心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

四摂法と六波羅蜜 2

2020年01月05日 | 法華経

前回の続きです。

法華経の十二番目の話「提婆達多品」に「四摂法(ししょうぼう)」という言葉が出てきます。物事がうまく運び、人びとを助けるための四つの方法です。前回は、この四摂法について書きました。今回は、六波羅蜜(ろくはらみつ)について書きます。

六波羅蜜(ろくはらみつ)という言葉も法華経にしばしば出てきます。六波羅蜜とはどんなものかというと、次の六つです。

布施(ふせ)欲張らず、物や心を相手に譲る
持戒(じかい)決まりを守る
忍辱(にんにく)つらいことにも堪える
精進(しょうじん)正しい努力を続ける
禅定(ぜんじょう)心を落ち着ける
智慧(ちえ)よく考え、真理を求る


六波羅蜜の反対を考えてみると、とてもよくわかります。
布施の反対は、欲張り、自分中心。

持戒の反対は、約束を破る、うそを言う。

忍辱の反対は、すぐあきらめる。

精進の反対は、がんばれない、怠け者。

禅定の反対は、すぐかっとなる。

智慧の反対は、物事を間違って理解する。誤解。

自分中心で欲張り、約束を破り、平気で嘘を言う。努力しないですぐあきらめる、間違った理解をしてすぐかっとなる。そんな人は、みんなから嫌われます。

人に優しく、親切で、約束を守り、忍耐強く、努力家で、落ち着きがあり、自分のことをちゃんとわかってれくる・・・こういう人は、自然と人から慕われ、人が集まり、人に助けてもらえる。私も、この文章を書きながら、日頃の自分を恥ずかしく思います。しかし、少しずつ、こういう人になれるよう、精進していきたいですね。

心證寺ウエブページ


四摂法と六波羅蜜 1

2020年01月02日 | 法華経

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

法華経の十二番目の話「提婆達多品」に「四摂法(ししょうぼう)」という言葉が出てきます。物事がうまく運び、人びとを助けるための四つの方法です。

布施 物でも心でも自分のものを人に惜しみなく分け与える。
愛語 やさしい言葉をかける。
利行 人のためになる行いをする。
同事 同じ立場で一緒に行う。

ああ、なるほどなと思います。

昨年は自然災害のとても多い年でした。困っている人を見過ごすことはできないからと、ボランティアで災害復旧に駆けつける方がたくさんありました。「つらかったですね」「怖かったですね」「大変でしたね」「頑張っていきましょう」と声をかけ(愛語)、食料や衣服、日用品などを分け与え(布施)、被災者の方と一緒になって(同事)、浸水で使えなくなった家具などを片付け、困っている人たちを助けていました(利行)。

人ととして当然の行為ですとボランティアの方たちは言いますが、仏の教えにかなった行いです。

普段は意識することがなくても、仏教は、私たちの行動や考え方の根本にしみこんでいます。

人々を助けながら自分も仏の道を求めていくことを「菩薩行(ぼさつぎょう)」と言い、仏教で一番大切な教えです。「忘れてしまっている、かまっていられない、自分にはもっと重要なことがある」と考える人もいるようですが、大切にしたいものです。

続きます。

心證寺ウエブページ


宮沢賢治「永訣の朝」と法華経 5

2018年04月04日 | 法華経

5 どうかこれが兜率(とそつ)の天の食に変わって 

 

賢治は法華経を熱心に信仰していました。法華経の理解なしに賢治の文学をほんとうに理解することはできないと思います。

毎日法華経を読んでいる者の視点から、「永訣の朝」を読んで、気づいたことを書いてみたいと思います。その5回目です。

 

「永訣の朝」の最後は、初版本では

 どうかこれが天上のアイスクリームになって  やがてはおまへとみんなとに
 聖い資糧をもたらすことを  わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

のように「天上のアイスクリーム」となっています。

しかし、発表後に賢治自身が手を入れた宮沢家所蔵本では、

 どうかこれが兜卒(とそつ)の天の食に変って   やがてはおまへとみんなとに
 聖い資糧をもたらすことを   わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

のように、「アイスクリーム」の部分が「兜卒の天の食」になっています。


「兜卒の天の食」とは、どんなものなのでしょうか?

