心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

室生寺と長谷寺5

2014年11月30日 | 仏像巡り

銅板法華説相図, 長谷寺,奈良国立博物館に寄託  画像はウィキペディアから


長谷寺には、飛鳥時代につくられた銅板法華説相図が伝わっています。

そこに描かれているのは、お釈迦さまが、自分は釈迦族の王子として生まれ、菩提樹下で悟りを開いた一人の人間ではなく、過去から未来にわたって永遠の命を持ち、いつでもこの娑婆世界にあって、すべての人を救おうとされている本当の仏であると自ら語られる場面です。

お釈迦さまが、いよいよそのお話をなさろうというとき、大地から大きな塔が涌き出て、空中に浮かびます。塔の周りには、それこそ無数の仏さまが、あらゆる世界から、現在、過去、未来、時空を越えて集まり、お釈迦さまを囲みます。虚空にかかる塔の中には、多宝如来という仏さまが座っておられ、お釈迦さまは塔の中に入り、並んでお座りになります。そこで自分は、本当の仏であるとお説きになります。

法華経というお経に説かれているこの場面を、法華説相図は描いています。

持統天皇(一説では天武天皇)のために、この法華説相図を作り、豊山という場所を選んで、塔を建立したのが、長谷寺の起源とされています。

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室生寺と長谷寺4

2014年11月29日 | 仏像巡り

長谷寺は、初瀬の観音さまとして、源氏物語にも、枕草子にも、更級日記にも登場します。

平安時代の女性にも、大人気の仏さまです。

今回は、特別拝観として本尊十一面観音さまが安置されている正堂の中に入ることができました。

10メートルを超す大仏さまとは聞いていましたが、み足に直接ふれて尊顔を仰ぎ見ると、その大きいこと大きいこと。

どんな願いでも聞き届けてくださるような気持ちになりました。

本尊大観音尊像秋季特別拝観 (時期が過ぎるとリンク先が削除されるかもしれません)


(本堂内通路(相の間)から西階段方向を望む。)

この吊り灯籠は、いかにも長谷寺という感じです。

 

法華経に「仏の智慧は、量り知れず、近づき難い。声聞や、辟支仏にも、知ることはできないものだ。そこで私(釈迦)は、いろいろな過去の話や譬え話をし、また、さまざまな方便で人々を導いてきた。」とあります。その方便の一つとして、化城のたとえがあります。

長く険しい旅を続ける人々がありました。目的地はまだまだ遠く、気力を失う者も出始めました。すると、前方に大きな城が見え、一行はその城を目指して気力を振り絞って歩きました。城に着くと、飲み物食べ物が用意され、庭園、浴場もあって、多くの人が思う存分楽しんでいました。一行は、じゅうぶんに体を休め、気力を回復し、本来の目的地へと旅立っていきました。

花が咲いているとか、紅葉がきれいとか、団子がうまいとか、それがお寺へ参るきっかけになる。純粋じゃないと言われそうですが、化城の一つかなと思います。

多くの人が仏の教えに近づけるように、さまざまな手立てを考える。方便を考えるのも坊主の役目の一つかなと思います。

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室生寺と長谷寺3

2014年11月28日 | 仏像巡り

室生寺境内には、あちらこちらに石仏が祀られている。

国宝五重塔脇の石仏群

 

奥の院参道の不動明王

同じく奥の院参道。薬師仏だろうか。右手は施無畏印、左の掌は薬壷?。

弥勒堂前庭の軍荼利(ぐんだり)明王。両手を胸前で交叉した印相、炎のように逆立った髪。胸の飾り、腰の紐。東寺の軍荼利明王に細部までそっくり。

東寺の軍荼利明王

奥の院参道。まるで「天国への階段」

参道を途中からはずれて、山の奥へと伸びる小道があった。古い修行の道だったかもしれない。先に岩屋や石仏があるように思えたが、雨で足下が悪く、時間も限られていたので、今回はいかずにしまった。

