今日も秋晴れのいい天気となりました。朝晩の気温差が激しいため、体調管理には中止したいところです。
しつこいようですが、秩父シリーズがまだ続きます。
秩父神社へ水戸の友人と参拝し、道の駅ちちぶで待つ愛車の元へと戻る。
この水戸の友人、長瀞でロウ石なんかをかったのですが、地質のことに興味を持っている。
と、言うわけで今まで何度も秩父へ来ていながらまだ行ったことのなかった「和同開珎のもとになった銅が産出した場所」へ行ってきました。
R140で「和銅遺跡」の看板が出ていた場所を入るとすぐに「聖神社」がありました。
こんなに近くなら前もって寄っておけばよかった・・・
車を小さな駐車場に停めて階段を登る。
登りきったところがこの「聖神社」でした。
この「聖神社」、厳密には銅が産出した場所ではありません。
献上された自然銅に対して、朝廷から贈られた銅製の雌雄一対のムカデを社宝とする神社です。
ムカデは足がたくさんある→足=お足=お金がたくさんある→お金に困らないということで、テレビに紹介されたらしく、小さな神社なのにひっきりなしに参拝者がおとずれていました(境内に人がいない写真を撮るのに一苦労)。
昨日紹介した秩父神社の方がずっと大きいのに、参拝者はこっちの方が多いんじゃない?と思うくらい。
写真の右側に注目。
大きな和同開珎のレプリカが!(実際にはもっと大きいのが別の場所にあるのですが、明日)
その下には由緒書きがあり、社宝のムカデの写真もあったりします。狛犬が菅笠をかぶっているのはなぜだろう?
その右側には・・・
絵馬がずらり。この数からも人出がわかるかと思います。
そして・・
絵馬も和同開珎の形。なかなか商売上手です。
われわれ二人とも、まったくもってお金のことを願ってきませんでした。この神社にこういう人も珍しいよなあ、とお互いに苦笑いです(この神社がお金の神様って知らなかったし)
こちらの神社でいくつかグッズ(といっていいのか?)を売っていたのですが、何も買わず。ムカデのレプリカとかあったら買ったのですが、ひとつお願いできませんかね?
そういえば・・・日光の神様と戦った赤城の神様がムカデでしたよね?日光が蛇で(逆だったか?)
昔、赤城には水が無くて困っていた。
そこで赤城の神様が日光中禅寺湖の領有権を主張し合戦に及んだ(その際、戦ったのが戦場ヶ原、勝負がついたのが菖蒲浜)。戦い利あらず、破れてしまったわけですが、中禅寺湖の水を掬って赤城に投げた。
右手で掬ったのが大沼、左手で掬ったのが小沼にそれぞれなった、と言うお話。
その戦いで負った傷を癒したのが老神温泉、神様の血で山の木が赤くなったので赤城山と言う落ちがつく。
きっとその昔、本当にあった上野と下野の争いが下敷きになってるんでしょうね・・・
しつこいようですが、秩父シリーズがまだ続きます。
秩父神社へ水戸の友人と参拝し、道の駅ちちぶで待つ愛車の元へと戻る。
この水戸の友人、長瀞でロウ石なんかをかったのですが、地質のことに興味を持っている。
と、言うわけで今まで何度も秩父へ来ていながらまだ行ったことのなかった「和同開珎のもとになった銅が産出した場所」へ行ってきました。
R140で「和銅遺跡」の看板が出ていた場所を入るとすぐに「聖神社」がありました。
こんなに近くなら前もって寄っておけばよかった・・・
車を小さな駐車場に停めて階段を登る。
登りきったところがこの「聖神社」でした。
この「聖神社」、厳密には銅が産出した場所ではありません。
献上された自然銅に対して、朝廷から贈られた銅製の雌雄一対のムカデを社宝とする神社です。
ムカデは足がたくさんある→足=お足=お金がたくさんある→お金に困らないということで、テレビに紹介されたらしく、小さな神社なのにひっきりなしに参拝者がおとずれていました(境内に人がいない写真を撮るのに一苦労)。
昨日紹介した秩父神社の方がずっと大きいのに、参拝者はこっちの方が多いんじゃない?と思うくらい。
写真の右側に注目。
大きな和同開珎のレプリカが!(実際にはもっと大きいのが別の場所にあるのですが、明日)
その下には由緒書きがあり、社宝のムカデの写真もあったりします。狛犬が菅笠をかぶっているのはなぜだろう?
その右側には・・・
絵馬がずらり。この数からも人出がわかるかと思います。
そして・・
絵馬も和同開珎の形。なかなか商売上手です。
われわれ二人とも、まったくもってお金のことを願ってきませんでした。この神社にこういう人も珍しいよなあ、とお互いに苦笑いです(この神社がお金の神様って知らなかったし)
こちらの神社でいくつかグッズ(といっていいのか?)を売っていたのですが、何も買わず。ムカデのレプリカとかあったら買ったのですが、ひとつお願いできませんかね?
そういえば・・・日光の神様と戦った赤城の神様がムカデでしたよね?日光が蛇で(逆だったか?)
昔、赤城には水が無くて困っていた。
そこで赤城の神様が日光中禅寺湖の領有権を主張し合戦に及んだ(その際、戦ったのが戦場ヶ原、勝負がついたのが菖蒲浜)。戦い利あらず、破れてしまったわけですが、中禅寺湖の水を掬って赤城に投げた。
右手で掬ったのが大沼、左手で掬ったのが小沼にそれぞれなった、と言うお話。
その戦いで負った傷を癒したのが老神温泉、神様の血で山の木が赤くなったので赤城山と言う落ちがつく。
きっとその昔、本当にあった上野と下野の争いが下敷きになってるんでしょうね・・・