法華経の普賢菩薩勧発品に

 もし人あって(法華経を)受持し読誦し其の義趣を解せん。是の人命終せば、千仏の手を授けて、 恐怖せず悪趣に堕ちざらしめたもうことをえて、即ち兜率天上の弥勒菩薩の所に往かん。(妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八)

 (もし、法華経の教えを大切に守り、声に出して読み、意味を理解しようとする人は、現世の命が終わるとき、たくさんの仏たちが手をさしのべて、悪道に堕ちて恐ろしい目に遭うことなく、すぐに兜率天の弥勒菩薩のもとに生まれ変われるだろう。)

賢治とトシは、法華経の教えを大切に守り、声に出して読み、意味を理解しようとしていました。必ず兜率天の弥勒菩薩のもとに生まれ変わることができると信じていたのでしょう。

自分が苦しみから救われるだけでなく、自分の行いによって、多くの人々が救われるようにと願っていたのでしょう。

妹の死は、個人的な出来事です。しかし、個人的な悲しみにとどまることなく、妹の死を機会に生きることの意味について再確認し、人の幸せはすべての人の幸いを願うことにあると気づかされたという点にこの「永訣の朝」の素晴らしさがあると思います。

終わり

心證寺ウエブページ


宮沢賢治「永訣の朝」と法華経 4

2018年03月18日 | 法華経

賢治は法華経を熱心に信仰していました。法華経の理解なしに賢治の文学をほんとうに理解することはできないと思います。

毎日法華経を読んでいる者の視点から、「永訣の朝」を読んで、気づいたことを書いてみたいと思います。その4回目です。

 

永訣の朝の最後は、

  どうかこれが天上のアイスクリームになって

  おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに

  わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

という句で終わっています。

日蓮宗の僧侶は経を読んだ最後に、必ず次の言葉をとなえます。

「願わくは此の功徳を以て 普く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜん 」(妙法蓮華経化城喩品第七)


「どうかこの功徳がすべての人々に広がって、わたしたちとすべての命あるものと、みんな一緒に幸せになれますように。」という願いです。

両者は共通しているところがあるように思えます。

もうひとつ。
トシは、はげしい熱にあえいでいます。賢治は冷たく透きとおったみぞれを急いで取りにゆき、トシに与えようとします。

そして「どうかこれが天上のアイスクリームになって」と祈ります。

法華経には  

  甘露を以て灑ぐに 熱を除いて清涼を得るが如くならん (妙法蓮華経授記品第六)

という言葉があります。

「冷たく甘くおいしい飲み物をそそぎ、熱を冷まし、清らかさと涼しさを得る。」という意味です。


特にこの言葉は、施餓鬼という行事の際にとなえます。

餓鬼道に落ちて熱や渇きに苦しんでいるいのちに飲み物や食べ物を施して供養する行事です。

賢治は、熱に苦しんでいるトシの苦しみを救いたいと思うと同時に、賢治の行為がすべてのひとの幸いにつながってほしいと願い、「永訣の朝」という詩を結んでいます。

 

続きます。

心證寺ウエブページ


宮沢賢治「永訣の朝」と法華経 3

2018年03月10日 | 法華経

宮澤賢治は法華経を熱心に信仰していました。法華経の理解なしに賢治の文学をほんとうに理解することはできないと思います。
毎日法華経を読んでいる者の視点から、「永訣の朝」を読んで、気づいたことを書いてみたいと思います。

その第3回です。

「うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる」

これは、妹トシが激しい熱とあえぎの間に、ひとりごとのようにつぶやいたことばです。

「また人間に生まれてくるとしたら、今度はこんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてきたい。」

トシは大学在学中に結核を発病し、入退院を繰り返します。大学の卒業はなんとか認められ、花巻女学校の教師見習いになりますが、満足に働けないまま、死んでいかねばなりません。
「自分のことばかりで苦しむのではなく、すべて人のために働きたい。」
トシの切実な願いでした。

 