室生寺は、古来から山全体が修行の場で、神仏が棲む聖地とされてきた。龍神の信仰もある。

堂塔も周りの山や森に調和するよう質素な作りで配置や大きさも考えられている。

自然の大きな力に神仏の存在を感じるのは、ほんとうに日本人らしい宗教観だと思う。

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室生寺と長谷寺2

2014年11月27日 | 仏像巡り

室生寺金堂は、1000年前、平安初期の建物です。

 

普段は金堂の外から拝観するのですが、今回は特別拝観ということで、金堂の中に入って間近に仏さまを拝むことができました。

大きな仏さまが5体、お釈迦様を真ん中に、横一列に並んで、立っていらっしゃる。

十一面観音、弥勒菩薩、釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩。座って、見上げると、とても大きく、この大きさが安心感をもたらします。

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釈迦三尊とか薬師三尊とか、中尊と両脇侍の形式で祀られる仏さまは多いですが、5体もほぼ同じ大きさで横並びで立っていらっしゃるのは、ここだけでしょうか。なんて贅沢なと思います。

リーダーはお釈迦様。現在担当。未来担当は弥勒菩薩。56億7000万年後に弥勒が現れるまでは、地蔵菩薩。病気のときは薬師如来。苦難の時は観音さま。いつ、どんなときでも救ってくださる最強の5人組。

まるで、戦隊ヒーロ―。黄・白・赤・黒・青の5色のヒーローが救ってくださる。日本文化は奥が深い。

 

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室生寺と長谷寺1

2014年11月26日 | 仏像巡り

室生寺と長谷寺に行ってきました。

雨降りで、紅葉がいちだんとしっとりと、時折霧がかかったり、大変風情がありました。

室生寺金堂に上がる石段

 

長谷寺本堂の舞台から見下ろした仁王門付近

長谷寺本堂内礼堂から外を望む

 

お山(寺)というところは、そこへ一歩足を踏み入れただけで、心洗われるような、すがすがしく、うつくしい特別な空間だ。今日は、あらためてそう感じました。

もちろん、仏さまを拝みに行ったわけです。

仏さまのお話しは、また後日。

今日は紅葉のすばらしさだけ、お伝えします。

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辻々の観音さま

2014年11月25日 | 路傍の仏

歩いて30分くらいの古い集落。辻々で仏さまが大切にされています。

立派なお御堂。扉を開けて拝ませていただくと、蓮の蕾を手にされた聖観音さまでした。

 

個人宅の敷地内にあるお御堂。私有地にあるけれど、通りかかった誰もが拝めるように塀の外になっています。


中には、十一面観音さま。左手には蓮華を生けた花瓶を持っていらっしゃいます。頭上正面の化仏には彩色が残っています。


最初の聖観音さまと光背の形、お顔立ち、大きさ、石の色などが似ているので、もとは一つところにあったものかもしれません。

自分たちの観音さま。いつも自分たちを守っていてくださると思うと、大切にお守りしようという気持ちになるのでしょう。

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御嶽山

2014年11月24日 | 自然の営み

暖かないい日だったので、犬を連れて木曽三川公園へ。一宮市の水源にあたる雑木林は人の手が入ることなく、楡、榎、欅、桜、橡、椋の木、もみじ葉楓、銀杏・・・さまざまな落葉樹がそれぞれの色に葉を染め、地面にはいろいろな木の実と落ち葉が散り敷いていました。

堤防に上がると、北東方向、御嶽山が望めました。雪をかぶった山頂付近から、白い噴煙が上がっているのが確認できました。

(見えづらいですが、写真中央うっすらと山体と白い噴煙が見えます。)

噴火から二ヶ月。自然の大きな力の前では、人間は小さな存在です。

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拓本

2014年11月23日 | 心證寺

境内に古い墓石がある。高さ2.5mくらい。心證寺を創建した浅井七左衛門平正貞公の墓である。右側面に元禄二年の年号、左側面に心證寺創建の由来が記されているようだが、風化がひどく、よく読めない。


