かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

仲津姫皇后陵は中津峰に向けて造営されている

2022-04-08 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2022年4月8日(金)

いつも私のブログを見てくれているnmmy328さん。

それでnmmy328さんのブログを覗いてみると、八桙神社は凄い!というタイトルなので、神社の由緒を読ませていただいた。

するとそこの祭神は、「大己貴命」と「少名彦命」となっているので、地理院地図でその神社の上にある古墳と思われる場所にポイントを打って、大己貴=大国主=イエス・キリストなので、イエス・キリストの墓にポイントを打って、線で繫いでみた。

そして空海コードで教えるポイントを導き出すと・・、「大旗山(揚柳山)」を教えた。そのポイントの3点で見事に2:1:√3の絶対基本形である。

私にはその場所のコンターラインからそこは女性の墓と響いてきた。

それで今度は、イエス・キリストの墓とその場所とを結んでそこから空海コードで次のポイントを探すと「仲津姫皇后陵」が導き出された。

それで仲津姫皇后陵がどこに向けて造営されているかを見ると、阿波三峰(あわさんぽう)の一つの『中津峰』にピッタリ向けて造営されている。

これはもう、疑う余地はありません。応神天皇の皇后となった仲津姫の思い出の場所は阿波の中津峰だと申して居られます。

そして仲津姫は大己貴=大国主=イエス・キリストの血を引いているとおっしゃられていますよ。

nmmy328さんありがとうございました。

明日のセミナー、楽しみにしています!

阿波三峰(あわさんぽう)

 

津峯神社へも行かされました。 中津峰山如意輪寺にも行きましたね。


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どうして投馬国の首長と副官の墓が邪馬壹国のオリオン座の中にあるんですか?

2021-01-07 06:06:06 | 邪馬壹国

2021年1月7日(木)

Kさん、新年おめでとうございます。

そして、歴史の真実を世にだして世界平和を実現しょうと活動している『世界市民ファーストの会』に新年早々、ご寄付もいただきありがとうございます。

感謝いたします。

さてKさんからの「どうして投馬国の首長と副官の墓が邪馬壹国のオリオン座の中にあるんですか?」と言う質問ですが、私も今その謎解きに時間を費やしたいと思うのですが、なかなか時間がとれません。

でもこのことは、真剣に考えなくてはならないことです。

先ずは、大国主命=イエス・キリストが備前の穂波で最後の時をむかえ、二日後に事前にオリオン座のベテルギウスに造営されていたお墓に埋葬されてから三年後に倭国大乱に突入します。

そして倭国大乱は、7,80年もの長きに渡って戦場と化します。

その混乱を終息させるために、イエス・キリストの血を引く卑弥呼が四方に位置する豪族たちによって『女王として共立』されました。

下の図がそれを表す位置関係です。

馬の山古墳群 丹後半島古墳群 剣山・鳶ヶ巣古墳群 伊勢松阪宝塚古墳群と人々が暮らしたエリアを知ることができます。

これらは、イエスがこの国に現れる以前から栄えていたエリアだと私は思っています。

そしてそのエリアは、モーセの二回目の国造りのエリアだと思っています。

一回目はそれより東、中部、東海以北だと思っています。

モーセの国造りの後をイエスが引き継いだと思っています。

丹後王国 出雲王国は正にモーセの二回目の国造りのエリアです。

モーセの国に迎えられたイエス。

そしてイエスの時代には、良き時代であったこの国土も、イエス亡き後は覇権争いと化し、それを修復するためにイエスの血を受け継ぐ『卑弥呼』が力を有する豪族たちによって『女王』として『共立』された経緯がありました。