伝教大師最澄は、「すべての人が仏になれる」法華経の教えを広めるために、日本に天台宗を伝えました。

その最澄のことばに、「 好事を他に与え、悪事を己れに向え。己を忘わすれて他を利するは慈悲の極みなり」ということばがあります。

これは、いいことは人に分け与え、悪いことは自分が引き受け、自分の幸せは忘れ、人の幸福のために尽くす、これが最高の慈悲であるということばです。

己のことは忘れ、他人に尽くす。法華経にもそんな菩薩が何人も登場します。


続きます。

心證寺ウエブページ


宮沢賢治「永訣の朝」と法華経 1

2018年02月10日 | 法華経

 宮沢賢治は、今から100年ほど前、大正時代の終わりから昭和の初めにかけて、数多くの童話や詩を書いた人です。

今でこそ、「銀河鉄道の夜」「雨ニモマケズ」「注文の多い料理店」など多くの作品が人々に愛されていますが、生前、彼の作品はほとんど知られていませんでした。

 「永訣の朝」は、賢治26歳の時に、妹トシを失った悲しみを歌った詩です。女子大学を優秀な成績で卒業して、さあ、これから世のために働きたいと願っていた妹が、結核に冒され24歳の若さでこの世を去らねばなりませんでした。

賢治は妹の死を嘆き悲しみながら、人としてどう生きることが幸せかに気づき、この詩を書きました。


 「永訣の朝」は、中学校や高校の教科書にも掲載され、賢治がどんな思いを込めたのか、多くの解説があり、文学的解釈があります。しかし、ほとんどの解説や解釈は、法華経を表面的にしか理解していないなあと感じます。


 賢治は法華経を熱心に信仰していました。法華経の理解なしに賢治の文学をほんとうに理解することはできないと思います。
 毎日法華経を読んでいる者の視点から、「永訣の朝」を読んで、気づいたことを書いてみたいと思います。

「永訣の朝」(青空文庫)

1 「あんなおそろしいみだれたそらから このうつくしい雪がきたのだ」

熱に苦しみ、今まさに死にいこうとしている賢治の妹トシが、最後の頼みとして、「冷たいさっぱりとした雪を取ってきてください」とあえぎあえぎ伝えます。それを聞いた賢治は大急ぎで庭に出て、きれいな雪を選んで持って帰ろうとします。

 この雪はどこをえらばうにも
 あんまりどこもまっしろなのだ
 あんなおそろしいみだれたそらから
 このうつくしい雪がきたのだ

法華経(妙法蓮華経)は、サンスクリットで「サダルマ フンダリカ スートラ」と言い、「白い蓮華のような正しい教え」という意味です。「濁った泥の中から清らかな花を咲かせる蓮のように、この濁世にあってすべての衆生を救う本当の教え」という意味です。

「永訣の朝」と同じ頃に作られた「オホーツク挽歌」という詩には、「ナモ サダルマ フンダリカ スートラ」という句が何度も繰り返されています。「ナモ」とは、南無すなわち「帰依する」「信じる」という意味。南無妙法蓮華経をサンスクリットで表現しています。

妙法蓮華経従地涌出品(じゅじゆじゅっぽん)第十五には、

 世間の法に染まざること 蓮華の水に在るが如し(不染世間法 如蓮華在水)
という句があり、日蓮宗の僧侶なら何度も何度も口にしたことのある言葉です。

「濁った泥の中から清らかな花を咲かせる蓮のように、この濁世にあってすべての衆生を救う存在でありたい。」という願いを込めてこの句を唱えます。

「あんなおそろしいみだれたそらから このうつくしい雪がきたのだ」という詩句は、妹に頼まれ大急ぎで外に出た賢治が、目の前の光景が「濁った泥の中から、清らかな花を咲かせる蓮のような教え」すなわち、法華経の教えそのものだと気づき、改めて感動しているのだと思います。

つづく

心證寺ウエブページ


平家納経と法華経

2017年01月28日 | 法華経

先日、熱田神宮宝物館で催されていた「神々の宝物」展に行き、国宝の平家納経を見る機会がありました。

平家納経は、平清盛が一門の繁栄を願って法華経などの経典を書写して厳島神社に奉納したものですが、現代の感覚からすると、なぜ神社に仏教の経典を奉納するのだろうと疑問に思う人があるかもしれません。

しかし、神様と仏様を相容れないものとして別々に分けて拝むことが一般的になったのは、明治になって政府が国家神道を押し進め、神仏分離、廃仏毀釈が行われてからのことです。

