、歴史の真実を残していました。

邪馬壹国の女王卑弥呼は、イエス王家の墓守と祀りごとが仕事でした。

政治政体が現在の奈良で、国事国体が現在の兵庫県の中央部、播磨国風土記に記された「埴岡の里」でした。

そろそろ日本国民が目覚めなければならないときに来たということです。

ここまでくれば、歴史の真実の立証はさほど難しくはなさそうです。

高野山の弘法大師霊廟と桓武天皇の遺体を入れた高雄山との関係や、京都御所との関係などなど、偶然ではありえない確率での三角図法。

先人達の御霊が教えてくれることには偽りがありませんから・・、立証できます!

青い丸の地点が懿徳天皇の墓です。

赤い丸の位置が蘇我入鹿の墓がある松尾寺です。


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私が何を成したかを世界中の人達に伝えてください! と伝言して消えた卑弥呼が、今でも王家の丘で琴を奏でたり機織りをしているようです

2017-05-17 10:00:46 | かごめかごめの真実とは

[English]

2017年5月17日(水)

世界の聖地である兵庫県神河町の「王家の丘」は、こと座が描かれていました。

弁財天は卑弥呼だと、空海さまと七福神が隠して伝えた「世界文明の起源」では書きましたが、日本での弁財天は、琵琶を抱いています。

こと座は、楽器のたて琴の形を表した星座ですから、琵琶は、こと座のことを教えていましたね。

祈りの場であった八幡山と織姫星(ベガ)、卑弥呼と一緒に同行した100人が埋められたポイントで小さなVの字のように並んだ三つ星で、「落ちる鷲」という意味がベガ(Vega)という意味のアラビア語が語源なのだとか。

ベガは織姫星とも呼ばれて、夏の大三角を形成しているということですから、はくちょう坐のデネブは、当然として「あづきちゃん(卑弥呼の幼少の名)」の生まれ故郷である庵月山(兵庫県香住)となります。

二点が決まれば、もう1点のアルタイルの場所は容易に探し出すことができます。

その、わし座のアルタイルの場所を地理院地図で求めると、そこに一発で現れた文字は、「糘山」。

私が初めて目にする文字でした。 「すくもやま」と読むようです。 

場所は、岡山県津山市久米川南・・と、地理院地図には表示されています。

そして、この「糘山」から、それはそれは大変なことが浮かび上がってきました。

なんとここには、糘山遺跡というのがあって、日本最古級の製鉄遺跡や96本の鉄穴流し遺構などなど、それはそれは古代このあたりは鉄など鉱工業生産拠点だったようです。

すくも・・とは、藍の葉を原料として作られる「藍玉」とのことですから、織物も盛んなところで、この一帯は日本で最大の工業生産地だったようです。

大国主命=イエス・キリストが、岡山を拠点として国造りをし活躍し、だから母マリアもキルギスから呼び寄せそこで共に暮らし、だから・・、イエス王家の陵墓が岡山にあり、イエス最期の地も備前であったことは、当然至極です。

岡山と、女王卑弥呼が暮らした、王家の丘である、播磨国風土記に記された「埴岡の里」、現在の兵庫県生野、神河町との関連性が浮かび上がってきました。

峰山高原の、「峰」とはヘブライ語でお墓のことですから、お墓が沢山ある高原ということを先人はその地に残してくれています。

女王卑弥呼が暮らした場所は、山城でした。 ですから、神河町の山々は、古代王家の人々や、王家の人達を支えた人達のお墓が沢山、山頂にあります。

現代人の目先の金の欲望で、山という山を破壊してスキー場を造ったり、安易に森林を伐採して太陽光パネルを設置したりして、どんどん王家の人達の陵墓が破壊されていきます。

生野、神河町は、他の場所とは全く異なる世界の聖地であり、王家の丘なのです。

天皇家はこのことを重く受け止めなければならない。  

そして、天皇を支える総理大臣は、このことの重大な責めを先人達と未来の子供達から受けなければならない。

まだ今なら、その責めから免れる。

「私が何を成したかを世界中の人達に伝えてください!」と、伝言して消えた女王卑弥呼が、今でも王家の丘で琴を奏でたり機織りをしているようです。

 


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応神天皇の故郷は白鳥座の安栖里にありました

2017-03-25 04:53:41 | かごめかごめの真実とは

2017年3月25日(土)

 「角屋」さんの宴が明けて、翌日行った神社や山などから、法則性に則った三角法から導き出された図形です。

「見解け」と言われた「三峠」・・それは「三峠山」から、「夏の大三角形」に輝く三つの山が見通せるということでした。

大本の開祖様が山籠もりしたといわれる「弥仙山」。

「長老」は、「長老ヶ岳」でしたね。

そして・・・514mの山。 神様は、「来いよ!」と武部さんを呼んでおられます。

その514の近くに「ハートの山」もあります。

 

 アルタイル(わし座) ・・・ 弥仙山

 ベガ(こと座)     ・・・ 長老ヶ岳

 デネブ(はくちょう座)・・ 514mの山

  これらの三つの山を、三峠山から「見とけ!」「見解け!」と言って居られるようです。

・・

 デネブ(はくちょう座)に、応神天皇の故郷である安栖里・和知があることを応神天皇陵は教えていましたね。

・・・

 今日25日は、名古屋駅近くで、完全な「ゼロ磁場」ができるテラファイトの講演です

予約されて居られなくても、当日の受付でも入場できるとのことです。 

ご先祖様が何か素晴らしいメッセージを届けてくれるかもしれませんよ・・!!


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