そこで、拓本を採ることにした。専用の墨を買ってタンポも用意して、慎重に慎重に。
拓本から読み取った内容とさまざまな歴史資料を見比べて、どんな結果がでるやら。


じっくり作業を進めて、わかったことは、またここに書いていきます。

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麦の唄

2014年11月22日 | 日記

NHKの朝ドラ、マッサンを毎日楽しく見ている。
その主題歌、中島みゆきの「麦の唄」がすばらしい。力強く、明るく、前向き。自分の信じる道を進むといいながら、自分を生み育てた親にも故郷にも感謝を忘れない。ストレートでど真ん中にストライクを投げ込んで、言葉が胸に響く。並の歌手なら気恥ずかしく、いわゆる”クサイ”ものになってしまう。
40年前、ラジオから流れた「時代」。当時私は中学生だった。これまで何度も慰められ励まされた。諸行無常、会者定離、輪廻転生。そんな難しい言葉は使わず、だれもが人生の真理に気づくことができる。私たち坊主も、そうありたい。
中島みゆきの言葉の力は、すごいと思う。

 

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高浜、大飯の仏さま5

2014年11月19日 | 仏像巡り

(昨日の続き)
高浜や大飯の秘仏を巡り、この地は、集落が小さな入り江ごとにあり、海岸線まで山が迫り、耕せる地面が少なく、交通不便で戦後の経済成長とは縁の遠かった地域だと感じました。
飛鳥、奈良時代には、都に最も近い海として、大陸と盛んに往来があり、大寺院が造営され、日本の表玄関だったものが、時代が下り、日本の政治経済の中心が太平洋側へ、東国へと移って行くにつれ、次第に静かな漁村、農村へ姿を変えていったのでしょう。だからこそ、1000年も前の仏さまがそのまま残されたのだと思います。

帰路「うみんぴあ大飯」という道の駅に立ち寄りました。埋め立て地でしょうか、広々とした駐車場に囲まれた真新しく立派な道の駅でした。同じ敷地内にホテル、マリーナ、こども家族館という「体験型児童館」、エルガイアという「未来体験ミュージアム」もあります。うみんぴあは、「さまざまな楽しみが集まる複合レジャー空間」だそうです。第3セクターの運営で、大株主には地元自治体の他、関西電力、三菱重工などが名を連ねています。


エルガイアには、「考えよう、地球の未来とエネルギーの未来」と題した常設の展示があります。地球の未来とエネルギーの未来を考えたとき、重要な選択肢の一つは「自然エネルギー」だと思うのですが、この施設では「地球温暖化や原子力発電について分かりやすく解説」しているようです。真四角の青い建物は、福島第一原発の原子炉建屋を連想しました。バスで連れてこられた見学者が吸い込まれていきます。

エルガイアおおい

日本中のどの地域の人も等しく経済的繁栄を享受したい。当然のことだと思います。しかし、今私たちが、どんな暮らし方、生き方をすると、この先1000年、大切なものを残していけるのかと考えさせられました。

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高浜、大飯の仏さま4

2014年11月18日 | 仏像巡り

(昨日の続き)
意足寺にも馬居寺にも境内に熊野社があります。観音さまは、南方の補陀落(ふだらく)浄土にいらっしゃるとして、
都の南方にあたる熊野を補陀落山になぞらえる信仰が古来からありました。那智の滝は観音さまが姿を現されたものと
する信仰もあったようです。熊野那智大社に隣接する(というより明治以前は、一体でした)青岸渡寺は如意輪観音さ
まをご本尊とし、西国三十三所観音霊場の一番札所となっています。
自然の山や森、川や滝、木や岩の中に神仏がいらっしゃる、それが日本人の宗教に対する自然な意識のように思います。

意足寺の熊野社の狛犬のもう片方。

(もう片方は、高浜、大飯の仏さま2に登場しました)

 

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高浜、大飯の仏さま3

2014年11月17日 | 仏像巡り

(昨日の続きです)
最後に訪れたのは、馬居寺。意足寺背後の山の向こう側です。山すそをぐるっと回って、若狭和田の海辺から山の中腹へ。山道を少し行くと、ひっそりとした山中に馬居寺はありました。石段を登って拝観受付をすませ、脇の観音坂を登ると、石段の奥に観音堂が現れ、秘仏馬頭観音さまはその奥の収蔵庫にいらっいました。