それまでは、神様も仏様も目には見えないけれど私たちを守ってくださる尊い存在としてどちらも同じように敬われてきました。神社にも五重塔が建ち、仏像が置かれ拝まれていましたし、寺院にも神様が勧請されて守り神とされてきました。

 

平家納経が奉納された厳島神社には現在も多宝塔や五重塔があります。釈迦如来、厳島弁財天など多くの仏像もありましたが、明治の神仏分離で隣接する大願寺に移されました。

伊勢神宮にも熱田神宮にも神宮寺がありました。讃岐の金比羅さんは明治維新までは真言宗の寺院でした。日本の各地で、ごく自然に当たり前のこととして神さまと仏さまが同じ場所で同じように礼拝の対象となっていました。

神社に法華経などの経典を書写して奉納、供養することで、その神社に祀られた神さまがお喜びになり、よりいっそうの功徳になると信じられてきました。

 

法華経を書写して供養する功徳について、法華経の分別功徳品第十七には次のように説かれています。

「広く是の経を聞き、若(も)しは人をしても聞かしめ、若しは自らも持(たも)ち、若しは人をしても持たしめ、若しは自らも書き、若しは人をしても書かしめ、若しは華香、瓔珞、幢旛、繒蓋、香油、蘇燈を以って、経巻に供養せんをや。是の人の功徳無量無辺にして、能く一切種智を生ぜん。」

(法華経を聞いたり人に聞くようにさせたり、大切にしたり大切にさせたり、自らも書いたり人に書くようにさせたり、花や香や灯明、美しい飾りなどで経巻を供養することは、計り知れないほどの功徳になり、仏の最高の智恵を手に入れることができるだろう。)

 

平安時代の貴族たちは、さまざまな色に染めた色紙を継いで料紙としたり、経文を金銀泥で書いたり、経巻の表紙や見返しなどに仏像やお経の意趣をあらわす華麗な絵を描いたり、軸に螺鈿(らでん)細工の香木や金銀を用いたりして多様な装飾を施した豪華な装飾経を競って制作し、寺社に納経しました。

平家納経は、そうした平安時代の装飾経の中でも最も華麗なものと言えると思います。


諸天昼夜。常為法故。而衛護之。

2017年01月08日 | 法華経

このブログのサブタイトルは


諸天昼夜。常為法故。而衛護之 

 

どんな意味かというと、

「諸天善神は、昼も夜も、いつも法華経を説き弘める者を守護する。」

という意味です。

これは、妙法蓮華経安楽行品第十四の中で、お釈迦さまが文殊菩薩に語った言葉の一節です。

お釈迦さまは菩薩たちに、法華経を説き弘めるときの心構えとして四つのことをお示しになりました。
その四つとは、おこないを慎み、ことばを慎み、こころを慎み、意志を強く持つことです。
この四つを実行できる者は、諸天善神から守護されるとお説きになったのです。

 

この続きは、次のようになっています。

能令聴者。皆得歓喜。所以者何。此経是一切。過去未来現在。諸仏神力。所護故。

おまえの説く法華経は、教えを聞く人々によく理解され、喜ばれることになる。なぜかというとこの法華経は、過去未来現在の諸仏が法華経を説くおまえを不思議な力で守ってくれるからだ。

 

私たちは、目には見えないけれど、数え切れないほど多くの神さま仏さまに囲まれていつも守られて生きているのです。

 

日蓮聖人は佐渡流罪中、粗末な堂の内で法華経を一心に読んでいらっしゃるとき、日蓮聖人の周りにたくさんの仏さま神さまが姿を現し、ご自分が数多くの諸天善神に囲まれて守られていることを感じ取られました。

そのようすを文字で書き表されたのが、曼荼羅ご本尊です。

南無妙法蓮華経のお題目の光に照らされて、それを取り囲む数多くの仏さま、神さまのお名前が記されています。

当山のご宝前です。

日蓮聖人が文字で書き表された曼荼羅ご本尊の仏さまを仏像にしてお祀りしています。

 

