上武散歩道

ダイエットのため毎日徘徊。
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綴ってみます。

風景 純銀もざいく

2014-03-24 20:25:48 | 利根川の自然
今年の春は初春がなくて、いきなり爛漫になってしまったような感じがします。
うらうらと暖かでよいのですが、今日はちょっと暑く感じるくらい。
東京のソメイヨシノの開花予想があと一週間くらいですので、前橋はもうちょっとかかりそうですね。

さて。
山村暮鳥は現在の高崎市出身の詩人、伝道師。

毎年書いているけれど、僕は彼の詩「風景 純銀もざいく」が好きだ。
すべてひらがなで「いちめんのなのはな」を繰り返して菜の花畑の視覚イメージを浮かべさせられるのが心地よい。
その中に第一聯は「かすかなるむぎぶえ」、第二聯は「ひばりのおしゃべり」、第三聯は「やめるはひるのつき」と一行ずつ違う言葉が入っている。
特に第三聯の「やめるのはひるのつき」はなにやら考えさせられる。
「むぎぶえ」と「ひばり」は視覚情報の中にぽつんと聴覚情報を入れているけれど、「ひるのつき」は視覚情報であり、「やめる」と感じているのは暮鳥自身。
なぜ、昼の月を病んでいると感じたのだろう?

土曜日に利根川ベリを歩いてきたけれど、大分ナノハナが咲いていたので、今年も例のものを。


いちめんのなのはな


いちめんのなのはな


いちめんのなのはな


いちめんのなのはな


いちめんのなのはな


ひばりのおしゃべり


いちめんのなのはな


麦笛も聞こえず、昼の月もなかったので、第二聯のみ・・・

ここでで、「やめるのはひるのつき」の個人的新解釈。
難しく考えるのはやめましょう。

「やめる」は上州弁で疲れたとか、辛いとか言う意味。
昼の月は白くていかにも疲れていそうでしょ?
難しく考えると、精神的に病んでいる、受け入れられない暮鳥の心理を反映している、とかなりそうですけれどね。

それにしても、上州人って散文の大家が出ないのはなぜでしょう・・・

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