でも、長く続いた倭国大乱の間に、世界中からイエスのもとに集った人々は、朝鮮半島へと渡り、アジアの西端中東へと元の故郷へと帰還します。

これが現代になかなか解決をみないパレスチナ問題の根源です。

そしてさらにヨーロッパへと帰還した人達が興し巨大化した『キリスト教』集団です。

この国が卑弥呼を女王として安定して発展すた良き時代、もうヨーロッパの方では、それ以上に巨大化したキリスト教集団が絶大な力で世界を飲み込もうとしていました。

女王卑弥呼の役割は、最初から国事国体で、すなわちイエスの墓守で、卑弥呼の居城は『栗』。

卑弥呼を女王として担ぎ上げた豪族たちが政治政体をつかさどり、その首都は粟殿(奈良県桜井市)でした。

そしてもともと、この計画案は、投馬国の首長たちの主導のもと馬の山で草案されたようです。

剣山を崇める狗奴国の豪族たちは、最初から静観していたというより、邪馬壹国という国造りの草案に消極的だったようです。

・・

んん~~ん、話は長くなってしまいます。 後日まとめましょう。

卑弥呼がイエス・キリストの御霊を祀るほど、イエスを神と崇める宗教集団との摩擦が生じだし、政治政体が危うくなったと言うことでしょう。

それで、イエスの命日の日を選んで卑弥呼が、コヤネや粟殿の政治家どもの前で自ら岩戸隠れをしたということです。

・・

今コロナで一番死者を出し苦しんでいる国は、どのような国ですか!?

コロナを鎮めるには、卑弥呼の御霊を鎮めることです。

んん~~ん、話は長くなってしまいますので、ここらで・・。

 


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共立されてスタートした邪馬壹国(邪馬台国)は、国事国体は『栗』で、政治政体は『粟殿』でした

2020-01-13 00:15:14 | 邪馬壹国

2020年1月13日(月)

邪馬壹国(邪馬台国)の女王が住む宮はで、首都は殿でした。

男王 大国主命=イエス・キリストがAD99年11月17日に逝去してから3年後、倭国大乱になりました。

それから78年後、イエス・キリストの血を引く卑弥呼が女王として共立されて邪馬壹国がスタートしました。

そしてイエス・キリストの墓やイエス王家の方々の墓守が女王卑弥呼の務めでしたから、卑弥呼が住む宮は、でした。

西の宮への入り口が西宮であり上り口が仁川であり、そこから陸路一か月かけて行きつくところがでした。

邪馬壹国(邪馬台国)は、最初から、国事国体は『栗』で、政治政体は『粟殿おおとの・奈良県桜井市)でした。

ちなみに、粟殿の出先機関は、粟鹿である。

邪馬壹国はオリオン座を模して実に見事に設計されていました。

船の航路は仁川から仁川でした。

 

魏志倭人伝に表記されている距離は、全て一里が短里77mで合致する

 


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竜石山古墳は古代の歴史の謎を解く重要な役割を担っています

2020-01-03 04:08:57 | 邪馬壹国

2020年1月4日(土)

伊奢能麻和迦王の陵墓を私はこれから竜石山古墳と呼ぶことにしました。

竜石山古墳の大きさは、応神天皇陵とほぼ同じ大きさの古墳です。

そしてこの古墳の主の故郷なり、伝え残したい場所は、尾張、三河方面を教えています。

この方向には、名古屋港がある名古屋市港区です。

一点を示すなら港区の「龍神社」です。神社は石山古墳との関係を教えています。

そしてこのを結んで1:1:√2になる場所に、邪馬壹国の女王卑弥呼が絶対的に信頼し頼りにしていた「一大率長官」の墓があります。

一大率の墓は、出雲大社と内子のピラミッドと2:1:√3の地点に造営されました。

出雲大社と宇佐八幡宮と内子ピラミッドは2:1:√3で、出雲大社と内子のピラミッドと馬路の八杉森も2:1:√3です。

 

女王国より以北、特に一大率を置き諸国を検察しむ、諸國はこれを畏(おそ)れ憚(はばか)る。常に伊都国に治す。国中に於ける刺史(しし)如くあり」

卑弥呼が一大率長官に特に目を光らせていた地域が、敦賀であり琵琶湖であり伊勢湾でしたね。

そして一大率長官は、船で移動する海神でしたね。

 

