心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

南山城(みなみやましろ)の仏像巡り 3

2017年11月30日 | 仏像巡り

京都府の南部、奈良県と接するあたり南山城の古いお寺をまわって、仏さまを拝んできました。

海住山寺(かいじゅうせんじ)、現光寺に続いて、大智寺を訪ねました。

大智寺は、JR木津駅近くの市街地にありました。木津川のほとり、泉大橋の袂です。古い街道沿いにあります。

テントの中で、京都古都文化保存会の方が対応してくださいました。

本堂に大きな作り付けの厨子があり、そのなかに獅子にまたがった大きな文殊さまがいらっしゃいました。

(パンフレットより)

獅子にまたがった文殊さま。

奈良時代、行基菩薩が木津川に橋をお架けになり、後に大水で流されてしまいましたが、残った橋柱で彫ったのがこの文殊菩薩像だと伝わっています。

精緻な彫りの美しい仏さまでした。鎌倉時代、慶派の作品と考えられています。

獅子の方は江戸時代に修復されたそうで、派手な彩色のデフォルメされた江戸好みの彫り物でした。

上の写真で文殊さまの脇に黒っぽい仏さまが少しだけ写っていますが、こちらは十一面観音さま。平安時代の作。ずいぶん黒くなっていましたが、おだやかな雰囲気の像でした。これも重要文化財に指定されています。

続きます。

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特定外来生物「タイワンザル」、和歌山で根絶宣言へ

2017年11月27日 | 自然の営み

朝日新聞に

特定外来生物「タイワンザル」、和歌山で根絶宣言へ」という記事が載りました。(2017年11月24日)

和歌山県北部の閉園した動物園から逃げ出したタイワンザルが野生化して、繁殖していたそうです。

タイワンザルはしっぽがニホンザルに比べて長いだけで、外見、大きさ、習性、食べ物、生息場所など日本ザルとほとんど変わらないそうです。交尾すれば子どもが生まれ、その子どもも繁殖能力を持っています。生物学的には同種と考える学者もあります。

(yahooきっず図鑑より)

ニホンザルと同じように、普段は山に住み、時折、里に下りてきては農作物を食い荒らす被害があったそうです。

そこで、えさでおびき寄せて捕まえて「駆除」したのだそうです。

「駆除」と言葉を換えていますが、殺したのです。

いざ捕まえてみると、ニホンザルも混じってオリに入るので、遺伝子を調べて「純粋な」ニホンザルは山に放したそうです。

遺伝子を調べてみないと、外見では見分けられないのです。

調べてみると、実に9割はニホンザルとタイワンザルの交雑個体だったそうです。

「純粋」でない猿は「駆除」され、「純粋な」猿は生かされ、天然記念物として保護されます。

 

実は、タイワンザルを駆除するのは、ニホンザルと交雑して、ニホンザルの遺伝子汚染のおそれがあるからだそうです。

環境省の文書にそう書いてあります。

 

先祖がよその土地から連れてこられ、その子孫たちは日本に住み着いて、もともと日本に住んでいたものと混血し、何も知らずに暮らしていることろに、ある日突然捕らえられ、遺伝子を調べられ、「純粋」か「純粋でないか」選別され、「純粋でない」ものは殺される。

とても恐ろしいことです。信じられません。

かつて人間で同じような考えの人たちがありました。「かつて」ではないかもしれません。同じような考えを持つ人は今でもいるようです。

動物も人も同じ命。生まれ変わり生き変わり、同じ命がつながっています。尾の長い猿も短い猿も同じ命。どうして「駆除」しないといけないのでしょう。

環境省も和歌山県も専門家も「タイワンザル根絶」を評価すべきことと考えているようです。

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南山城(みなみやましろ)の仏像巡り 2

2017年11月26日 | 仏像巡り

京都府の南部、奈良県と接するあたり南山城の古いお寺をまわって、仏さまを拝んできました。

海住山寺(かいじゅうせんじ)に続いて、現光寺を訪ねました。

現光寺の由来は、あまりわかっていないそうです。

江戸時代に再興されたそうですが、現在も住職、檀家はなく、海住山寺の住職が管理しているそうです。

地元の方によって境内の維持管理がされているようでした。

現光寺では、鎌倉時代の観音座像が大切に守られてきました。重要文化財に指定されています。慶派の作と推定されています。

座ったお姿の観音様は珍しいそうです。多くの観音様は、いつでも人々を救いに行けるよう、立っていらっしゃいます。

華厳経に、観音様は補陀落山(ふだらくさん)に住んで、金剛宝石の上で結跏趺坐していると説かれています。

補陀洛信仰と深く結びついた仏さまだと思われます。

今回のパンフレットの表紙になったこともあり、大変な人気でした。

観音様は収蔵庫で守られていますが、一度に15人ほどしか入れないため、長蛇の列ができていました。

収蔵庫の中では、普段は奈良国立博物館にいらっしゃる四天王像(これも慶派の作と考えられています。)とともに、手を伸ばせば触れられそうな距離で観音様を拝むことができました。