私たちは、目には見えないけれど、数え切れないほど多くの神さま仏さまに囲まれていつも守られて生きているのです。

感謝と祈りを忘れず、我が身を振り返りつつ、謙虚に、誠実に、日々を過ごしたいと思います。

心證寺ウエブページ


天竜八部衆とヒンドゥー教

2016年06月28日 | 法華経

前回の記事「アンコールワットへのみち展」で、仏教とヒンドゥー教のことを少し書きました。

今日は、八部衆について、もう少し詳しく(できれば、わかりやすく)書こうと思います。

教王護国寺(三十三間堂)の迦楼羅(かるら)像です。ヒンドゥー教の神、ガルーダと同起源と考えられます。

仏教には、ヒンドゥー教(バラモン教)と同起源の神々がたくさん出てきます。どうしてでしょうか。

お釈迦さまの時代、インド地方(当時インドという概念はなかったですが、便宜的に)には、すでに独自の宗教観があり、さまざまな神様の存在が信じられていました。(そのころの宗教をバラモン教と呼んでいます。現在のヒンドゥー教につながっています。)

お釈迦さまが悟りを開かれ、各地でさまざまな説法をなさっているとき、お釈迦さまの弟子や信徒をはじめ、じつに多くの者たちが聴聞していました。その中には人ではないもの、つまり動物や鬼神の姿で、時には人に災いを招くような不思議な力を持ったインド古来の神々も交じっていました。

お釈迦さまが法華経をお説きになっているとき、つねに聴聞していた神々は、

天・・・梵天(ブラフマー)、帝釈天(インドラ)、四天王、自在天など

竜・・・ヒンドゥー教では、ナーガという蛇神。法華経には、八人の竜王が登場します。

夜叉(やしゃ)・・・バラモン教ではヤクシャ。人を食らうこともある鬼神です。

乾闥婆(けんだつば)・・・ガンダルバ。半神半獣で美しい音楽を奏でます。

阿修羅(あしゅら)・・・アスラ。生命生気の善神。

迦楼羅(かるら)・・・ガルーダ。人の体に嘴、翼、爪を持つ。

緊那羅(きんなら)・・・キンナラ。音楽神。

摩睺羅伽(まごらが)・・・マホーラガ。大蛇の神。

の8種類です。その者たちを天竜八部衆と呼んでいます。

八部衆は、8人(8頭)ではなく、たとえば、迦楼羅(かるら)には、大威徳迦楼羅王、大身迦楼羅王、大満迦楼羅王、如意迦楼羅王の4人の王があり、それぞれがまた数千人の家来を連れて来ていたので、聴聞していた者の数は、膨大なものでした。

法華経の中には、この八部衆がそろってお釈迦さまの説法を聴聞している場面が10回ほど出てきます。

インド古来の神々は、お釈迦さまの説法を聞き、心からお釈迦樣に従い、これからはお釈迦さまの身をお守りしましょうと誓います。つまり、仏教の守り神となったのです。

仏教以前のインド古来の宗教を、バラモン(祭司階級)中心の宗教という意味で、バラモン教と呼んでいますが、広く大衆を救う教えである仏教が生まれ、盛んになってくると、バラモン教は、土着の信仰も取り入れた民衆宗教へと形を変えていきます。多くの神々が存在し、さまざまな信仰形態を持つヒンドゥー教が生まれていくのです。

心證寺ウエブページ


衆人愛敬

2016年01月30日 | 法華経

先日、ある方の書かれた文章を読んでいると、「衆人愛敬は世阿弥の言葉で、・・・」という一節に出会いました。

あれっ?と思って、インターネット検索してみると、出るわ、出るわ。能楽の世界では「衆人愛敬は世阿弥の言葉」ということになっていて、インターネット記事のみならず、書籍になっていたり、大学の先生が論文を書いていたり。

もちろん、世阿弥は「風姿花伝」の中で「衆人愛敬」という言葉を用いて、立派な役者というのは、身分の高い一部の人だけに支持されるのではなく、広くさまざまな人々に愛されるようでなければならないと言っています。

しかし、「衆人愛敬」という言葉は、法華経の観世音菩薩普門品(観音経)に出てくる言葉です。

観阿弥、世阿弥、音阿弥と三代が「観世音」を名乗った流派ですので、観音様の信仰があり、観音経をよく理解していたことは想像に難くないところだと思います。

奈良時代から室町時代頃まで、日本の文化を担ってきた人々は、仏教をよく理解していました。ことさら学ぶまでもなく、仏教を理解していることがあたりまえで、生活の中で仏の教えを自然と身につけていたのだと思います。