下の地図のピンクの部分が、邪馬壹国です。

卑弥呼は、女王国より以北、特に一大率を置き諸国を検察しむなのです。

琵琶湖と日本海の拠点が敦賀・若狭湾であり太平洋が伊勢湾・三河湾、伊良湖水道です。

一大率は、現代で言えば、自衛隊の海軍を率いる国防大臣でしょうかね。

イエス・キリストの血を引く卑弥呼を女王とし、オリオン座を下ろして設計された邪馬壹国の国土は、外敵から重要ものを絶対的に守るための国土設計になっています。

その重要なものとは・・、イエス・キリストの墓です。女王卑弥呼はイエス・キリストやその王家の人達の墓守が務めでした。

畿内説を悩ませてきたひとつの記述が「女王国の東」である。

 

女王國の東、海を渡る、千余里、復た國有り、皆倭種。

 

畿内説では、東に海がないからである。

上森説の邪馬壹国の版図は、日本海岸まで達しているので、東へ海を渡ることができる。千余里は1里=77mの短里で計算すると、77km余なので、80kmくらいか。

この距離は、丹後半島の伊根、あるいは宮津、舞鶴から出発して、敦賀湾の奥の敦賀までの距離に相当する。ここには気比(けひ)神宮という神社があって、主祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)というこの神社特有の神様だ。この神様の降臨の地、「土公」と呼ばれる塚には、大きな木が生い茂っているが、卵型の岩が八角形に並べられていて、最澄さま、空海さまが7日7夜の祈祷をされたというから、ただ事ではない。

また、気比神宮の摂社に角鹿神社(つぬがじんじゃ)があり、『日本書紀』に垂仁天皇の時に渡来したと記されている意富加羅国(任那国)王子、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が祀られているのも注目に値する。

聖地神河には、猪篠(いざさ)という地域があります。そしてその奥に卑弥呼の陵墓が一番きれいに見えるところに奥猪篠と言う集落があります。

そしてこの奥猪篠の上に白岩山(973m)があり、この山を私は七福神の一人、毘沙門天の墓だと教えられています。

 

んん・・・ん、全て繋がってきますよ。 

壬申の乱で、大海人皇子(天武天皇)が尾張に援軍を要請したことで、大友皇子の陣営が戦意を失う意味、その謎が解けてきましたよ!


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現人神さまたちは、一人一人が目覚め、鳳凰のように蘇ることを促しています

2019-10-26 05:09:40 | かごめかごめの真実とは

2019年10月26日(土)

イエス・キリストの墓と藤原不比等の墓と、上島は、綺麗な2:1:√3の直角三角形を描きます。

本当に綺麗です。

イエス・キリストの墓と上島と東大寺大仏殿は、直角三角形を描きます。

不比等君は、応神天皇の墓も仁徳天皇の墓も・・、全てを知っていましたねぇ。


空海さまは、高野を開いた後も、毎月一回必ず荒神岳へと登った意味は、荒神社の真北に桓武天皇が眠って居たからだと、そのことだけを今まで私は思っていましたが、もう一つ重要なことが在ったようです。

荒神社から不比等君にも応神天皇にも、イエスやイエス王家の方々に祈りをささげていたということでしたね。

不比等君は、斉明天皇や天武天皇・持統天皇らから切なる思いを託され記紀に纏め、それらの願いを桓武天皇で若き最澄、空海を使って忠実に実行しました。

又、藤原武智麻呂も父を尊敬し思いを受け継いでいることがお墓の位置でくみ取れます。

これらイエス王家の血を受け継ぐ藤原家の方々は、真実を悟られることなく真実を語り継がせていますね。

もうそろそろ、真実を表に出す時が近づいているようです。

読者の方々の身体には、まちがいなく不比等君のDNAもイエス・キリストの血も受け継がれています。

あまりにも凄すぎます。

真の世界平和は、イエス・キリストが活躍した舞台が日本であり、兵庫県の中央の山地に墓があり、そこにモーセの御霊も祀り、世界人類の御先祖の神々も祀っている王家の丘があることを世に知らしめることにあります。

