先日、ある方の書かれた文章を読んでいると、「衆人愛敬は世阿弥の言葉で、・・・」という一節に出会いました。
あれっ?と思って、インターネット検索してみると、出るわ、出るわ。能楽の世界では「衆人愛敬は世阿弥の言葉」ということになっていて、インターネット記事のみならず、書籍になっていたり、大学の先生が論文を書いていたり。
もちろん、世阿弥は「風姿花伝」の中で「衆人愛敬」という言葉を用いて、立派な役者というのは、身分の高い一部の人だけに支持されるのではなく、広くさまざまな人々に愛されるようでなければならないと言っています。
しかし、「衆人愛敬」という言葉は、法華経の観世音菩薩普門品(観音経)に出てくる言葉です。
観阿弥、世阿弥、音阿弥と三代が「観世音」を名乗った流派ですので、観音様の信仰があり、観音経をよく理解していたことは想像に難くないところだと思います。
奈良時代から室町時代頃まで、日本の文化を担ってきた人々は、仏教をよく理解していました。ことさら学ぶまでもなく、仏教を理解していることがあたりまえで、生活の中で仏の教えを自然と身につけていたのだと思います。
ところが、現代の「文化人」には、残念ながら仏教の理解が乏しい人が多いように思います。
学校で学ぶ「古典」の教材も、ことさら仏教の要素を除いたものしか扱いません。
建築、彫刻、絵画、文学、思想。どの分野においても、日本の文化を理解する上で、仏教の知識を欠くことはできません。
仏の教えをもっともっと広めること。われわれ現代の僧侶に求められていることだと思います。