どっしりとした体格。どこの仏さまとも違うお顔立ち。洗練とは逆の、人間の原始的な、動物的な力強さがあります。馬が草を食べ尽くすように、すべての煩悩や災いを消し去ってくださるという馬頭観音さま。ここにしかおられない仏さまでした。

 馬居寺(北陸三十三ヵ所観音霊場めぐり)

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高浜、大飯の仏さま2

2014年11月16日 | 仏像巡り

(昨日の続き)

次に意足寺に向かいました。

普段は秘仏なのですが、秘仏めぐりバスツアーに限って開帳されます。

事前にお電話し、お願いしたところ、特別にバスツアーと同時刻に伺うことで拝観させていただけることになりました。

平安初期の創建当時は萬願寺といい、支坊二十四ヶ寺の大伽藍だったそうです。時代が下り、荒廃していたところを江戸時代に小浜藩主が意足寺として再興したのだそうです。

本堂で住職からそんなお話を伺ったあと、いよいよご開帳です。本尊の十一面千手観音さまは、収蔵庫にいらっしゃいました。平安時代の作。檜の一木造り。檜の木肌がとても1000年も前のものとは思えない程きれい。静かに目を閉じ、胸の前で合掌し、穏やかにすくっと立っていらっしゃいました。

みほとけの里 秘仏特別公開

昭和28年、台風13号の土石流が意足寺一帯を襲い、周囲の村とともに一切が流され、すべてが泥の下となりました。当時の住職一家もお亡くなりになり、仏像も行方不明になったそうです。しかし、村人たちによって宮殿ごと流されて埋まっているところを発見され、指先や持物が多少欠けた程度で奇跡的に1000年前の美しいお姿が現在に伝えられたということです。

意足寺のとなりに熊野社があり、その狛犬が

なんとも、かわいい。

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高浜、大飯の仏さま1

2014年11月15日 | 仏像巡り

おおい町、高浜町の仏さまを巡ってきました。 まず訪れたのは、中山寺

 仁王門をくぐって階段を上ると  若狭の美しい海が望めました。 (仁王門には、立派な仁王様が。慶派の手になる重要文化財でした)

  

檜皮葺の本堂も鎌倉時代の重文。中に、秘仏馬頭観音さま。33年に一度しか開帳されない仏さまを間近で拝むことができました。

内陣に入れていただき、仏さまと同じ空間に入ると、力強いお姿に射すくめられたように、その場から離れがたい気持ちになりました。写真で見るのとは、全く違っていました。

今年は、若狭や北近江の仏さまをいくつか拝ませていただきました。京都や奈良の大きなお寺とは違い、お寺やお堂が、静かな山里にひっそりとたたずんでいて、参拝客も少なく、ゆっくりと拝むことができました。秘仏として地元の方々に大切に守られてきたおかげで彩色も本当によく残っていて、手を伸ばせば触れることができそうなくらいすぐそばで拝むことができました。 続きは、後日。

中山寺ウェブページ

 

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布教師研修会

2014年11月14日 | 日蓮宗


今日は、尾張布教師会の研修会に参加してきました。
講師は、山口県立大学教授 鈴木隆泰先生。東京の日蓮宗寺院のお生まれ、東京大学でインド哲学を学ばれ、涅槃経の研究で博士号を取得されました。
釈尊は弟子に葬儀に関わることを禁止したのに、日本の僧侶が葬儀を営むことは、釈尊の教えに背くことだという批判が、明治以降、高名な哲学者をはじめ、多くの人々によってされてきました。鈴木先生は、従来の葬式仏教に対する批判の多くが、原典の誤読や誤解にもとづいているという結論をサンスクリット文献はもちろん、チベット訳・漢訳文献を用いて対照研究することによって明らかにされました。釈尊は、僧侶が葬式に関わることを禁止していないし、祈祷や、戒名もインド仏教に由来すると文献にもとづいて立証されています。
仏教に関心を持たなかったり、不要だと思ったりする人が増えてきています。仏教が、いつの時代にもその時代を生きる人の悲しみや苦しむ、悩みと向き合って、救済のための道筋を示し、人々に安心を与えることができるならば、仏教はこれからも必要とされるでしょうというお話しでした。

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鈴木先生ご自身のウェブサイト


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