この世は、この世に居た人たちから見つめられている虚の世界であり実の世界です。

真実を捻じ曲げて、又は体裁を繕ってみてもお見通しの世界です。

この世に居られた私たちの御先祖の御先祖様である現人神さまたちは、一人一人が目覚め、鳳凰のように蘇ることを促しています。

 


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巨大な龍の背中に乗って下りてきます

2018-02-11 09:17:18 | かごめかごめの真実とは

2018年2月12日(月)

 昨日は東のメノラーへと行きましたが、今日は西のメノラー探索です。

道教の聖地千山に匹敵するような秘境かもしれない市川町の美佐から入って、重要な拠点の探索です。

時間があれば亀ヶ壺の滝の上部にも行けるかもしれません。

このエリアは、正に古代の重要な儀式を執り行う神聖な場所だったことでしょう。

それを証明するものは、神様の木である巨大な榊の原型のメノラーがあり、神様に捧げる神聖なる水を溜める大きな壺が造形されていたり、伝承も残っていることです。

そのエリアに仁徳天皇の父であり、応神天皇の子である絶対的権力者の墓があっても何も不思議ではありません。

当然至極です。

大国主命=イエス・キリストの血を引いた女王卑弥呼は、男の子を生みました。

その男の子にスサノオノミコトの血を引くお嫁さんが、安栖里から現在の神河町の栗に嫁いで来られました。

そのお嫁さんは、2人の女の子を生みました。

その下の女の子は、女、女、男の子を授かりました。

その男の子こそが、応神天皇です。

卑弥呼の居城は、現在の神河町の栗でした。

卑弥呼は、この国が真っ二つに割れて戦が始まる危機的状況を回避するために、2年半ほどかかって自分で陵墓を造営し、自分から進んで陵墓に入って岩戸を閉めさせました。

残った孫娘達は、安全な場所である母親の故郷である安栖里に子供たちを連れて帰って育てました。

応神天皇稜が、安栖里に向けて造営されているのは、そのことを私たちに教えています。

「どうして、イエスの墓や女王卑弥呼の墓などが、神河町一帯にあるのですか」と皆さんが言われますが、その地の北である生野町一帯にこそ、はるか上空からしか見ることができない鶴と亀、龍(玄武)やハトホルなどの巨大な意味ある地上絵が現存し、現代の私たちの奥底に潜む信仰心こそ世界の宗教の原点であり、日本神道の祀り方の原形が、そこ播磨国風土記に記された埴岡の里にあり、そのエリアの山々は琴座やオリオン座、小犬、大犬座など天体の星々を地上の星としてもっと壮大なスケールで布置させ関連性を持たせていました。

誰も消すことが出来ないこの世の真実が地球というキャンパスに描かれていました。


今日は西のメノラーの探索です。

西のメノラーには巨大な龍(蛇)が造形されていますが、稜線の頂からその龍の背中に乗って下りてきます。

龍の背中には何があるのか、頭部には何があるのか楽しみです。

 

どこに龍が造られているか分かりますかぁ!?


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磐長姫(石長姫)は女王卑弥呼である

2016-10-17 11:09:08 | かごめかごめの真実とは

2016年10月17日(月)

 武部さんは私に白髭神社と磐長姫神社との関係素晴らしい情報を届けてくれました。

それでこの霊ラインから奈良県吉野にある後醍醐天皇陵との3点が、3:4:5という大矩(おおがね)の直角三角形を描くことが浮かび上がりました。

これはもう、磐長姫神社が重要で重大な意味を教えていることが理解できました。

・・それで私はもう、一刻も早く磐長姫神社へと参拝に行き、その足で吉野の後醍醐天皇陵へと行きました。

15日(土)の出来事です。

        

 磐長姫神社に着くと、境内上空に六甲山の方角からエネルギー体の不思議な雲が現れ、その雲は、吉野までついて来たようで、そしてずっと私の上に陽が沈むまでいたような気がしました。

     

 

 