ところが、現代の「文化人」には、残念ながら仏教の理解が乏しい人が多いように思います。

学校で学ぶ「古典」の教材も、ことさら仏教の要素を除いたものしか扱いません。

建築、彫刻、絵画、文学、思想。どの分野においても、日本の文化を理解する上で、仏教の知識を欠くことはできません。

仏の教えをもっともっと広めること。われわれ現代の僧侶に求められていることだと思います。 


雨は、大きな樹木にも小さな草にも、美しい花にも何も名もない雑草にも、わけへだてなく等しく降り注ぐ

2015年02月08日 | 法華経

今日は雨。2月になって周期的に雨が降るようになってきました。まだ暖かくなったとは感じられませんが、草や木の芽は一雨ごとに大きくなっています。

雨は、大きな樹木にも小さな草にも、美しい花にも何も名もない雑草にも、わけへだてなく等しく降り注ぎます。植物は、幹や枝、茎や根、葉や花、皆それぞれに、大きさも形も色も香りも違うけれど、雨の恵みを受け取り、それぞれに応じて自分を生長させていきます。

これは、法華経の薬草喩品というお経に書かれている、仏さまの教えを雨にたとえたお話です。

当山の木蓮の蕾も少し膨らんできました。

 

高野喜久夫作詞の合唱曲「雨」については、以前書きました。(「水のいのち」)

実際の演奏を聴いていただくのもいいかなと思いましたので、youtubeのリンクを貼っておきます。

「水のいのち」より「雨」(岩手大学合唱団)

 

今日は、雨の歌をもう一つ。

雨     八木重吉

雨の音がきこえる
雨が降っていたのだ
あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう
雨があがるようにしずかに死んでいこう

多田武彦作曲により男声合唱曲となっています。

「雨」(広島大学グリークラブ)

大学生の頃、この歌に出会って以来、ずっと心の中に鳴り続けています。

八木重吉は、キリスト教徒だったそうですが、信仰を持っていることは、人として大切なことだと思います。

 


水のいのち

2014年12月27日 | 法華経

「水のいのち」という合唱組曲があります。合唱をやっていた人ならほとんどの人が歌った経験があるくらいポピュラーな曲です。
私も学生の頃、作曲者自身の指揮で歌ったことがあります。

その第一楽章
高野喜久夫作詞 高田三郎作曲
「雨」

降りしきれ雨よ
降りしきれ
すべて
立ちすくむものの上に
また
横たわるものの上に


降りしきれ雨よ
降りしきれ
すべて
許しあうものの上に
また
許しあえぬものの上に


降りしきれ雨よ
わけへだてなく
涸れた井戸
踏まれた芝生
こと切れた梢
なお ふみ耐える根に


降りしきれ
そして 立ちかえらせよ
井戸を井戸に
庭を庭に
木立を木立に
土を土に


おお すべてを
そのものに
そのもののてに


文字だけでなく、曲付きの方が心に届くと思うので、youtubeで検索して、聞いてみてください。
なぜこんなことを書いたのかというと、「これって法華経の薬草喩品だー。」と最近気付いたんです。学生の頃は全然気づかなかった。

作詞者の高野喜久夫さんが、法華経と縁があったかどうかは、今となっては知るすべがありませんが、法華経の教えは、長い年月のうちに日本人の心に自然としみこんで、根を張り葉を広げ、ここにも一つの花を咲かせたのでしょう。

心證寺ウェブページ

 


12月の大雪

2014年12月18日 | 法華経

12月の大雪。9年ぶりとか。20cmくらい積もりました。

 

法華経に、雨という文字は48回使われています。「雨」そのものだったり、「ふらす」と読んだり。

観音偈に「雲雷鼓掣電し 雹(あられ)を降らし大雨をそそがんに」とありますが、雹(あられ)は雷雨とともに降る「ひょう」のことです。

 

法華経に「雪」という文字は出てきません。「氷」も出てきません。北インドでお生まれになったお釈迦さまは、雪が降るのをご覧になったことがないのかもしれません。

日本に伝わってきた仏教。雪。氷。冬の厳しさと仏道修行。日本人の精神性によく合っています。

 

ヒマラヤ山脈の輝く雪峰をお釈迦さまは、ご覧になったのでしょうか。

心證寺ウェブサイト