高さ70cmほどの小ぶりな仏さまで、彩色もよく残り、彫りの細かさ、表情の繊細さがすばらしい仏さまでした。

続きます。


南山城(みなみやましろ)の仏像巡り 1

2017年11月14日 | 仏像巡り

京都府の南部、奈良県と接するあたりを南山城(みなみやましろ)と呼ぶようです。

南山城、知らないと、なんざんじょう と読んでしまいそうです。

この地域で 11月、

京都府木津川市社寺秘宝秘仏特別開扉

というイベントと

京都非公開文化財特別公開

というイベントが、ほぼ同時期に開催されています。両方に参加している社寺もあります。

南山城地区のお寺では、浄瑠璃寺や岩船寺がよく知られています。京都とも奈良とも違う、落ち着いていて懐かしく、古くて美しい仏を身近に感じられる雰囲気が好きで、何度か足を運んだことがあります。

今回も、あまりよく知られていないけれど、古くて美しい仏さまを拝みに出かけました。

 

はじめに訪れたのは、海住山寺(かいじゅうせんじ)。

ふもとの村の中を通って、山門までのものすごい坂を上がりました。

私は車でしたが、一度止まったら発進できないんじゃないかというくらいの坂でした。

ふもとから歩いて登っている方もあって、とても大変そうで、「乗って行かれますか。」と声をかけると、助かりますと言って乗って行かれました。

坂を登り切ると赤い門が現れました。猿が何匹か出迎えてくれました。

さらに進んで石段を登り切ると、山門がありました。

門をくぐると、意外に広い境内。右が本堂。左が五重塔。

国宝の五重塔の初層が特別公開になっていました。

扉の内側に梵天、帝釈天などの仏画が描かれ、塔内部には四天王と中央に多宝塔が安置されていました。

本堂のご本尊は十一面観音さま。優しい微笑みが印象的です。

(パンフレットより)

文殊堂。これも重要文化財。その名の通り文殊菩薩をお祀りしています。

もとは経蔵で、文殊菩薩は、智恵の仏。経蔵のころからの本尊だったそうです。

本坊の書院から庭園を望む。パンフレットのような写真を撮ってみました。

本堂の背後の山に登ると、遠く平城京まで望むことができました。

こういうイベントがないと、なかなか訪れる機会のないお寺ですが、人出がそれほど多くなく、仏さまを拝みにという気持ちの方が多く、落ち着いた雰囲気で、古くて美しい仏さまを、博物館の展示という形ではなく、本来いらっしゃる空間で間近に拝むことができて、とてもすがすがしい気持ちになりました。

続きます。

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宗祖お会式法要を営みました。

2017年11月03日 | 心證寺

宗祖日蓮聖人のお会式法要を営みました。

日蓮聖人は、弘安5年(1282年)10月13日にお亡くなりになりました。

10月13日を中心に、全国各地の日蓮宗寺院では、お会式(おえしき)を営みます。

当山では毎年11月3日にお会式法要を行っています。

日蓮聖人がお亡くなりになったとき、秋にもかかわらず桜の花が満開になったという故事にちなんで、本堂内を造花の桜で飾ります。

法要では、参詣の皆さんとうちわ太鼓をたたいてお題目をお唱えしました。

法要のあと、日蓮聖人註画賛という室町時代に書かれた絵巻物(複製)を広げて、日蓮聖人のご生涯をお話しいたしました。

こんな桐の箱に入ってます。

今日は、巻1を広げてお話ししました。ご生誕から立正安国論をお書きになり幕府に提出するところまででした。

巻1の冒頭。詞書きは漢文になっています。「日蓮聖人註画賛巻第一並序」に続いて「第一誕生」とあります。

これは日蓮聖人が21歳から32歳まで、比叡山はじめ京都、奈良など各地をご遊学の後、清澄寺にお戻りになり、人々を前に法華経こそ真実の教えであると初めてお解きになった場面です。

巻物は全5巻です。続きはまた来年。

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