 後醍醐天皇が、「磐長姫は、イエス・キリストの血を引く、女王卑弥呼である!」と。

磐長姫(石長姫)は、248年11月17日イエス・キリストの命日を選んで、自ずから造営した陵墓に入定しました

その5日後に命は途絶えました。享年71歳でした。

卑弥呼は自分の命と引き換えに、倭国大乱後に修復した我が国が再び分裂するのを食い止めようとしました。

でも・・卑弥呼が政権を安定させたウガヤの流れをくむ側は、卑弥呼を失ったことで政権を奪われ、クーデターを企んだものたちの思うままに国造りが行われていきました。

ですから、純粋に自分の命と引き換えに、国が真っ二つに割れることのないようにと願って卑弥呼が入定したのですが、結局は卑弥呼が想定していなかった大混乱が国中で続いたことでしょう。

磐長姫がブスで醜い女として語られている由縁でしよう。

自分の命をかけて行った行動が理解されないどころか、1700年以上にも渡って、ブスで見にくい女の代表にされては可哀そうでなりません。

その存在さえも隠され続けているわけです。 

人間は肉体を無くしても、魂はこの世に生き続けています。

卑弥呼を始め、この国の礎を築かれたイエス・キリストやモーセらの御霊が、それを黙って見過ごすことはしないでしょう。

一日も早く、神河町にある卑弥呼の陵墓の中に眠る卑弥呼の磐戸を開けて、供養しなくてはなりません。

これができなければ・・、ますます世界は混乱していくことでしょう。

この地球上でおこる事象は、目に見えるものの影から目に見えない霊体によって動きが決められるからです。

磐長姫様は、身体も御霊も・・、人類まれにみる美人で、世界の人々に愛されるべき女性なのです。

 

  おお~、この文章を書き足して何気なく外を見ると、綺麗な満月のお月さんが微笑んでいましたぁ!

 PM7:35 突然、武部さんから携帯に電話がかかってきました。

「電話をいただきまして・・」と武部さん。

「エッ、電話はしていませんよ。指一本もさわっていませんよ」と私。

「そうですかぁ・・、卑弥呼さんが武部さんにお礼を言いたかったのでしょう」と私。

昨日のことをブログにUPしましたから・・」と武部さんは報告してくれました。

・・

 武部さんは以前から、磐長姫がブスで醜いと言われているが、その逆ではないかと以前から思っていたと言われます。

そしてブログで磐長姫神社の情報を私に伝えてくれたので、月の世界に自ずから旅立たれた卑弥呼さんが、窓越しに見ていて、私の携帯電話で武部さんに電話したようですね。

このようなことが現実にあるのですね。  本当に驚いてしまいました。  その場に居てた人も驚きの事象でした。


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藤原氏のルーツはヤマトタケルでありイエス・キリスト

2016-04-13 13:08:25 | かごめかごめの真実とは

2016年4月14日(木)

先日の聖地巡礼バスツアーで、私は埋田神社で祀られている神々の話をしました。

太玉命    =  大国主命=イエス・キリスト=神武天皇

玉依姫命   =  女王卑弥呼

鵜草不葺命 =  エフライム王族・曽我・物部

天兒屋命   =  コヤネ 

大歳神    = 藤原鎌足   ・・とバスの中で話しました。

大歳神 は 豊穣の神を祀っていると言いますが、カタカムナ的に聞こえてくるのは、「ホウショウ」であり、「シ」を強調していると聞こえてきました。

それで、百済の皇子である豊章=中臣鎌足=藤原鎌足であると説明しましたが、バスの中でそれを聞いていた方が、「わが家は藤原鎌足の子孫で、家系図もあったことを思い出しました」と言われます。

そして後日、そのコピーの巻物の家系図を持って来られました。

どうも・・、藤原家の方々は、名前に一文字「兼」と言う字使っておられるのが見受けられます。

原本もちゃんと保管しておられるとのことでしたが、「あなたの言っておられることは本当ですよ。ちゃんと藤原のルーツも解いてください。そして・・世の人々の誤解を晴らしください」と言って居られるご様子です。

・・・、なんとぉ・・ 私と同じように藤原鎌足について詳しく謎を解いて居られる方もいらっしゃいますねぇ。

あまりにもシンクロしている不思議さを感じます。

この物語の最初の頃、謎の女性筒井翼さんが、第一回目の会合の後そっと近くに寄ってきて、「着物を着て立って横笛を吹いていたでしょう」とニヤリとして言った言葉や、最初の最初に電話口から、「(しゃく)を持っておられます。そして麻呂じゃ麻呂じゃと言っておられます」と言ったことばが、やっとこの時点に来て思い出さされます。

そして私が奈良の中宮寺の御門跡様に会いに行った時、天皇陛下や天皇家の方々が車で来れる時に出入りされる大きな木の門から入ったのですが、降りて歩き出してほどなくして、

「お前生きてたのかぁ!」と腦の中心に響き渡った声を聞いてから、涙がボロボロと落ち出し、もうそれから涙は止まりませんでした。

日本の七福神には横笛を吹いている人はいませんが、中国の千山に祀られている九福神には、仙人を除いて実在した8人衆の中で横笛を吹いている和装の男性が居ます。この横笛を吹く男性がその中でナンバー2だと言います。

この横笛を吹く和装の男性こそ初代大王、イエス・キリスト=神武天皇=大国主命の長男であり、第二代綏靖天皇であり、ヤマトタケルであり、藤原鎌足のご先祖様だと言ってますね。

第二代綏靖天皇は初代大王イエス・キリスト35歳の時の子供で、32年8月15日生まれで、イエスが100歳の時、97年に即位しました。

イエスはそれから2年後に他界します。 初代大王が亡くなり倭国大乱へと突入し、綏靖天皇暗殺が企てられます。

綏靖天皇の在位は5年でした。  ・・でも綏靖天皇は隣国へと逃れ高句麗の王様になりました。

129年10月16日97歳でこの世を去りました。  身長180cm 血液B型

蘇我氏もまた、イエス・キリストの血筋だと言ってます。

んん~~、これは大変なことですよ~!!

私達には知ることができない、見ることができない、でも確かに動き回っている御霊様達が動かれているのを実感しています。

いい加減なことを言っていたら・・・、ああ~~~ これは怖い話ですよ~!  いい加減な嘘の歴史を語っている人達は・・・!

第四代懿徳天皇はイエス・キリストの64歳の時の子供であり四男で兵庫県加古川市生まれ。

天皇在位は3年で、この方は128年8月20日暗殺されたと言っていますね(享年67歳)。 身長170cm 血液B型

我が国の初代大王イエス・キリストの死後、欠史八代と言われる天皇達は皆、暗殺されたことになっていました。

・・が、二代綏靖天皇は、生き延びて日本を脱出し、高句麗の王様になっていたということです。

ああ~~~、これは大変なことですよ~~~! 

 

聖地巡礼ツアーの一週間目に、藤原鎌足氏が埋田神社に待って居られて、岩座神(いさりがみ)の五御霊神社へとご挨拶に行かれました。

もちろん神光寺へも・・。 

「私の身内のものもこれから来られますので、よろしくお願いします」と。 和睦とこれかの融和を鎌足氏が行われたようでした。

みなさん、この話、信じられますか。

        

 

  

 

 


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千山に祀られている何仙姑は卑弥呼である

2015-10-27 16:49:24 | かごめかごめの真実とは

2015年10月28日(水)

昨年の5月に3回目の中国遼寧省鞍山市の千山へと行きましたが、その時写真に収めていた中に、興味深いものを発見しました。

千山には、一人の特別な仙人と実在したと言われる8人の仙人が祀られていますが、その中で唯一の女性が何仙姑(かせんこ)です。

絵とそれらの名前を記されたところに特徴などが記されていますが、何仙姑は十字架を手に持っている様が書かれています。

これは大きな大きな意味をもった重要な遺産です。

卑弥呼は、キルギス生まれで日本の初代大王であるイエス・キリストの血を引いていました。

もちろん卑弥呼も現在のキリストでなく、イエス・キリストが説いた宇宙の普遍の真理である十字意識を皆に説いていたものと思います。

その重要にして重大な遺物です!

            


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